戒壇建立の事業は一天広布の日にあらあずんば成し得べきにあらざるなり。故に、これをしばらく時の帝王に付すといえども、本門の本尊建立は帝王の建立すべきものにあらず。故に、宗祖、御在世にこれを成就し給いたり。
第8章は造仏に関する破折の章となっていますが、当該御文は造仏破折の一環として未来戒壇(事相の本門戒壇)建立に関して言及している部分になります。この御文の趣意は、「本門戒壇(事相戒壇)の建立は広宣流布の時にならないと出来ない。従って広宣流布までの間は国主に託すが、事相戒壇に掲げる本尊は国主が建立するものでないので、日蓮大聖人が御在中に事相戒壇に安置すべき本尊を建立した」という意味です。帝王とは、日応上人の御在中の明治時代は江戸幕府が終わり天皇を中心とした国家に移行した時代なので、国主=帝王=天皇になりますが、戦後は主権在民となり国民が国主となったので、事相戒壇の建立は国民に付されています。事相の戒壇は国民の同意のもとで建立されるべきですが、そこに御安置する御本尊については国民が決めるものではなく、当然ですが御本仏・日蓮大聖人がお決めになるわけで、そこで日蓮大聖人は御在世の時に事相戒壇に御安置する御本尊を建立されました。それが弘安二年御建立の本門戒壇の大御本尊です。そして、「日興が身に宛て給わるところの弘安二年の大御本尊は日目に之これを相伝す、本門寺に懸け奉るべし」(日興跡条々事)と日興上人が言われているように、戒壇大御本尊は日興上人に付嘱され、爾来大石寺の御歴代の法主上人に相伝され現在に至っています。これが創価や顕正会、身延などの異流義が絶対に広宣流布できない理由なのです。『三秘抄』に書かれているように、事相戒壇の建立は大聖人の御遺命であることは文証の上から間違いはありません。でも本尊が掛かっていなかったり、戒壇大御本尊以外の本尊や仏像を安置した建物は大聖人の御遺命の事相の戒壇にはなりません。従って戒壇大御本尊を付嘱されていない異流義には事相戒壇を建立することは物理的に不可能なのです。また一天広布の時を判断するのは戒壇大御本尊を相伝されている大石寺の法主上人以外にいないのです。このように戒壇と大御本尊は一体なのです。故に事相戒壇建立以前においては、戒壇大御本尊が御安置されている場所が建物がなくても「本門の戒壇」になります。顕正会は日寛上人の御指南を悪用して、本門本尊の所在の場所を「義の戒壇」、事相戒壇を「事の戒壇」と区別し、現在は「事の戒壇」は無いなどといいますが、そもそも「事」とか「義」というのは「本門の戒壇」に掛かる形容詞であって、「本門の戒壇」に「事」「義」という区別はありません。顕正会の理論だと大聖人は、三大秘法のひとつである「事の戒壇」を残さなかったことになってしまいます。大聖人の「本門の本尊」は「事の一念三千」ですから、「事の本尊」です。本尊が「事」なのだからその所在地は、「事」の戒法(戒壇)なのです。本尊は「事」だけど、その場所は「理」の戒法という道理はないのです。大聖人仏法においては、「本門の」という呼称は即ち「事の」と意味です。このように事相の戒壇建立が可能なのは日蓮正宗以外にありません。従って我々法華講はその使命を自負し折伏弘教に精進していきましょう。さて、今回で『弁惑観心抄』に関する記事は終了しますが、『弁惑観心抄』は当宗の法義と他宗破折を学ぶのに最適な御指南なのでぜひ読んでみてください。身延化した現在の創価学会の破折に使える御指南も沢山あります。
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