創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

創価教学じゃない御書講義(2022年7月座談会御書・四条金吾殿御返事)

日蓮は少より今生のいのりなし只仏にならんとをもふ計りなり、されども殿の御事をばひまなく法華経釈迦仏日天に申すなり其の故は法華経の命を継ぐ人なればと思うなり。

 

今月の座談会御書も過去に取り上げて御文の焼き回しでした。たまには今まで取り上げた御文ではない御書を取り上げて欲しいのですが教学部の怠慢ですね。今度は原田会長の息子が教学部長に昇進したので今後の原田Jrに期待したいところです。

★過去記事はコチラ▶創価教学じゃない御書講義(7月度座談会御書・四条金吾殿御返事) - 創価ダメだしブログ

 

創価教学的には池田大作の『永遠の経典に学ぶ』の中から、【「法華経の命を継ぐ人」が出現したことは、師匠の勝利であり、仏法の勝利です。あとは弟子が、師匠の思いを受け止め、師弟不二の信心で、戦い、勝利することです】こんな指導あたりを引っ張り出して池田先生にお応えする不二の弟子としての戦い(笑)で参議院選挙大勝利って感じですか?座談会でこんな感じの御書講義を聞かされる創価民さんが気の毒です。さて今日は前回とは違う視点で講義したいと思います。「仏力」って当ブログで良く書きますし創価民さんも聞いたり使ったりすると思いますが、「仏力」って具体的にはどのような力なのか?今回の御文にその答えが書かれています。さぁ~ここで5分間、当該御文を読んで「仏力」って何なのか考えてみましょう(笑)はい。では正解発表します。「仏力」とは、されども殿の御事をばひまなく法華経釈迦仏日天に申すなり】この御文の事をいいます。創価のインスタント勤行でも自我偈の最後に、【毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身】って読みますよね。「 毎に自ら是の念を作す 何を以てか衆生をして 無上道に入り 速かに仏身を成就することを得しめんと」と読み下しますが、御義口伝で

◆仏の衆生を護念したもう事は護とは唯我一人能為救護念とは毎自作是念是なり(御義口伝巻上)

と言われているように、「仏力」とは御本仏・日蓮大聖人が私達の成仏(幸福)を常に祈ってくださっている力の事なのです。凡夫の池田大作がいくら学会員の事を祈った所でそれは「仏力」ではありませんから池田の祈りに応えた所で成仏も勝利もありません。いつも言うように四力冥合(妙力)によってのみ成仏が叶うのが大聖人の仏法です。さて、御本尊には「仏力」以外に「法力」がありますが基本的にはこの二つは一体です。しかしメインは「法力」にあるのではなく「仏力」にあるのです。何故なら「法力」が有っても「仏力」が無ければ私達衆生がその「法力」に浴することができないからです。御本仏の「毎自作是念」の大慈悲があってこそ私達は無限の「法力」に浴することが出来るのです。ですから、「御本尊は宇宙の法則を具現化した曼荼羅」というような創価教学は大きな間違いなのです。御本尊はあくまでも法力を所持した御本仏の姿なのです。幸福製造機でも唯のモノでもなく御本仏の姿が御本尊なのです。創価は日寛上人書写の御本尊を日蓮正宗から盗み取って勝手にコピーして本尊にしていますが、その行為は創価が御本仏を作り出しているということになります。そんなこと可能だと思いますか?広宣流布をしているから自分達が御本仏を作っていいなんて本気で思っているのでしょうか?創価民は池田創価が勝手にコピーした自宅の本尊掛け軸を御本仏だと思っているのですか?だとしたらその根拠はなんですか?何の根拠もなしに自分達で御本仏をカラーコピーで作る。これを大謗法といわずしてなんというのか他の呼び方があったら教えて欲しいモノです。以前当ブログでの私との対話の中で創価現役副本部長のTS氏が奇しくも「創価本尊には仏力も法力もない」と言っていましたが、まさにその通りです。TS氏は大正解です。創価本尊に仮に宇宙の法則を図顕した「法力」が備わっていたとしても、前述した通り「仏力」が無ければ事としての「法力」は現れません。「仏力」の備わる本尊とは、日寛上人は『観心本尊抄文段』の中で、

◇我等此の本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身即ち一念三千の本尊、蓮祖聖人なり

と御指南され、さらに同文段において、

◇就中、弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐の中の本懐なり。既に是れ三大秘法の随一なり。況んや一閻浮提総体の本尊なる故なり。

