池田大作・創価学会史
創価学会二代会長の戸田城聖には、池田大作以外にも大勢の弟子がいた。池田は自分が一番弟子・師弟不二の弟子だと吹聴しているが、戸田会長の発言からは池田が吹聴しているような事実は見当たらない。戸田が池田に後事を託したというのは恐らく捏造の歴史と…
昭和54年4月24日は池田大作が会長職を辞任し名誉会長に退いた日だ。この日の出来事について池田大作は平成11年に『嵐の4・24』と題して『随筆・人間革命』で発表した。以来、創価学会員達の間には『嵐の4・24』と言われるようになった。池田が発表した随…
龍年光は石田次男同様に創価学会二代会長の戸田城聖の門下である。龍の入信は1946年(昭和21年)10月で池田大作より1年ほど早い。創価学会に男子部が結成された時には、龍は第4部隊の部隊長であり、その龍の下で第1班長だったのが池田だ。因みに第2班長…
創価学会史上、最大にして最強の仏敵といえば、なんといっても山崎正友(山友)の右に出る者はいないだろう。創価学会が仏敵認定するのは退会後に創価批判をする人々であって、なかでも創価学会の内部のことを暴露する人物が攻撃をされる。最近では長井秀和…
原島崇は池田大作の側近中の側近だったことは誰もが認めるところだが、そんな原島も池田と袂を分かち、長年にわたり仏敵にされた一人である。この原島と山崎正友は池田創価の仏敵の象徴・双璧といえるだろう。原島家と池田の因縁は深い。原島崇の父親である…
公明党の関係者にも池田創価に仏敵認定され攻撃された側近も多く存在するが、なかでもやはり竹入義勝と矢野絢也が双璧だろう。竹入については以前記事にしたので、今回は矢野について書いてみる。 ■関連記事▶元公明党委員長にして創価の仏敵・竹入義勝氏死去…
石田次男は池田大作の側近ではなく、第二代会長・戸田城聖の側近であるが池田に散々と煮え湯を飲まされ、晩年は池田批判をし、あまり語られないが創価組織内では仏敵認定されている一人だ。公明党の元委員長の石田幸四郎は実弟で、創価学会第5代会長の秋谷…
池田創価や公明党を批判したり、退会した人を創価学会員は『仏敵』と呼ぶことが多い。私は池田創価も公明も批判するどころか、学会活動をやっていたにも関わらず『仏敵』と呼ばれて組織を追われたが、一介の信徒が他者を『仏敵』などと言うのは狂っているが…
創価学会員は虚像の池田大作だけしか見ていないが、史実で見る池田大作は権謀術数と裏切りの人生を送ってきた人間で「立派な指導者」とは程遠い人物である。そんな池田が政敵の共産党を騙し討ちしたのが、1974年12月に池田大作会長(当時)と共産党の宮本賢…
戦時中に創価教育学会は会長の牧口常三郎を筆頭に21人が、治安維持法・不敬罪で逮捕・勾留された。創価学会はこれを戦争に反対したからだと宣伝しているが、牧口や戸田が戦争に反対した事実がないことは彼等の手記などから明らかである。それについては過去…
今時の学会員は池田大作が公明党を結成した理由を、「平和主義」「人間主義」の政治の実現だと思い込んでいる。確かに現在の公明党のスローガンはそうなのだが、公明党の結党の真実はそんなことではない。創価学会2代会長・戸田城聖が政治活動を始めたのは1…
以前から創価学会員は、「公明党はクリーンな政党」「公明党議員は清廉潔癖」とアピールしているが、自民党の連立を解消してからというものは、ますます創価学会員や公明党議員達が「クリーンな公明党」アピールをSNS等を通じてしている。公明党がクリーンな…
当ブログでは創価学会及び創価学会員の起こした事件については、池田大作や創価学会組織が関与した事件以外については極力触れずにきた。仏法の正邪は法門・法義によって決するべきであり、世法の出来事をもって判断すべきではない。というのが信仰者として…
いわゆる52路線で池田大作・創価学会が犯した謗法は沢山あるが、極めつけの大謗法は、昭和48年頃より、学会や池田個人に下付された紙幅の御本尊を勝手に模刻(板曼荼羅)して会員に拝ませた『本尊摸刻事件』だろう。当時、池田創価が摸刻した本尊は、①学会本…
悪性ウィルスのように世界に広まった創価学会。日本ではつるべ落としのように衰退している創価学会員にとっての海外の信者増だけが唯一の自慢だが、世界人口比での創価学会員の割合は僅か0.03%程だ。創価の世界広布の第一歩は昭和35年の池田大作の初の海外旅…
