そもそも戒壇本尊所難の如きに至っては、軽率に論ずべからず。まず論拠あって、かつ宗・因・喩の規矩(きく)に合って難儀討論するにあらざれば、問答の定格にあらず。ただ乱駁の妄言なるのみ。
第2章では、本門本尊の人法一箇を否定する日守を破折しましたが、第3章では更に踏み込んで、弘安二年十月十二日御建立の『戒壇大御本尊』に対する日守の疑難・邪義を破折しています。この49節では、日守が戒壇大御本尊を偽物と誹謗することに対する反論する段で、上記の御文は具体的な破折の前の冒頭の部分です。日守は、戒壇大御本尊は一機一縁といい、彫刻(板曼荼羅)だから偽物だと様々に難癖をつけてきますが、日応上人は、まずは戒壇大御本尊について真偽については軽率に論ずるべきでないと言われ、戒壇大御本尊について討論(対論)するのであれば、まずは「偽物」であるという確固たる証拠があり、尚且つ【宗・因・喩】の基準と照らして討論しなければ、それは問答(対論)ではなく単なる妄言、誹謗中傷であると反駁されています。戒壇大御本尊に対する偽作批判は現在もしきりに主張している人も創価学会員を含めていますが、その論拠は「確固たる証拠」とは言い難いものです。仮に戒壇大御本尊が偽物だという確固たる論拠らしき事を述べたとしても、宗・因・喩の規矩(きく)に合って論議できる人間はいません。この「宗・因・喩」というのは、【因明(いんみょう)】の事です。【因明】とはインド古来の仏教理論学で、声明・工巧明・医方明・内明と因明の五つで【五明】と呼ばれます。【因明】は主張の論拠を明らかにする理論学です。主張の論拠を明らかにする過程として古因明では【五分作法】という方法を用います。【五分作法】とは①「宗」(主張・命題)②「因」(主張を正当化する根拠)③「喩」(実例)④「合」(適合)⑤「結」(結論)です。この古代因明はその後、陳那(ディグナーガ)によって【新因明】が立てられます。【新因明】では、五分作法から【三支作法】になります。【三支作法】は①「宗」(主張)②「因」(理由)③「喩」(実例)というステップで主張を論証していきます。この三つのステップを【因の三相】といいます。日応上人の言われているのはこのことです。因明について詳しく書くと長くなりますのでこの辺でやめますが、日応上人は、対論においては「宗・因・喩」の三支作法のルールに則って進めるべきであり、それが出来ないのであればそれは対論ではなく単なる妄言に過ぎないと日守を非難しているのです。以前、当ブログで私と対論した鯛焼き君なる支部長は、最初に対論のルールを明示し合意したにも関わらず、僅か4日で対論ルールを破り再三注意したのに聞き入れず逃走したということがありました。もっとも、その時の対論のテーマは相手の要望により大聖人仏法の法門や大石寺(正宗)の教義とは直接関係のない『日精上人問題』でしたから些末な話でしたが、日応上人が言われているように戒壇大御本尊等の大聖人仏法の根幹に関わるような内容であれば創価学会員は合意したルールの下で法華講員と対論するべきだと思うのですが自信がないのでしょうね(笑)。まさに日守と同じただ乱駁の妄言を吐くだけです。法華講員がもし創価学会員と対論をする場面に遭遇したら、最初に対論のルールを決めて双方合意したから始めることが望ましいです。
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