戒壇大御本尊こそが根本総体の本尊(根本の御本仏の姿)であると示されてします。そして私達が戒壇大御本尊を信受して唱える題目は私達の自身の唱題であると同時に私達の口を通じて大聖人が私達に対して「毎自作是念」の祈り(仏力)をしてくださっているのです。法華経の命を継ぐ人】の事を祈っているという根本の意はそこにあります。それが分れば法華経の命を継ぐ人】の定義は自ずと理解できるはずです。この部分については次回また詳しく書きますが(どうせ数年後にこの御文を座談会でやるのだろうから)、ハッキリと断言できることは、創価本尊掛け軸にいくら唱題しようとそんな創価民のことを大聖人はこれっぽっちも祈ってくれないということです。まぁ大聖人よりも池田に祈って欲しいならそれはお好きにしてもらっていいですが成仏はしませんよ。(そもそも今の池田は学会員の事とか祈れる状態なのでしょうかね)むしろそんなインチキ掛け軸に唱題したら謗法を重ねるだけだと忠告しておきます。いやですよね?そんなのは。だったら早く戒壇大御本尊(大聖人)の許に戻りましょうよ。冷静に考えてみてくださいな。池田や創価に貴方を成仏させる「仏力」があるかどうかを。

 

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JIKATSU(創価自主活動支援サイト)の座長・林信男氏の華麗なる変節。

先日、JIKATSU(創価自主活動支援サイト)で座長を名乗る林信男のツイートがTLに流れてきたので読んだら何故か公明党支援のツイートが。『自活グループ』のサイトには、【選挙、新聞、財務ではなく、日常の中で先生と共に生きる。御書と先生のスピーチを学び、祈り心を耕す。その信仰の実感を友に語り伝えるということ。(中略)いきなり決められた人を選挙支援するような選挙運動でもない、新聞拡張員のような活動でもない、心の中で師匠と語らいながら、共に歩む生き方です。】(JIKATSUサイトから引用)と書かれていて選挙支援などという創価組織活動から離れて信心をするというグループであったはずなのにその座長の林氏が何故に公明党応援活動をSNSで始めたのか不思議だった。

★過去記事はこちら▶JIKATSU(創価自主活動支援サイト)に集まる学会員さん。 - 創価ダメだしブログ

そこで、JIKATSUサイトを久々に見てみたらどうやら林氏は自活グループから離れたようである。6月の座談会御書講義は楽しいそうにやっていたのが何故急に自活G活動を止めたんだろう?運営内でのゴタゴタなのか、それとも自活G内で何か有ったのか理由はよく分からないけどJIKATSUサイトのメインコンテンツである座談御書講義を担当してた林氏が自活Gから抜けたのが本当なら自活サイトの運営にも支障があるのではないかと思う。まぁ林氏レベルの御書講義なら代わりはいくらでもいるだろうけど。林氏の身の上に何が有ったのかは分からないし別にそこまで興味があるわけでもないのだが、自活サイトを立ち上げた波田地グループも元足軽会の3人組グループもいつの間にか尻つぼみになって原田創価にかすり傷程度をつけるくらいの事しかできないのは残念である。もっとも執行部派だろうが反執行部派だろうがどちらも池田大作狂に変わりないわけで、『全員謗法』の『アウトレイジ』を見ているようなモノである。前回記事でも書いたが本当に大聖人仏法を自主的に信仰したいなら正宗に移籍するのが最善の方法である。法華講は「ほぼ自活」の世界である。自活仲間を作りそのコミュニティに所属している時点で『自活』とは呼べないと思うが。さて林氏がいかなる理由で自活Gから抜けたのかは別として林氏のこの変節ぶりには驚かされた。創価の選挙戦を否定していたはずの林氏が、【もちろん妙法流布が主眼の御書ですが、法戦で題目をガンガンあげて友人・知人に会うことによりラブ注入ならぬ(笑)題目注入です!法戦即妙法流布の一大機縁でもありますね。】【皆さん、人生の春夏秋冬の中で、真剣な祈り、願いを込めて、この法戦に参加されているのだな。そう思うと目頭が熱くなる思いですし、心で手を合わせたくなります。『法戦即桜梅桃李の物語』ではないでしょうか。】(以上太字は林氏Twitterより引用)などとSNSで発言している。選挙(法戦)即妙法流布って、もうただの莫迦ツドウカ。いままで自活を推進し啓蒙してきたのは何だったのさ。って感じだよね。自活Gの創価民の中には林氏の変節ぶりを批判する人もいるでしょうね。私は一信仰者としてこの変節ぶりは理解に苦しむ。信仰者としての矜持とかないのだろうか。池田大作みたいに最初から信心がない下衆はともあれ、林氏はそれなりの信念が有って自活を推進してたのだと思っていたから、このあまりの変わりようには嘲笑せずにはいられない。また林氏は知識的な部分においては教学をシッカリ教学を学んでいるように思えるのだが、そんな人が法戦即妙法流布・法戦即桜梅桃李の物語なんて発言することも私には理解できない。所詮は池田創価教学の域だから仕方ないにせよ、自活を叫んでいたと思ったら選挙は法戦なんて急に言い出すのは本人には言い訳はたくさんあるのだろうけど変節漢の謗りはまのがれないだろう。林氏の敬愛する池田大作変節漢が大嫌いと言ってたはずだがどうなんだろう。いずれにしても自活もこれで下火になっちゃうかもね。そうなるとちょっと残念かな。所詮、在家同士の集まりなんてこの程度なんだろうけど。しかも自活なんて自分勝手な信心したい人間の集まりし、広く会員の参加を促すためか反創価・反執行部も逆に反日蓮正宗も前面に出していないのでインパクトに欠けるのでコンセンサスを得るのは難しい。そうなると単なる烏合の衆だもんな。林氏にはもうちょっと頑張って欲しかったけどね。まぁ林さんも良かったら日蓮正宗に戻ってくれば?誰からも称賛されないし誰にも偉そうに指導できない。誰かと一緒にわちゃわちゃすることもない。それでも、たった一人でも自分の信心をひたむきに続けていく。そんな真の自活をする覚悟があるならばだけどね。JIKATUサイトに集まっている創価員さんもね。

