創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

御書に書いてない⁉池田創価のインチキ法門①「師弟不二」

創価の連中が正宗の口伝法門を批判する時の定番は「御書に書いていない」という台詞だ。特に戒壇大御本尊に関しては必ずと言っていいほどこの台詞を口にする。ところが一方で創価の連中は平気で御書に書いていない池田大作の創作妄想インチキ教学を信じ主張するダブスタを発揮する。そこでそんな池田創価の御書に書いていない教学挙げて池田創価教学のインチキ法門を破折していきたいと思う。初回は創価信仰の核心である「師弟不二」を取り上げる。「師弟不二」とは仏法の根幹・根本であり、創価の魂であると池田は繰り返し会員に指導し、創価の代名詞ともいえる「師弟不二」なのだが、実はこの「師弟不二」という言葉は御書のどこにも書かれていないである。「師弟不二」という言葉が見つかるのは日興門流の文書では、妙法蓮華経を修行したまふ其の時弟子あり上行等是なり同く修行したまふ、是より後常に師弟の相を現したまふ故に師弟不二、師弟宛然なり」日蓮聖人年譜・日精上人)、「自受用身に約して師弟不二を示すとは、謂く如我等無異の一句は自らこれ標の文なり」観心本尊抄文段・日寛上人)、「釋尊上行師弟不二ニメ而宛然ナリ」(弁惑観心抄・日応上人)、「此時は何も妙法蓮華経の色心にして全く一仏なり等とは・信の手続きに依りて師弟不二の妙理を顕はし・能所一体の妙義を証する」(有師化儀抄註解・日亨上人)等の御歴代上人の御指南の中である。創価では大聖人直結を謳い御歴代上人の御指南は人師の説と言って切り捨ているが、その創価が切り捨てた中にしか【師弟不二】の言葉は無い。あとは他門流の論書の中に出てくるだけである。つまり【師弟不二】は池田の造語ではないが池田が御歴代上人からパクって使用している言葉である。自分の都合のいい言葉だけをパクるとは流石は法盗人の池田創価学会である。さらに言えば上記の御歴代上人の御指南で分かる通り師弟不二というのはあくまでも御本仏と衆生の関係を示す言葉であり「在家同士の師弟不二」の事ではない。つまり池田は【師弟不二】という言葉だけパクって勝手にアレンジして「仏法の根幹」などというインチキ教義で創価員をMCしているのである。在家同士の師弟は世法でも相撲や将棋、落語やお笑い芸人の世界の中でも存在していて仏法の根幹でも何でもない(創価の教義はシュールなお笑いではあるが)。世法での師弟の絆は美しいものだと思うが仏法の師弟とは異なるし謗法を犯してでも貫くものではない。むしろ「師なりとも誤りある者をば捨つべし」(曾谷殿御返事)と大聖人は御指南されている通りである。戒壇大御本尊を棄て、自分達を僧宝と詐称し、大聖人の仏法を釈迦仏法の一類に位置付ける。これが謗法でなくて何が謗法だろうか。これらの謗法の元凶は池田大作なのである。そんな池田の師弟不二観とは、「戸田先生を人生のすべてを捧げて、お守りしぬいたのは私である。ゆえに私は第三代会長となった。この究極の「師弟不二」の大闘争にこそ今日にいたる学会の大発展の根本の因がある。それを断じて忘れないでいただきたい。」(2006.1.6スピーチ)である。人生の全てを池田と創価学会に捧げて守り抜くのが池田創価の「魂」であり「根幹」だそうだ。池田の言う【師弟不二】とはまさに会員を宗教的権威に隷属させるドクマでありカルト教団の教えである。ともあれ創価員の使う【師弟不二】は「御書のどこにも書いていない」のは事実である。創価の教義では御書に書いていないことは全て「邪義・我見」であるはずだ。そして邪義・邪法に従えば師弟子ともに堕在無間であることも創価教義では決まっている。従って今、池田は無間地獄にいる。その池田に従って無間地獄に堕ちるのは本当の弟子の姿ではない。日達上人は、池田の「師匠が地獄に堕ちるならば、弟子も従う」という誤った師弟観における指導を、「『あの人が師匠だから、あの人が死んで地獄に落ちたならば自分も地獄に落ちても良い』などと言っている人がありますが、これは大変な間違いであります。(中略)法華経にはそのような考え方はありません。法華経は、『師匠が地獄に落ちるならば、自分は法華経をもって救ってやろう』というのが本当の教えなのであります」と破折されている。戒壇大御本尊の許に帰り池田の成仏を願うのが本当の弟子の進む道ではないか。そうしないのであれば池田のインチキ説法に騙されて人生を創価に捧げて死んだら無間地獄。それが創価活動家の末路である。そんな馬鹿な真似はもうやめよう。池田も死んだのだから人生を捧げる必要はないだろう。それとも今度は原田に人生を捧げるつもりか。自身と師匠の成仏を願うのであればいい加減に正法に目覚めるべきである。

