歴代上人御指南
戒壇建立の事業は一天広布の日にあらあずんば成し得べきにあらざるなり。故に、これをしばらく時の帝王に付すといえども、本門の本尊建立は帝王の建立すべきものにあらず。故に、宗祖、御在世にこれを成就し給いたり。 第8章は造仏に関する破折の章となって…
広開の長行に及ぶ所以は、百界千如一念三千の法門、その義を尽くさんがためなり。しかりといえども、略開の時、一念三千その義なしと言うにはあらず、(中略)真の一念三千を説き顕す故に、広開に至って本尊の功徳を顕すなり。 第7章は、勤行等の富士門流の…
唯授一人嫡々血脈相承にも別付・総付の二箇あり。その別付とは、すなわち法体相承にして、総付とは法門相承なり。しかして、法体別付を受け給いたり師を、真の唯授一人正嫡、血脈付法の大導師と言うべし。また、法門総付は宗祖・開山の弟子檀那たりし者、一…
それ、結要とは四句の要法なり。すなわち、文上本果の題目なり。寿量文底の題目は、上行付嘱内証の題目にして、外用結要の題目にあらず。けだし、結要とは本果妙の題目を説き顕して本因妙も題目を付嘱し給うといえども、その本果妙の題目の功徳広大にして、…
曼荼羅一幅に三宝を具するは、すなわち合帰の事相にして、別体の三宝はすなわち妙法の曼荼羅より開発したる事相なり。故に、一体三宝も、その実体一にして、ただ開合の異なるのみ。譬えば、扇子の開きたると開かざるとは、その形容異なりといえども、その実…
其の墨質を尊んで本尊となすにあらず。其の字體を崇めて本尊となすにあらず。尊む所は只だ其の正意のみ崇むる所は只だ其眞理のみ。 第50節は、日守の「戒壇大御本尊は、墨で書かれたものではなく彫刻した本尊だから功力が無い」といちゃもんレベルの疑難に対…
そもそも戒壇本尊所難の如きに至っては、軽率に論ずべからず。まず論拠あって、かつ宗・因・喩の規矩(きく)に合って難儀討論するにあらざれば、問答の定格にあらず。ただ乱駁の妄言なるのみ。 第2章では、本門本尊の人法一箇を否定する日守を破折しました…
そもそも我が門所立の境智において重々の秘説あり。一には、本地難思境智冥合不渡余行直達正観事行の一念三千の大御本尊は境なり、この本尊に向かい奉る我らは智なり。これすなわち、末法下種益の境智なり。二には、右に挙げるところの境妙たる本尊一幅の上…
今、また人法の差別をを立てれば、すなわち差別なり。差別にして無差別、無差別にして差別なり。これをこれ中諦と言う。 本尊に人法を別々に立てると、人本尊は化諦・法本尊は空諦ですから、これだと中道(中諦)を明かさないので三諦が成立せず、蔵・通の二…
もとより発迹顕本の本有無作の三身たる本仏宗祖にして、南無妙法蓮華経を所作とし給えばこそ人法体一し、本尊の中央に「南無妙法蓮華経 日蓮」と顕れ給うなり。しかして、この本尊出現の上は、無智の凡夫もただ信の一字にて仏乗を成じ、人法体一になることを…
問う、人法は元これ勝劣なり。故に『百六箇抄』に、「法は本、人は迹なり」と述べ給う。しかるに、これを体一と言う者は、本迹一致の輩なりと。この難、いかが会通するや。答う、人法において二つあり。云わく、体一と勝劣なり。体一とは絶対妙に約し、勝劣…
説く汝、日守、いまだ祖判を伺うの秘曲を知らず、語を換えてこれを言えば、一往・再往、付文・元意、文上・文底、教相・観心等の大格を知らざる闇者なり。すなわち法相・法理に闇昧なり。いわんや、当家秘伝の種脱の相対、十重顕観、四重の興廃、三重の口決…
また汝、知らずや、本化上行菩薩におても内証・外用に約して二身ることを。そもそも外用に約すとは、既に述べたるが如く、文上本眷属の上行なり、(中略)次に、内証に約する上行とは、久遠元初名字の釈尊己心所具の上行菩薩なり。 1章16節は、日守の大聖人…
通じてこれを言わば上に述べるが如く、あるいは「日蓮等」と言い、あるいは「我等衆生」と言いて、宗祖の金言を信じ。本門寿量文底下種の題目を口唱するの徒は、皆これ宗祖大聖と等しく本有無作の覚体ならざるわなし。しかれども、別してこれを論ずれば、宗…
本尊は正宗なり、祖判は流通分なり。また本尊は仏意なり、祖判は機情なり。本尊は自行なり、祖判は化他なり。 『弁惑観心抄』要文の初回、は第一章・第三節の御指南です。「祖判」というのは大聖人の御書のことです。大聖人仏法における正宗分となるの本尊で…