 

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梵我一如さん、創価員の3連コンボ勧戒おめでとうございます!

梵我一如さんから、友人の創価員さんとその友人とそのまた友人の創価員さん3名が創価を退会し、勧戒受けて正宗に移籍し戒壇大御本尊の許に戻ったとの嬉しい報告をもらいました。こんなに嬉しくて素晴らしい話をコメント欄に埋もれさせてしまっては大聖人様に申し訳ないので梵我一如さんには無許可ですが、管理人の独断と権限で記事に残しておくことにしました。(笑)以下太字は梵我一如さんのコメントからの引用です。

自然に折伏ができました。 こんにちは。僕の創価時代の同志で他支部の部長で、現在地区幹部の知り合いから連絡がはいり、その方が創価時代に折伏をした、同じく地区幹部とともに日蓮正宗のお寺に駆け込んで見事帰伏したということです。 その方には僕が日蓮正宗に行った時に散々に破折したんですが、その時は分かるけど創価はやめれないし、池田先生が間違うとは思わないといっていました。 僕は面倒くさがりなんで、一度破折したらあとは放置プレーなんですが、4年の時を得て自動的にお寺に駆け込んで友人共々信徒になりました。

これが今回の件での最初の梵我一如さんのコメントです。4年前の梵我一如さんの下種が縁だったんですね。4年は経過しましたけど一人への下種が知らぬ間に二人に増えているところが凄いですよね。法が広まっていくプロセスを見ているようです。

 

一昨日は友人とそのまた友人の御受戒に参加してきました! そのまた友人はお寺の御本尊を拝して号泣

そしてこの二人の勧戒に参加された梵我一如さん。友人の友人は、お寺の本尊の前で号泣。梵我一如さんも言っていたけど本当にその気持ち「わかります」よね。やはり心の奥では大聖人を求めていたのでしょう。だけど創価に在籍していればその心を封印しなければなりませんからね。その封印が解け「本物の御本尊」を拝せた時の言葉では表せない気持ち。私もその瞬間のことを今でも覚えています。

 

感動の御受戒後にテンション上がったそのまた友人がソウカ時代に勧誘してしまった友人を折伏! なんと今日はそのまた友人のそのまた友人が御受戒を受けることになりました! 

ここが友人の友人さんのすごい所ですよね。お寺の「本物の御本尊」に感激してすぐに報恩感謝の折伏をする。もちろん最初の友人さんもこの友人さんを連れて戒壇大御本尊の許に戻って来たのだからスゴイです。梵我一如さんの眷属なんだなぁって思いました。

 

今日の御受戒は女性の方です。 すでに、珍聞も断ったそうです。(笑) 御本尊も持参で準備がいいね! 御受戒後に「あ〜、これでもう選挙頼まなくて済む〜。」と心からの声というのか、ほんとに安堵の表情で仰っていました。 

そして3人目の友人の友人の友人さんが勧戒。「選挙を頼まなくて済む」の言葉は、よ~く分かります。自分が公明党に投票するだけならまだしも、何か悲しくて自分の友人・知人に公明党への投票依頼なんかしなけりゃならないんですかね。「選挙は信心」なんて創価は言いますが、大聖人の御書のどこを読んでも「選挙は信心」どころか「政治は信心」とすら書かれていません。池田創価は選挙絡みで違法行為をたくさんしてきた過去(現在も)があるわけで、それが創価の選挙信心ならカルト信心と言われても仕方ないですよね。法令違反で逮捕者を出しているわけですから。でも今回勧誡を受けた3人はもうそんなことからオサラバですね。善哉・善哉。