 

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大聖人仏法と一般教養で折伏・弘教。

日蓮大聖人は『曾谷入道殿許御書』で◆此の大法を弘通せしむるの法には必ず一代の聖教を安置し八宗の章疏を習学すべしと他宗を折伏するためには相手の宗派の教義・法門を必ず学ばなければならないと御指南されています。大聖人の仏法が他宗異流儀との法論で負けることはありませんが、だからといって相手の主張やロジックを知らなければ一時的であってもやり込められてしまいます。そのような事があってはならないので自宗の法門はもとより相手の教義や攻撃パターンを習学することは重要です。創価員が世法に事寄せて正宗を誹謗中傷する事しかできないのはつまり彼等の無知の裏返しです。昔から特に創価婦人部・男子部は勢いだけです。池田の指導からしなんでもいいから、言い返すんだ。こわがったり、ひるんだりしてはいけない。怒鳴っていけばいいんだ!(中略)反逆者には『この野郎、馬鹿野郎』でいいんだ!」(平成元年3月12日埼玉指導ですから創価員に知性や理性を求める方が無理なのかも知れませんね。さて一方で現実の折伏相手はそんなアタオカの創価や顕正員よりも信仰・宗教に無節操・無関心な友人・知人が多数派です。だから折伏・弘教を進めていく上では大聖人仏法の法門・法義以外の仏教全般や仏教以外の宗教そして一般的な知識も学んでいくことが望ましいと思っています。一般的知識を習学するといっても一般教養の範囲で十分です。僅かな知識でも有ると無いでは大違いです。例えば大聖人の御書中には様々な経典・論書や説話や故事が引用されいますがその内容を少しでも知っていると御書の理解に役立つし御書を読むのも楽しくなります。また折伏の時にいきなり大聖人仏法の法門を語るのはなかなかハードルが高い。そこで一般的な仏教や仏事の話題、格言や仏法説話・故事、或いは聖書・哲学や小説、科学や宇宙・物理や数学などの面白い話を仏法のイントロ部分として使うと意外とスムーズに大聖人の仏法の話へと入って行けます。もちろん自分なりに一般知識と大聖人仏法を結び付けるロジックを組み立てなければなりませんが、有難い事に大聖人の仏法は全てに通じるのでそう難しい作業でもありません。仏法ってホントに凄いって思います。もちろん教学は大聖人仏法の法門・法義が根本ですが、一般知識・教養も学んでると弘教の時にも役に立つと実感しています。創価や顕正の折伏を見て思うのですが、池田大作や浅井昭衛の話が多いんですよね。彼等にとっては尊敬する人物でしょうけど世間の一般人は池田や浅井に興味がある人はほぼいないから池田や浅井の話をしても響かないんですよね。それでは折伏は決まらないし大聖人仏法の話をしないから下種にもならなくて無意味でつまらない。そうなるのは創価顕正会員は自分の組織に関する知識しか学んでいないから圧倒的な知識不足によるものだと思います。だたでさえ創価・顕正村の外の世界に無頓着なのに更に一般的知識もないのでは他人と対話するには致命的です。(しかも中には一般モラルすら知らない会員もいます)創価時代の幹部の折伏対話のつまらなさを何度も見てきてそう感じました。「池田先生は~」と言っても相手は引くだけで会話も進まないし弾まなくて気まずい沈黙になるんですね。連れ出した友人も自分も苦痛以外の何ものでもありません。そんな体験を含め折伏・弘教をしていく上で一般知識は大切だと感じるので仏法研鑽の合間にちょいちょい一般知識も学んでいます。仏法研鑽用の書籍って難解なものが多くて読んでいてたまに頭がオーバーヒートします。そんな時に仏法関連ではない書籍を読むと新鮮で気分転換にもなるし折伏・弘教のヒントにもなります。大聖人仏法の法門法義だけではなく一般の知識や教養を身に着けるのも仏道修行・教学の範疇かなって思いながらいろいろ学ぶのも楽しいものです。