儒教で重要な書物を『四書五経』といいますが、私は四つの御歴代上人の典籍と五つの御書(五大部とは少し違います)を個人的に日蓮大聖人の仏法の法門における『四書五経』と決めていて教学の根本テキストにしています。五経(御書)は割愛しますが四書とし…
心に本尊を信ずるは意業供養なり。口に妙法を唱うるは口業供養なり。身に曼陀羅を礼するは身業供養なり 今回は『妙法曼荼羅供養抄記』からの御指南を拝します。以前も書きましたが勤行唱題は大聖人仏法の根幹であり全ての修行が勤行唱題行に含まれています。…
問うて云わく、若し爾らば我等衆生、一期に一遍なりと雖も不退の位に到るべきや。答えて云わく、若し過去の謗法無き人は実に所問の如し。遂に不退に到るべし。然るに我等衆生は過去の謗法無量なり。この謗法の罪滅し難し 今回の御指南は『法華題目抄』の「問…
常に心に折伏を忘れて四箇の名言を思わざれば、心が謗法に同ずるなり。口に折伏を言わざれば、口が謗法に同ずるなり。手に数珠を持ちて本尊に向わざれば、身が謗法に同ずるなり。故に法華本門の本尊を念じ、本門寿量の本尊に向い、口に法華本門寿量文底下種…
若し御自身に、我を以て本尊とせよと遊ばされたらば、何れの人か之を信ずべけんや。此れを以て文底に秘して、文の上を遊ばされたり。されば当家の習う法門は是れなり。 今回のは『法華取要抄私記』から当ブログでいつも書いている「御本尊は日蓮大聖人の色心…
「事の三大事」とは無作三身の宝号、南無妙法蓮華経とは即ち是れ人法体一の本門の本尊なり。此の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うる所作は、即ち是れ本門の題目なり。本尊及び行者の所住の処は、即ち是れ本門の戒壇なり。 今回は『法華取要抄文段』の御指南…
問う、報恩の要術、その意は如何。答う、不惜身命を名づけて要術と為す。謂く、身命を惜しまず邪法を退治し、正法を弘通すれば、即ち一切の恩として報ぜざること莫きが故なり。 今回は『報恩抄文段』の御指南を拝します。これは本文の「かくのごとく存じて、…
今時、偽書を造らずと雖も、本迹一致の修行を作す、豈蓮祖の獅子身中の虫に非ずや。我が日興上人は実にこれ蓮祖付嘱の写瓶なり。深くこれを思うべし云云。 今回は大聖人仏法における「師子身中の虫」に関する御指南です。「問う、蓮祖の獅子身中の虫これあり…
今得意して云く、二箇の相承は正しくこれ弘宣伝持の付嘱なり。謂く「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す。本門弘通の大導師たるべきなり」とは、これ弘宣付嘱なり。故に「本門弘通」等というなり。「釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す、身…
問う、妙法五字のその体何物ぞや。謂く、一念三千の本尊これなり。一念三千の本尊、その体何物ぞや。謂く、蓮祖聖人これなり この御文は『観心本尊文段』の一番最後の結論というべき御指南です。創価は自分たちの都合のいいように日寛上人の御指南を用いたり…
自行若し満つれば必ず化他有り。化他は即ち是れ慈悲なり(観心本尊抄文段P219上) この御文は自行と化他の関係についての簡潔でしかも我々信徒にとって大切な御指南です。自行が満ちなければ本当の意味での化他行にはならない。折伏行には慈悲が伴わなければ…
暫くもこの本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来らざるなく、理として顕れざるなきなり。 この観心本尊文段の一節は有名な御文なので一度は聞いたことが有る方も多いと思います。読んだ通り…
信者当に知るべし、釈尊既に爾なり、蓮師もまた然なり。我等正見ならば、蓮祖の弟子なり。若し信行退転せば則ち三界に流転して、また吾が祖をして五百塵点劫に疲労を生ぜしめんか。能く思い、能く勤めよ。応に信行を励むべし。一生空しく過して万劫に悔ゆる…
縦い名聞の為にもせよ、若しは利養の為にもせよ、身に妙法の行を立て、口に妙法の行を説け。或は身を仏前に運び、口に妙名を唱えよ。若し爾らば意業は自ら妙法の大善に入るべきなり云云。(御書文段P47上) 御書文段とは簡単に言うと日寛上人による御書講義…
本抄の前半から本人並び看取りの人達の臨終において用心しなければならない御指南が続きますが、『臨終用心抄』の後半には「臨終の相」についての御指南が書かれています。一、臨終の相に依つて後の生所を知る事。と最初に「臨終の相」によって故人の死後の…