 

友人とそのまた友人は毎日お寺に通って唱題をしているとのことです。

素晴らしいですね。古くからの法華講員さんだって寺院に参詣しない人は大勢いますからね。それを毎日通って唱題。私も似たような体験を経てきましたが、こういう人は法華講になっても寺院参詣を惜しまなようになります。最初からお寺が好きなんです。早く、ご自宅に御本尊様をお迎える出来るといいですね。

 

大石寺にも是非近いうちに行きたいと盛り上がりました。

御登山は早目に行けるといいですね。戒壇大御本尊にお目通りしたら、それこそ号泣ですよね。梵我一如さん、ナビしてあげてくださいね。私も機会が有れば梵我一如さんと愉快な仲間たちの皆さんと御山でお会いしたいです。

 

友人とそのまた友人とそのまた友人の三人が突然、性狂新聞をパタっと止めちゃって、座談会にもいかないし、選挙もやらないとなると! そう、ソッカー戦闘幹部がやってくるぞー!😭 三人とも大丈夫です!決意は堅いです!👍 と言ってはいますが、ソッカー幹部は創価国語を駆使して屁理屈の達人です。あらゆる意味不な詭弁を強弁してなんだかそうなのかな?ってなっちゃうかもしれません。😵

大丈夫ですよ。このような方達が創価に戻ることはありえません。とはいえ「先々の用心」は大切なので、先回りして創価国の連中が言ってきそうなことをレクチャーしておくのもいいかもしれません。梵我一如さんがいれば何の心配ないですけど。逆にソッカー幹部が気の毒にすら思えます。いや、ついでにそのソッカー幹部も折伏しちゃってください(笑)というわけで、取り急ぎかいつまんで梵我一如さんのコメントをUPしました。それにしても、創価員3人の数珠繋ぎ連チャン・3連コンボ折伏は本当に素晴らしいし嬉しい。創価を退会するだけでもいいことですが、その上で正宗に移籍するという事は、大謗法から大正法に帰依するのですから、地獄から仏界へ移ったことになりますからね。こんなに嬉しい事はありません。このブログを読んで一人でも多くの創価員さんが、このお三方に続いて欲しいと思います。また今回のコメントを読ませて頂いて改めて聞法下種をすることの大切さを確認させてもらいました。下種しなれば永遠に正法の芽は芽吹きませんからね。梵我一如さん素敵な報告をありがとうございました。またお三方のご友人の皆様、本当におめでとうございます!

 

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『化義抄』を学ぶ⑫(52~56条)

記事中の「赤文字」は『化義抄』から「青文字」は日亨上人の『註解』、「太字」は日達上人の『略解』からの引用文といたします。

 

【第52条】謗法の妻子眷属などをば連連教化すべし、上代は三年を限つて教化して叶わざれば中を違うべしと候いけれども、末代なる故に人も機も下根なれば五年十年も教化して、彼の謗法の所を折伏して同ぜらる時は正法の信に失なし、折伏せざる時は同罪たる条分明なり云云。

 

本条項は、自分の妻子や兄弟・親類縁者などの眷属への折伏を継続して行うことを御指南されています。大聖人・日興上人・日目上人の時代(上代)には3年間折伏して入信しなかった時はその妻子眷属とは絶縁すべしという掟でしたが、上代より時代が下った現在においては人の機根も劣るので5年、10年と継続して折伏教化をしていく事とされています。そのように継続して折伏教化をしていくならば妻子眷属等の謗法与同罪にはならないと言われています。逆に妻子眷属への折伏教化をしない時には自分が十分な信心をしていたとしても謗法与同となります。日亨上人は、

◇妻子眷属の謗法を世間一旦の慈愛に溺れて厳重に折伏せず或は教訓折檻を加ふる事ありとも型式一辺にして厳格の処置を為すの勇気なき者は仮令自己は型式の礼拝読経等を怠らぬにもせよ妻子の謗法と同罪たるべし。(註解第86条)     

と御指南されています。即ち「強く言うと嫌われるのではないか?」というような妻子に対する一時の愛情に溺れて折伏教化をしなかったり、或いは単に形式だけの折伏ではいけないということです。妻子眷属に対しては相手の為にもそして家庭や一族の為にも厳格に継続して折伏していくことが肝要です。もちろん、「信心をしなければ離婚だ。勘当だ。」というのは厳格ではなくただの短気、脅迫ですからそのような折伏は不可です。どこまでも真の愛情とは折伏をして大聖人の仏法へ導くことであるということを根本に妻子眷属への折伏を実践・継続していくことが本条項の御指南の趣旨です。