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月間ペン事件で分かった池田創価の事実②

池田大作創価の裏工作が失敗し池田が2度法廷に立って晒された「月間ペン事件裁判」は創価側の勝訴の判決が出ているが、その判決によって恰も池田が潔白で被告の隈部の言ったこと(書いたこと)は全てウソ・デマと創価は会員に触れ回っているが名誉棄損というのは「事実を言っても(書いても)」成立する。隈部によって書かれた記事が「全て噓だった」ということを認定する判決ではない。裁判において注目べきは主文ではなくその判決文の内容なのである。特に名誉棄損裁判においては裁判の過程で何が語られたが重要である。例えば日顕上人の「芸者写真」裁判では宗門側の名誉棄損の訴えが認められず創価の勝訴になったが(この判決は今回の月間ペン事件の判決と真逆であり不当判決という意見もある)だからと言って創価の主張が支持されたわけではなくむしろ判決文では創価が芸者写真を偽造したことが判明している。そこで今回は創価学会員が知りたくなく「月間ペン事件」裁判で明らかにされた不都合な事実を列挙してみる。1.池田会長が地方へ行く際は本部職員の女性を同行させ施設では池田と女性しか入れない状況にあった部屋の存在。2.「人間革命」などの池田著の書籍はゴーストライターによるものであったことが判明した。3.池田会長の行動記録によって勤行をしていない日が多々あり池田のいい加減な信心と自堕落な生活ぶりが判明。4.三菱などの取引先との接待を通じて池田会長が複数の芸者と遊んでいたことが判明した。5.裁判を収束させる目的として、仲介に右翼である笹川良一に多額の現金を渡した事実が判明した。6.若い時の池田が当時大学生であった渡部通子の自宅での情事を発見されたが、当時その部屋は存在していないと主張したが裁判終結後に家族の証言、証拠写真によってその存在が事実であることが明らかとなった(裁判で虚偽の証言をした)7.会員の子供の顔にイタズラ書きをして喜んでいた。もう一度言うが上記の内容は全て「月間ペン事件裁判」で明らかになった事実であり決してウソやデマによる誹謗中傷ではない。これらの事実の詳細と感想については今後別記事で書いてみたいが「3」については過去に記事にしているのでリンクを貼っておく。私も創価時代は御多分にもれず創価大本営発表を鵜呑みにして「月間ペン事件」に関する池田批判は全てデマだと思っていた。仮に「月間ペン事件裁判」の中身を調べようと思ったとしても現在の様にネットも発達していない時代だったので調べるには手間暇がかかり、学会活動に日々追われて身では余計な事を調べる余裕なんてなかった。だから最初に「月間ペン事件裁判」で明らかになった事実を知った時は衝撃だった。池田と女性職員との不適切な関係の事実関係は不明だし、芸者遊びの事実は犯罪ではない。戸田会長も愛人を囲っていたのだから池田が同じ事をしても不思議ではないので個人的には下半身スキャンダルの衝撃度は低かった。衝撃が大きかったのは「人間革命」をゴーストライターが書いていた事と池田の生活態度である。それまで創価幹部から「池田先生は命を削る想いで人間革命を書いている」と聞かされていたのが実際は命を削っていたのはゴーストライターだったとは想像すらしていなかった。それ以上にショックだったのは池田の生活態度だ。私が創価活動家の時の睡眠時間は毎日平均4時間程度。もちろん学会活動をしていたからなのだが、これまた創価幹部から「池田先生は止暇断眠の戦いをされている。弟子の我々も同じ戦いをすることが師弟不二だ」なんて言われて年中無休・24時間体制で学会活動をしながら、朝晩、眠い目をこすながら五座・三座の勤行を頑張っていたのも池田の「信心の基本は、まず第一に、五座三座の勤行を真剣に行ない。題目をできるだけ数多く唱えることである。一日の生活にも、勤行、唱題が源泉となって、偉大な力が躍動してくる。勤行しないと、一日のリズムがこわれ、憂うつで、身体がだるく、話すことも相手に通ぜず、勇気もでない。また日々の勤行が、半ば居眠りであったり、他のことばかりに気をとられて真剣でなければ、その生活も、また環境に流され、居眠りのような生活であったり、心が落ちつかず、たえず不安がつきまとう」等の五座三座の勤行に対する指導を素直に聞いていたからだ。ところが当の池田会長(当時)はというと朝遅く或いは昼頃に起きて朝の勤行もロクにやらないで朝風呂入って按摩を受けてという生活だったのだ。池田先生がこんな自堕落で怠慢な信心だったとは夢にも思わなかった。まさに青天の霹靂だった。こうして池田を信心の指導者・人生の師匠と思っていた幻想が「月間ペン事件」の裁判記録を読んでぶっ飛んだわけだ。池田大作は「生産的な仕事もせず起きたいときに起きて、会員の御本尊への御供養を中抜きした金で食いたいときに食いたいものを食って時間が有り余っているのに勤行すらしないインチキ謗法キモデブオヤジ」だったと知りわずかに残っていた池田に対する尊敬の念もきれいさっぱり消え失せた。こんな自堕落な生活をしている人間が、「信心即生活ですから、金銭にだらしない人は信心がないのだといってよい。信心がしっかりしている人は生活態度も立派であり、金銭的にも清潔できちっとしています。信心のない人は生活もルーズで、仕事もうまくいきません。どうか立派な信心即生活を貫いていってください。」(池田大作講演集第1巻)などという指導をしているのだから指導自体は正しくても池田という人間は信用できなだろう。信心即生活であるならば池田の信心は狂っているという証拠が「月間ペン事件裁判」で事実として明らかになったのである。「現証論」が大好きな創価罵活動家が池田を何といって擁護するかは知らないがような人間を信心の指導者、人生の師匠と仰いで恥ずかしくないのだろうか。創価民は「月間ペン事件裁判」の記録をじっくり読んで欲しいと思う。

