創価ダメだしブログ

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日寛上人の御書文段の御指南⑬(妙法曼荼羅供養抄記)

心に本尊を信ずるは意業供養なり。口に妙法を唱うるは口業供養なり。身に曼陀羅を礼するは身業供養なり

今回は『妙法曼荼羅供養抄記』からの御指南を拝します。以前も書きましたが勤行唱題は大聖人仏法の根幹であり全ての修行が勤行唱題行に含まれています。その中で三業供養が勤行唱題であるというのが本文の御指南です。功徳を積む、願いを叶えるいう事は2次的なもので三業供養が勤行唱題の根本中の根本なのです。ですから勤行唱題の際にはまずは御本尊に御供養申し上げるという気持ちが大切になります。それもなくただ自分の功徳や願いばかりを要求するような創価学会員達は「乞食信心の乞食信徒」でそんな信心に本当の功徳が積める道理はありません。さて、勤行唱題について『如説修行抄筆記』では日寛上人は「手に珠数を持ちて本尊に向わざれば、身が謗法に同ずるなり」とも御指南されています。私たちは「苦しい」といっては勤行ができず、「楽しい」といっては勤行をサボるという、ありがちなしでかしをしてしまうことが多々ありますよね。その度に「今日は酒飲んじゃったから勤行したら却ってご本尊様に失礼だよな。」「遊びに来ている時くらい勤行しなくてもご本尊様も許してくれるでしょ。」なんて言い訳を見つけては御本尊が何も言わない事に付け込んで勝手に自分で自分を許しちゃっていますよね(笑)。私も年間数日は勤行を抜いてしまうことがあります。プロ野球のデーゲームを球場に見に行く時は午前中に家を出て帰りは夜遅く飲んで帰ってくるので夜の勤行ができなかったりします。ナイターの時は午後から出発なので出発前に早めの夜勤行をします。それでも朝晩両方勤行しないってことは日蓮正宗に移籍してからはありませんね。極稀に体調が悪くて寝込んで勤行ができないときもありますがそんな時は心の中でお題目を唱えていますし体の調子をみて御本尊の前で方便自我偈だけでもするようにしています。そのようになったのは、前述の日寛上人の御指南に触れたからです。創価時代には勤行唱題は単純に自分の願いを叶える、或いは自分の仏界を涌現する手段と思っていたので、何か予定があったり時間がない時には勤行は省略してもいいという感覚でしたが、【勤行唱題をすれば御供養、しなければ謗法】ですからね。これって天と地ほどの差があるじゃないですか。天才的な言い訳を考えて簡単に勤行唱題をスルーしている場合じゃない(笑)と思ったわけです。それにヤル気にさえなれば意外とどんな状況でも勤行唱題はできるんですよね。創価時代はただサボっていただけと自覚しちゃいました。そもそも勤行唱題は御供養なのだから何を置いてでもやらなければならないことですからね。今も創価学会員だったらこんな風に思えなかったでしょう。なにせ御本尊は幸福製造機ですからね。(偽物ですけど)日蓮正宗に移籍して信心が深まっていく事に喜びと感謝の日々です。

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