 

【第53条】当宗は折伏の宗なる故に山居閑居は宗旨に背く云云、然れども附弟を立てゝ後は宗旨の大綱に背かず云云。

 

当宗は折伏を旨とする宗派であるので安易な隠居は不可であるという条項です。「もう歳だから」「いままで沢山やったら」といって折伏もせず自宅にこもって唱題行や教学だけをすることは宗旨に背くことになります。ただし後継者を立てた後の隠居については必ずしも宗旨に違背することではありません。このことについて日亨上人は、

◇己れ老憊となり弘化奔走に堪へず徒弟の法器ありて此に堪ゆる者あれば、此を後任として、己は山居閑居するも宗旨の大綱たる折伏の意には背かずといへども、己れに代るべき徒弟も養育せず・且つ身心壮健にして閑遊安逸を貪るは大に宗旨に背くの罪人なり(註解52条)

と言われています。老いて自分の身体が不自由になり、かつ後継の弟子を育成していれば隠居して良いのです。ただし後継の弟子がいるからといって元気なうちに隠居するのは折伏の宗旨に違背します。日顕上人は、日如上人に血脈相承された後も楽隠居することもなく御隠尊猊下として御遷化の直前まで種々の御教導をされていました。それに比べ池田大作創価発表では「お元気」であるにも関わらず、「後継の弟子に全てを任せた」などと言って会員の前から姿を消しています。このような真似は本当に池田が「元気」であるならば本条項に違背する行為です。さらに言えば、在家の身においては後継の弟子に全て任すなどという考え自体が間違っています。『化義抄』はあくまでも法主上人・御僧侶方に対する御指南が主眼です。個人の在家の修行者たるものは、いかなる立場にあろうとも死の間際まで自行化他の修行を怠ってはいけません。「後継の弟子に任せる」など、とんでもない増上慢の言動です。

 

【第54条】他宗なれども祈祷を頼みて・後は此の病御祈祷に依て取り直し候はゞ・御経を持ち申すべき由約束の時は祈祷を他宗に頼まれん事子細無きか、左様の約束も無くして他宗の祈を成さん事は・謗法に同する条更に以て遁れ難し云云。 

 

他宗や無信仰の人から当病平癒の祈祷を依頼された時は、その相手が病気が完治したら必ず当宗へ入信すると約束をすれば御僧侶はその人の当病平癒の祈祷をしても良いが、その約束がないまま謗法不信の人の祈禱をするのは謗法与同になるという御指南です。信徒の立場でいうと未入信の人の祈祷を御住職などに依頼する時はもちろんですが、自分が御本尊に未入信の家族・友人・知人の当病平癒等の祈願をする時も、その相手を必ず折伏しますという強い思いがなければなりません。その思い無くして祈ってもその願いは叶いません。大切な家族や友人・知人の為に祈る時は相手が未入信であれば必ず折伏をするという心をもって唱題申し上げることが肝要です。

◇他宗謗法の人から、病気平癒の祈念を頼まれた時、もし、その人が病気平癒の後は、必らず正宗に信伏帰依すると誓約するならば、その他宗の人の依頼にて、当病平癒の祈念をして差支えありませんが、そのような誓約もなく、ただ頼まれたからとて、他宗謗法の人の祈念を行ってはいけません。もし、行えば与同罪となるのであります。

 

【第55条】学問修行の時は宗を定めざる故に他宗の勤め行事をなし、又他宗のけさ衣をかくる事一向子細なきか、宗を定むる事は化他門なり、学問修行は自身自行なるが故なり云云。

 

本条項は御僧侶のみに当てはまる条項ですので在家を対象としていません。御僧侶が修行中の時は仏法を学ぶ上で他宗の勤行したりや他宗の袈裟衣を着用することは許される。という内容です。昔は檀林等で他宗の教育機関(学校)に通っていた時期もありましたが現在では正宗においても自宗で教育機関も整備されているで本条項に書かれているような他宗の勤行や袈裟衣着用といった心配はありません。当然のことですが在家においては、いかなる理由があっても他宗の勤行をしたり他宗の本尊に礼拝することは固く禁止されています。ただし折伏・破折の為に他宗の教義や歴史を学ぶことは差し支えありません。また、御僧侶方も修行が終われば謗法は厳禁であることはいうまでもありません。

◇それは自身修行中で、自行のためですから差支えありませんが、一度学成り、行積めば、化他のため弘教するのですから、自分も一切謗法を厳禁の上に、折伏すべきであります。

 