■関連記事▶「0分勤行」を創価時代に知ってればなぁ。 - 創価ダメだしブロ

幼児の顔に落書きする池田大作

池田大作の朝勤行の実態

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有名僧侶略伝②最澄(伝教大師)

日蓮大聖人が三国四師と呼ばれた最澄伝教大師)ですが、創価でも正宗でも語られることは少なく天台と比べるといまひとつ影が薄いイメージで日本天台宗の宗祖であり比叡山大乗仏教戒壇を建立したくらいしか知らない法華講員さんも多いと思います。最澄は767年(766年説有)に現在の滋賀県大津市に誕生しました。幼名は広野(ひろの)、父は三津首百枝(みつのおびとももえ)母は藤子と伝えられ生家は渡辺系氏族の小豪族とわれています。778年に12歳で近江国分寺に入り2年後に国師・行表を師に得度受戒し最澄と名乗り見習い僧(沙弥)となり、785年・19歳の時に東大寺戒壇具足戒を受けて正式な官僧(沙門)になります。そして比叡山に一乗止観院と名付けた草案(現在の根本中堂)を結び山林修行に入ります。その後、最澄37歳の803年4月に遣唐使船団の第2船乗船し九州に行き、翌年(804年)7月6日に肥後から出航し9月26日に明州鄮県に到着します。唐では天台山国清寺に参詣したり密教の灌頂も受け翌年5月に帰国の途につきます。帰国の翌年(806年)には天台法華宗に年分度者を求める上奏が1月26日に認められこの日が天台宗の開宗記念日となりました。最澄は52歳の時(818年3月)に東大寺戒壇で受戒した具足戒を棄てると宣言し比叡山に大乗菩薩戒を授ける戒壇を造る事の勅許を求めました。一連の『山家学生式』はこの時に上奏しています。そして822年4月に弟子たちに遺誡を告げ同年6月4日に56歳で入寂しました。最澄の死後7日後の同月11日に大乗戒壇が認可され、比叡山東塔に戒壇院が造立され翌年に桓武天皇の代の年号をとって『延暦寺』の寺号が天皇より授けられたのです。最澄伝教大師)の主な著書としては『山家学生式』『守護国界抄』『法華秀句』などがあります。866年・7月12日に伝教大師諡号が勅諡された。これは円仁の慈覚大師と共に日本史上の初の大師号です。また最澄と言えば法相宗の徳一との「三一権実争論」が有名ですがその話はいずれ別の機会に記事にしたいと思います。

