創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

弁惑観心抄(日應上人)要文⑧第2章37節より

今、また人法の差別をを立てれば、すなわち差別なり。差別にして無差別、無差別にして差別なり。これをこれ中諦と言う。

本尊に人法を別々に立てると、人本尊は化諦・法本尊は空諦ですから、これだと中道(中諦)を明かさないので三諦が成立せず、蔵・通の二教の教えと同じになってしまします。仮に別に中諦の本尊を立てたとしても、それだと三諦が融和してないので、別教の「但空・但仮・但中」の「隔歴の三諦」の本尊となり、そうなると歴劫修行でなければ成仏できず即身成仏はできません。またそもそも別教を修行するためには、その前に菩薩の位に登らなければならず、末法の荒凡夫には実践不可能な修行です。大聖人の御本尊は人法一体だからこそ、差別即無差別・無差別即差別という円融の三諦が成立し万人が即身成仏することが可能になる訳です。【人(化)法(空)一体(中)】なのです。従って、創価のいう「御本尊は宇宙の法則」というの間違いです。それだと「但空」の本尊になるからです。人法一体(一箇)を捨てた創価教義は会員の即身成仏を否定する教義だと言えます。さて、日応上人はこの御指南の次下で、人法一体(一箇)の御本尊を「一枚の紙」に例えて分かりすいく説明しています。一枚の紙には「表と裏」があり表裏一体で一枚の紙の全体となります。これは「人」と「法」が一幅の御本尊の全体に含まれているというこです。そして一幅の御本尊を人と法と区別をするのは、一枚の紙全体を表と裏に区別するようなものだと説明しています。つまり、人本尊(表)と法本尊(裏)との差別はあるけどそれが御本尊の全体であり、御本尊の全体は「人法」なのです。これが『而二不二』であり、中諦(中道)なのです。当節(37節)では、「本仏とは無作三身の当体なり。本仏の上の本仏とは独一法界無作本有の妙法なり。故に、勝劣なきにあらず。しかれども、無作本有の妙法五字は無作三身を離れず、無作三身釈尊は独一法界の妙法を離れず。人法体一にして差別あることなし」と御指南されています。即ち南無妙法蓮華経は御本仏を体として、御本仏は南無妙法蓮華経を己心とするので一体不二であるということです。これが富士日興門流の正しい会通なのです。故に、創価教学の「宇宙根源の法を大聖人が覚知した」という法勝人劣(法前人後)の論は誤りです。「法界は釈迦如来の御身に非ずと云う事なし」(草木成仏口決)と御書に書かれているように、宇宙の法(法界)は釈迦如来(御本仏)の一身の他にはありませんから、正しくは「御本仏は妙法を覚知したのではなく所持していた」のであり、妙法は「宇宙の法でなく御本仏の心法」なのです。ですから妙法曼荼羅の御本尊は、「根源の法を図顕した」のではなく、御本仏・日蓮大聖人の所持する心法を移した御本尊なのです。ここがキモで、御本尊は御本仏の心法を単に図顕化したのではなく、御本仏の心法を【移した】という事です。日蓮がたましいをすみにそめながしてかきて候ぞ」(経王殿御返事)と言われているのはそのような意味です。決して「日蓮の魂を図に書きて候」と言われていないのです。ここに、大聖人の御形木本尊に開眼が必要である理由があるのです。

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