【第56条】親先祖、法華宗なる人の子孫の経を持たざれども、真俗血筋分かるに皆何れの代なれども法華宗なるべし、根源となる躰の所、仏種を断つ時、自ら何れも孫ひこまでも断仏種なり、但他宗他門の真俗の人、法華宗の真俗の人に引摂せられ師範の所にて経を持つ人は、縦い引摂する真俗の人仏種を断つ故に不審を蒙るといえども引摂せられる他宗他門の真俗の人は仏種を断つ引摂せらるる人に同ぜずんば師範の不審を蒙るべからず云云。

 

本条項は、まずは親や先祖がしっかりと当宗の信仰を持っていたならば子孫が仏道修行を怠っている程度であれば当宗の信徒・檀家として認められますが、その一族の主が大謗法を犯すような事が有ればその家は当然、檀家としての地位を失い謗法・堕地獄の家系となると言われ、逆に自分を折伏してくれた僧俗が後に大謗法になったとしても、その教化親に与同しなければ当宗の信徒として扱われるという御指南です。この御指南故に私のような元創価員であっても寺院において差別されることはりません。また極稀に昔からの法華講員さんが元創価や元顕正を差別するような言動があると聞き及ぶことがありますが、もしそのような法華講員さんがいるならば本条に違背しているということを知って欲しいと思います。さて、創価民は「池田先生」や「創価学会」のお陰で大聖人の仏法に縁ができたから池田や創価に恩を感じているという人も多くいますが、今の池田創価戒壇大御本尊をすてた大謗法団体です。知恩・報恩は世法や道徳においては美しい心だと思いますが、仏法においてはいくら恩義が有ろうとも大謗法と与同するのは不可なのです。池田創価に対する報恩は創価の与同するのを止め戒壇大御本尊の許に戻り池田創価を破折し折伏することです。

 

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広布推進会に初めて参加しました。

先週のことですが、【広布推進会】の会合に初めて参加しました。というのも私の創価時代からの盟友であるS元副部長がそこで体験談の発表をする予定だったからです。しかしS元副部は体調不良で当日は不参加。でも私達の地区長さんがS元副部の書いた原稿を代読してくれました。彼の折伏体験は良く知っているので本人が発表する姿を見たかったのだけどちょっと残念でした。さて【広布推進会】というのは各寺院の御僧侶と講頭さんなどの法華講員が集まって折伏と育成を推進する会合です。最初に各支部(寺院)の成果の発表がありました。正直目標に対する進捗具合はかなり厳しい数字でしたがそれでも結構な人数が入信しているなぁって思いました。私の住む地域は全国で中盤あたりの順位でしたらほぼ全国平均の数字と思われるので全国的に法華講はそこそこ増えているのだと確認できました。体感では法華講は増えていると感じていましたが数字をあげられると体感が間違っていないと納得でした。創価陣営は正宗各末寺が折伏目標未達ばかりだとアナウンスをしますが、確かに目標未達の寺院は多いけどでも確実に折伏の成果は出ていて法華講は増えているも事実です。おそらく新たに法華講になった人の中には元創価民も相当数いると思いますからその分は創価民は減っているとうのも事実ですね。私は別に目標を達成することに越したことはないけど目標達成しなくても少しずつでも折伏が進んでいけばいいと思っています。大切なのは少しずつでも前進する事だと思ってます。その先に結果として目標を達成があるものだと思っています。また創価報道では法華講が御僧侶から折伏ノルマ達成の締め付けをされているようなアナウンスもしていますよね。では実際はどうなんだろうと【広布推進会】での御僧侶の指導を聞いていましたが、折伏・育成の大切は話されますが締め付けや煽りの指導はまるでなく激励の言葉ばかりでした。法華講になって創価の言う「ノルマ地獄」なんてモノは全く感じたことはなかったですが、【広布推進会】といういわば法華講の活動家ばかりが参加する会合でも「ノルマ地獄」と感じるような指導はないということが確認できました。むしろ創価の会合の方が「煽り」「叱咤」が多く厳しい指導が多かったですね。創価活動家時代の会合に比べると【広布推進会】は、悪く言えば「ぬるい」よく言えば「優しい」そんな感想を持ちました。そもそも『目標』と『ノルマ』は違いますね。『目標』は自分達の決めたもので『ノルマ』は他人から与えられたもの。ですから法華講折伏はあくまでも『目標』ですからもともと『ノルマ』なんてありません。創価の場合は『目標』という言葉を使っていますが、その実体はほとんどが『ノルマ』じゃないですか。どうですか?創価民さん?自分が自主的に決めた『目標』ってあるんですか?ともあれ今回【広布推進会】に初参加して色々と確認できてよかったです。そして今年はまだ個人折伏が成就していない自分としてはなんとか一人今年中に折伏を成就したいとあたらめて思い、日々唱題を申し上げています。「折伏は楽しく」という、私の創価活動家時代からのモットーを忘れずに楽しみながら折伏行をしていきたいと思います。