 

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公明党が創価系企業に年間10億円の政治資金を支出。

ノンフィクションライターの広野真嗣氏が公明党創価学会企業に政治資金を支出しているという記事を書いてSNSでも取り沙汰されている。下に相関図を添付したが自民党の裏金問題とは内容の違いはあるにせよこれはこれで問題ありでスルーしていいような話ではないと思うのだがトレンドには上がっていないのは、またぞろ創価からの圧力なのかそれとも創価側が公明外しでリークししたのかとか憶測を呼んでいる。

公明党が“7つの創価学会ファミリー企業”に「政治資金10億円」を支出 資金使途「通信発送費」「購読料」は適切なのか(NEWSポストセブン) - Yahoo!ニュース

 

この構図をみて一番最初に、「暴力団フロント企業とおしぼりや花などのリース契約をしている飲食店?みかじめ料か!」って思った。ファミリー企業から上納金が創価学会に入るシステムなのだろうと勝手に想像してしまう。冷静に考えればファミリー会社でも各自独立したした法人だからさすがに上納金は経理上無理だと思うが無理を通して道理を引っ込めるのが創価のこれまでのパターンなので何をしていてもおかしくはない。まぁファミリー企業はともかく【聖教新聞】に政治資金が支出されているのは問題だろう。聖教新聞は法人はなく創価学会そのもそなんだから。上の相関図も【聖教新聞社】との記述は間違っていて、毎年1億円を超える政治資金が宗教法人・創価学会に直接流れているのである。公党であり税金から政党助成金を受け尚且つ政府与党である公明党が、創価学会という一介の宗教団体に金銭を支出することは政治(政党)が宗教団体に利益供与しているのわけだから名目の如何に関わらず、政教一致の観点からみても大問題だ。

■関連記事▶聖教新聞社 - 創価ダメだしブログ

それにしても統一教会もそうだが「政治と宗教」問題もいよいよ憲法20条だけの規定では処理できない時代になってきた。憲法20条は知っての通り「政教分離」に関する条項で、【 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。 いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。 ② 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。 ③ 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない】という内容だがとても曖昧で結局は内閣法制局の解釈を適用する以外にないのだが、その内閣法制局も政府与党の管理下だから「国」なので公平な解釈など望めない。やはり例えば「政教分離法」というような法律を制定して少なくとも【政党と宗教法人】の関係を明確にするべきだろうと思う。宗教法人による政党への献金や、政党による特定集団体への利益供与の禁止や、宗教法人による選挙活動のガイドラインを明確に設定し罰則も政治家に対しては当選取り消し。宗教法人に対しては法人格の剥奪など設定すべきだろう。そのような法律を制定したところで「信教の自由」が脅かされることはない。「信教」と「政治」は別物だからである。むしろ創価などが「政治的自由」を会員から奪っている方が問題である。だから「信教の自由」と「政治的自由」を守るためにも憲法で足りない部分は法律で補足すべきだ。さて、記事では「そもそも、学会関連企業が公明党から政治資金で支払いを受けることに問題はないのか、という疑問が払拭できない。学会、党、7社にその問いを向けた。」とありその結果は「党と日光警備保障が「問題があるとは考えていない」と短く答えたほかは「担当者が1日不在」になったり、「学会広報室が回答する」(東西哲学書院)といった返答。その学会広報室は「この種の質問にはお答えしない」とするのみだった。」そうだ。学会広報室の回答を筆頭に実に不誠実極まりないといえよう。「お答えしない」のであれば、「お答えする」ように説明責任を追及してもらいたい。それが可能なのはおそらく共産党だと思う。ここはひとつ共産党に頑張ってもらって公明党創価学会を追求してもらいたい。それにしても公明党から2億円近い資金を受け取りながら配達員(無冠の友)をただ同然でこき使っていた創価学会銭ゲバぶりには呆れるね。仏教を信仰しているくせにどれだけ金に執着しているのやら。慳貪ってのは池田創価のことだと思うわ。