平成2年の年末、宗門の人事で池田大作が総講頭の地位を喪失し年が明けた平成3年は池田創価による狂気と思える宗門攻撃が始まった。まるで用意周到に準備していたかの如く平成3年1月1日には早くも創価怪文書『地涌』が総本山と全国末寺にFAXで送信される。1月…
宗務院からの『お尋ね』に対し無回答の上に逆に『お伺い』文書を提出してきた創価学会に対し平成2年12月26日に宗門から文書による誠意ある回答を示す意思が創価学会にないと受け止める旨の「通知」がされ、その翌日27日に宗門は臨時宗会で法規改正の決議を…
平成2年11月16日の池田大作のスピーチの録音テープを入手した日蓮正宗は平成2年12月13日付で創価学会に池田スピーチに対する『お尋ね』の文書作成し本書到着後【七日以内に文書による回答】を要求する。ここから往復文書での宗創のやり取りになるが内容につ…
平成2年初頭から始まった池田創価の宗門・法主批判が公になったのが平成2年11月16日の創価学会第35回本部幹部会における後に『11・16スピーチ』と呼ばれることになる池田スピーチである。思えば52年路線の発端となったのも池田の『仏教史観を語る』という…
池田大作と創価学会に宗門・法主批判の兆しが現れたのは平成2年からである。52年路線の時と同じように池田の各種会合のスピーチや学会幹部による法主上人や宗門僧侶にに対する批判と思われる怪しげな指導が平成2年初頭から繰り返されていた。聖教新聞など…
日蓮正宗から創価学会が破門になって30年以上が経過した。当時の破門劇をリアルタイムで体感したのは現在50歳以上の創価学会員だろう。それ以下の年齢の学会員はまだ子供で当時の事をよく理解できなかっただろうし破門後に入会した会員には無関係だ。かくい…
先日は顕正会の暴力体質について言及したが、創価学会の暴力・威力体質も顕正会に負けていない。牧口時代から所属寺院の歓喜寮主管・堀米泰栄師(後の日淳上人)を吊るしあげるなどの威力行為を頻繁に行っている創価学会のハラスメント体質の象徴的な事件が…
日蓮正宗から池田創価が破門されて30年以上の月日が流れて破門当初にはよくわからなかった事が時間と共に明らかになっていく。そのひとつが【52年路線】における池田創価の教義逸脱である。そもそも【52年路線】とは池田創価の教義逸脱による謗法が原因であ…
月間ペン裁判の大半を占めるのは池田大作の女性スキャンダルに関する件だが、事実として明らかになったのは既に記事に書いたように、1池田会長が地方へ行く際は本部職員の女性を連れていく。施設では池田と女性しか入れない状況にあった部屋の存在。2三菱な…
池田大作の「裸の三畳間」は「月間ペン事件裁判」でもっとも興味を惹く部分だ。「裸の三畳間」とは、松島通子(旧姓・後の渡部道子)宅の三畳間で裸の池田大作が松島通子の前に立っていたというもので、証人として元学会員の「小沢よね」「飯野なみ」の二人…
池田大作・創価の裏工作が失敗し池田が2度法廷に立って晒された「月間ペン事件裁判」は創価側の勝訴の判決が出ているが、その判決によって恰も池田が潔白で被告の隈部の言ったこと(書いたこと)は全てウソ・デマと創価は会員に触れ回っているが名誉棄損と…
3月11日は創価の「小樽問答記念日」なので今回は「小樽問答」の話をしようと思う。「小樽問答」の音声は現在ではYouTubeなどで自由に聞くことができるが、この音声を書き写した『現代宗教研究』の【創価学会と日蓮宗の小樽問答記再現記録】というテキストが…
諸々の裁判や国会の証人喚問から「私を守れ!」と叫喚して逃げまくっていたらしい池田大作が法廷に立ったのは「大阪事件」と「月間ペン事件」の裁判だが世間の注目を引いたのはやはり「月間ペン事件」の方だろう。「月間ペン事件」では2度にわたり池田が証…
戸田城聖・創価2代会長の最晩年と言えば、いわゆる「3・16」に尽きるだろう。創価では「広宣流布記念の日」と制定されているが近年はあまりその意義が語られることは少ないらしい。大石寺から破門となった今の創価にとって戸田会長の「広宣流布の模擬試験」…
死亡直後は称賛記事が出ていた池田大作だが死後半月以上が経過して称賛記事より池田の闇の部分の記事のアナウンスが目立つようになってきた。称賛記事なんて書くよりダークな部分を書いたほうが読者の気も引けるだろうから、そのような記事が増えてきたのだ…