 

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五老僧超略伝④伊予阿闍梨日頂

伊予阿闍梨日頂は建長4年(1252)駿河国静岡県)重須の豪族・小林伊予守定時を父として産まれましが父が戦死し母が鎌倉に出て、その時に富木常忍と再婚しまし富木常忍の養子となりました。弟に後に日興上人の元で重須の学頭となった日澄師、妹に乙御前がいます。妹の乙御前は御書を承った日妙聖人の娘の乙御前とは別人です。日頂は富木常忍の香花寺であった若宮の真間弘法寺(当時は天台宗寺院)で出家し文永4年(1267)頃に大聖人に謁し弟子となり日頂の名をたまわりました。大聖人ご在世の時はこれいった功績はありませんが、富木常忍が釈迦仏を建立した時に大聖人に代理で開眼をしています。身延において大聖人の元で薫陶を受けていましたが熱原法難の際にも特別な活躍はしていません。ただ【伊予房は機量物にて候ぞ】【いよ房は学生になりて候ぞつねに法門きかせ給へ】と御書に書かれているように法門理解に関してはある程度大聖人の信頼を得ていたと思われます。大聖人が御入滅の時には葬儀も、その後の百日法要にも日向同様に「他行中」として不参加でした。他門流はこの向・頂の不参加について「止む得ない正当な理由があっただろう」という推測していますが、ならば逆に「他行中」の内容を誰も伝えていない方が不自然だと私は思います。だた日向同様、大師匠である大聖人の葬儀と百日法要のどちらにも不参加だったことは向・頂は弟子としての自覚に著しく欠けていたと思われても仕方ないでしょう。日頂においては養父・富木常忍が大聖人の葬儀に連なっていますから尚更「他行中」の内容が伝えられていないのは不自然です。さて、大聖人滅後の日頂は最初は真間弘法寺を弘教の拠点とし、永仁3年(1295)頃からは和名ヶ谷(現在の松戸あたり)を拠点に教線を張っています。養父・富木常忍は若宮の法華寺と真間の弘法寺を両寺一寺制を敷いていました。若宮法華寺の流れを中山門流といい弘法寺の流れを真間門流といいます。日頂は一応は真間門流ということになりますが、常忍の子でありながら法華寺弘法寺どちらも相続できませんでした。これは日頂が永仁元年(1293)に常忍に勘当されたためです。勘当の理由として中山門流では法華寺で行われた大聖人の3回忌法要に遅参し勘当されたという、いわゆる「泣き銀杏」伝説を用いていますが、真間門流では真間の俗別当(在家の寺院経営者)であった及河七郎宗秀の讒言により日頂は勘当されたという事になっています。及河七郎宗秀は我が子を弘法寺の主職にしようと企て邪魔者の日頂を落とし入れたわけです。当時、日頂は真言宗僧侶と通行がありそのことを常忍に讒言したということです。中山の「泣き銀杏」説より真間の及河陰謀説の方が有力と言われています。いずれにしても日頂の勘当は常忍が死ぬまで解かれることがなく、法華寺は帥阿闍梨日高(大田乗明の子)に弘法寺は日楊(及河七郎宗秀後見人)に相続し富木常忍は正安元年(1299)に無くなりました。(弘法寺の開山は日頂となっていて日頂から日楊に相続した説もあります)さて、日頂は常忍の死の翌正安2年(1300)3月まで和名ヶ谷にとどまり、その後に故郷の重須に帰ります。日頂は弟の日澄師の後を追うように富士に戻りましたが、重須に戻ってからの日頂の動向を伝える文書は何もなく詳しくは分かっていません。そして文保元年(1317)3月8日。66歳で入寂しました。日頂の母・妙常尼は日常寂後に重須に移り、日頂・乙御前とともに隠棲したと伝えられおり、その草庵が現在の重須・正林寺で日頂が開山となっており、日頂達の母(妙常尼)、日頂、日澄師、乙御前、定時の5人のお墓があります。

 

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法隆寺のクラウドファンディングに思う。

「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」の正岡子規の俳句で有名な奈良・法隆寺がCF(クラウドファンディング)で資金調達をしている報道がありました。コロナの影響で拝観料が激減して維持管理費を賄うためCFに踏み切ったようです。