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御講拝読御書研鑽(2024年3月・阿仏房御書 )

末法に入つて法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり、若し然れば貴賤上下をえらばず南無妙法蓮華経と・となうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり、妙法蓮華経より外に宝塔なきなり、法華経の題目・宝塔なり宝塔又南無妙法蓮華経なり。今阿仏上人の一身は地水火風空の五大なり、此の五大は題目の五字なり、然れば阿仏房さながら宝塔・宝塔さながら阿仏房・此れより外の才覚無益なり、聞・信・戒・定・進・捨・慚の七宝を以てかざりたる宝塔なり

今月の御講拝読御書は『阿仏房御書』の有名な一節でした。池田創価にかかるとこの御文は「自分が大御本尊」などというインチキ講義になってしまいますが教学を体系付けて学んでいれば「自分が大御本尊」などという我見驕慢教学にはなりません。「阿仏房さながら宝塔・宝塔さながら阿仏房」との意義は日寛上人が『観心本尊抄文段』で「我等一心に本尊を信じ奉れば、本尊の全体即ち我が己心なり。故に仏界即九界なり。我等一向に南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身の全体即ちこれ本尊なり。故に九界即仏界なり」と御指南さされているように御本尊と境地冥合することです。ですから「此れより外の才覚無益なり」の「才覚」とは池田が言う「自分が御本尊であると知る」ということではなく、「御本尊を信じて唱題をすること」つまり「本門の題目を唱える事」でありそれ以外の才覚(自分が御本尊であると知るような才覚)は無益であるということです。そして本門の題目の体は本門の本尊(戒壇大御本尊)であると日寛上人は御指南されいます。【七宝】とは【七聖財】のことで一生成仏に欠かせない修行なので【宝】なのです。その宝(功徳)は御本仏日蓮大聖人の体である戒壇大御本尊に備わっているのです。ですから戒壇大御本尊を棄てた創価員は仮に大聖人の御真筆の本尊に祈っても功徳はありません。創価本尊の真偽以前に池田創価員の信心が「ニセもの」なのです。さて今回の御文で不思議難なのは「我が身又多宝如来なり」の御指南です。なぜ「釈迦如来」ではなく「多宝如来」なのか?ここがポイントです。多宝如来は菩薩の時に「十方世界で法華経が説かれる場所に宝塔を湧き起らせて、自ら現れ、その教えを聞き、証明し、讃嘆しよう」との大誓願を立てた如来なのです。「我が身又多宝如来なり」とは、大聖人の説かれた南無妙法蓮華経法華経)を、「聞・信・戒・定・進・捨・慚」の宝塔を立てて証明し讃嘆する。つまり折伏・弘教をすることが多宝如来なのです。だから私達法華講員は多宝如来としての役割を果たしていく事が重要です。創価や顕正等の異流儀を破折し、縁故の友人・知人達に大聖人の仏法を語っていく。それでこそ大聖人から多宝如来なり」とのお言葉を頂戴できるのです。経験からいえば折伏は続けていれば必ずできます。話していればいつか成就します。折伏もまた「水の信心」だと思っています。折伏成就に向けて焦らず弛まず本門の題目を唱えながら進んでいきたいと思います。

■関連記事▶創価教学じゃない御書講義(2020年1月座談会御書・阿仏房御書) - 創価ダメだしブログ

 

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公明党が次期戦闘機輸出を容認。学会員達は何を思うのか?