世界遺産法隆寺ー1400年の歴史遺産を未来へー(法隆寺 2022/06/15 公開) - クラウドファンディング READYFOR

法隆寺聖徳太子が建立した寺院で世界最古の木造建築があるお寺です。そしてなんといっても世界遺産ですからね。多くの日本人が知っている超メジャーな寺院ですね。流石は法隆寺です。目標の2000万円を一日足らずで集め現在は5000万円超の寄付が寄せられたそうです。これが新興宗教団体には手に入らない権威というものでしょう。寄付した人の大半は法隆寺に対する信仰心ではなく文化遺産を残したいという気持ちで、いうならば被災地への義援金と同じような感覚で寄付したのだと思います。それだとしても歴史・文化を残し伝えようとする日本人が大勢いることは嬉しく思います。日本人の心もまだまだ廃れていないと感じることができ清々しい気分です。因みに法隆寺法相宗系の聖徳宗という宗派の本山です。聖徳太子建立の寺院なので聖徳宗です。信徒はおよそ2万人。と聞くと多いようですが新興宗教団体はもとより他の既存宗派と比べても恐ろしく少ないのです。それでも寺院を維持できたのは年間65万人と言われる参詣者の拝観料があったからです。法隆寺の拝観料はお高目の大人1500円ですから平均1000円の拝観料収入で換算すると65万人で年間6億超。コロナで参詣者が減少したとはいえ3億円超の収入があります。信徒2万人弱の宗派ですから3億でも十分だと思うのですがそれでは資金不足だそうです。コロナのせいにしていますが資金不足の根本原因は、拝観料に依存して弘教(信者獲得)を疎かにしていたからだと思います。弘教もせず、ただ寺院を管理をしているだけで6億超の入金がある。それに住職達が胡坐をかいてきた結果が今回の資金不足の最大の原因です。そもそも、宗教団体の目的とは自宗の教義を弘めることで、それはとりも直さず自宗の信徒を増やすことなのです。それを放棄した宗教団体は最早、宗教団体とはいえません。ただの観光事業です。CFしなければ寺院の維持管理ができないならば法隆寺は国営化すればいいと思います。宗教団体として弘教しないなら国営化しても政教一致になりませんから何の問題もありません。普段は弘教もせずに寺の儀式と手数料(拝観料)商売しているくせに金に困ったから皆さん寄付をしてください。っていうのは正直って法隆寺は既に宗教としてテイを成していないと思います。建築物や文化物を見世物にして供養を徴収すし、それで生活をするの事は僧侶として尊敬できるものではないです。法隆寺に限らず既存宗派のほとんどは弘教しないのが当たり前だというのが現代の風潮ですね。その結果、歴史や伝統を持つ多くの既存宗派は廃れ、創価幸福の科学のような新興宗教団体に信徒を奪われたのです。各宗派の宗祖・開祖が見たら今の既存宗派の体たらくをどう思うのでしょう。そんな中、既存宗派でおそらく唯一といっていいと思いますが日蓮正宗は弘教を旨としています。弘教するが故に世間からの批判もあります。世間どころか既存宗教の僧俗でも正宗を批判する人をみ受けます。しかし私はそんな日蓮正宗は素晴らしい宗派だと思っています。正宗においては拝観料もなければ賽銭箱もない。御供養をしたいと言われても信徒以外からの御供養は受け取らない。なのでCFなんて当然することもない。あくまでも信徒からの御供養だけで総本山及び末寺を維持管理しているのです。私はこの姿が本来あるべき宗教団体の在り方だと思ってます。人が大勢集まって拝観料や賽銭で経済的に潤ったとしても信徒が増えなければ宗教として何の意味もない。つまり有っても無くてもどっちでもいい存在です。現代の日本人の宗教離れは、宗教は有っても無くてもどっちでもいい存在であるという考えに起因することが多いと思います。信徒を増やし(弘教して)、信徒の御供養で運営していくのが正しい宗教団体の在り方だと思いますし、そうすることによって宗教は必要なものであると人々は思うようになるのではなきでしょうか。そういう意味において日蓮正宗は宗教の王道だと思います。逆に多くの他宗派は宗教としては邪道を歩んでいると思います。参詣者が減り拝観料の売り上げが下がって大変だから寄付してくださいなんて宗教人としては恥じるべきことだと思います。寄付した方々の真心は美しいと称賛できますが、法隆寺の僧侶達に対しては、「恥を知れ」と思うばかりです。ともあれ、日蓮正宗法隆寺のような窮状にいつなるや分かりません。いままでの宗史においても何度か大石寺が疲弊した時代もありました。それでも時の僧俗が一致団結して戒壇大御本尊を守ってきました。そうした歴史の上に私達は戒壇大御本尊をいただいています。これを後世に残すためには日蓮正宗の信徒としては折伏・弘教以外にありません。法隆寺のCFの報道を見て改めて日蓮正宗の素晴らしさと、法統相続を含めた折伏・弘教の大切さを感じました。

 

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