公明党は、英国、イタリアと共同開発する次期戦闘機の第三国輸出について、紛争助長を避ける歯止め策の厳格化を条件に容認する方向で検討に入った。従来は慎重だったが、輸出の必要性を訴えた岸田文雄首相の国会答弁を評価した。8日に行う自民党との政調会長間協議で具体化に向けて議論する。政府、自民は月内にも合意したい考えだ。複数の関係者が7日、明らかにした。(共同通信公明党が次期戦闘機輸出を容認した。それについては想定内だから別に驚きもしない。最初は反対・慎重な姿を見せるパフォーマンスをしておいて最後は「歯止めを設ける」といって容認する。第2次安倍政権の時の集団的自衛権の行使容認、岸田政権の安保3文書、そして今回の武器輸出も全て同じパターンで、もはや美しいほどの予定調和である。多くの国民は既にこの公明党のパターンを熟知しているが公明党としては一応は創価学会員向けのポーズを取るのがお約束だからこの茶番を毎回繰り返している。でもそろそろ公明党は「平和の党」の看板を降ろすべきだし、支持団体の創価学会も「世界の平和を目指している」と世間を欺くのは傍から見るとバカ丸出しなので止めた方がいいだろう。どんな政策でもメリット・デメリットがある。その賛否の判断をするのが政治である。そして今の政治は与野党問わず党利党略が優先されている。公明党も政治的判断(党利党略)でこれまでも今回も強硬的な安保関連の政策を容認してきた。しかし池田大作の主張した「世界平和」という視点から見れば武器輸出容認はいき過ぎではないか?。確かに「世界平和」とひと口に言ってもその方法論は複数の選択肢をもつ。軍事力による抑止効果に頼る「世界平和」であるならば武器輸出も核兵器所持も是だろうが、私が知る限り池田大作が語っていた世界平和への道筋はハードパワーの抑止力による平和の構築でなくソフトパワーの対話によるものではなかったか。『人道危機の悪化や各地で相次ぐテロ行為の背景にある「通常兵器の拡散」に歯止めをかけるための制度強化です。(中略)武器取引の規制は、21世紀の世界の平和を展望する上で決して放置することのできない課題として、私も1999年以来、毎年の提言などで繰り返し訴えてきたテーマでした(2016.1.26 「SGIの日」記念提言)』などの池田の発言を読めば寧ろ武器・武力による抑止力には常に否定的だったと理解している。私の理解が正しければ公明党創立者である池田大作の意に反しているし、その公明党、そして連立を組む自民党を支援し両党に投票している学会員は池田の平和理念を否定する師敵対ではないか。私は池田の大謗法を責めて破折をしているが池田の全てを否定しているわけではない。彼の「平和」やその他の一派論としての思想には共感できる部分もある。本当の世界平和と一切衆生の安穏を希求するのであれば武力と貧困と差別をなくしていかなければならないと多くの人々も思っているはずで池田も同じだろう。そうであれば武器輸出は無条件で反対すべき事案であるはずだ。「歯止めの設定」なんてナンセンスだ。そもそも今まで政府与党(国会議員たち)が約束を守ったことはない。公明党だって昔は『消費税は悪』『原発0』とポスターまで作って主張していたのに「時代の変化」のひと言で昔の公約を反故にしてきた。「悪」というものは、少しでも一度でも許してしまえば限りなく拡大していくものだ。最初は日顕上人や宗門僧侶の批判だけしていた創価がいまでは戒壇大御本尊を棄て日興上人の僧宝の座も剥奪している姿を見ればわかるだろう。このようにそもそもが学会の罵活動家は自分で善悪が区別を判断できず組織の命令に従う事が「善」だと思っている奴隷のような人種だからやがて公明党憲法改正に賛成し憲法9条を変更しても「時代が変わった今はそれが正義だ」と主張しかねない連中である。だから彼等は選挙には興味を示すが政治には無関心なのである。「選挙は信心」という言葉がそうした彼等の姿を如実に表している。しかし池田の平和思想に反するような公明党そして自民党を支援することは「創価学会員としての正義」なのだろうか?それが本当に「創価学会員としての信心」なのだろうか?集団的自衛権の行使容認以降は公明党に異を唱え批判している現役学会員も増え創価本部はそのような学会員を逐次処分している。本部に忠実な学会員達は処分された同志を批判するが、元学会員の私からすれば今の公明党を批判することが池田の意向に沿っているし政治を監視するという戸田の指導とも合致していると思えるし創価学会員の保守本流に見える。むしろ今の原田創価公明党は池田思想の破壊者ではないだろうか。まぁアンチ創価勢としては現在の原田執行部と罵活動家達が池田思想を破壊してくることは吝かではないが、学会員達が現在の公明党に何を思っているのか聞きたい気持ちである。今の公明党を池田思想の原点に戻すためには創価本部の意向を無視して公明党を支援しないこと。池田好きで真面目な学会員ほどこのジレンマに苦しむのだろう。元同志として同情申し上げる。

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