創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

「御遺命守護完結奉告式」のたばかり。ショウエーのウソ発信器①

その場しのぎの出たとこ勝負でウソを連発する顕正会の浅井昭衛。いまではスッカリ「たばかり昭衛」「嘘つき昭衛」のイメージが板についた感じだ。世間では「ウソ発見器」なるものがあるが浅井昭衛はさしずめ「ウソ発信器」といった所だ。しかし浅井のウソはすぐにバレてしまうから池田大作のような一流の詐欺師にもなれないし、大川隆法のようにあからさまに笑いを取りに来ているピン芸人にもなれず、中途半端なただの「嘘つき爺さん」なので面白味に欠ける。そんな「噓つき爺さん」に尻尾を振って懐くから顕正会妙観講に「犬性会」などと揶揄されてしまうのだ。嘘つき爺さんに騙されて大判小判を搾取されている顕正会員の姿にポチも草葉の陰で泣いていることだろう。さてこの「昭衛のウソ発信器」が作り出した数々の「たばかり」を知らない新参者の顕正会員向けに浅井昭衛の過去の「たばかり(ウソ)」を何度かに分けて教えてあげようと思う。第1回目として【御遺命守護完結奉告式】にまつわる「たばかり」を題材にしたい。【御遺命守護完結奉告式】とは正法堂解体により顕正会の御遺命守護が完結したとして浅井が行った一人芝居である。その浅井だが過去に御遺命完結の暁には、1日蓮正宗信徒に復帰できる。2幹部は常住御本尊がいただける。3一般会員は御形木御本尊が下附される。4登山が許され戒壇の大御本尊様への御内拝ができる。5天母山頂上で 初代講頭先生の遺影を抱き鏡割りをする。6松本日仁尊能化の満山供養を願い出る。7顕正寺(現・顕正会典礼院)は宗門へ供養する。などと散々吹いていたが、現時点で何一つ実現していない。つまりこれらは全て浅井のたばかりだったのだ。それも当然で正本堂を解体した理由に浅井昭衛など1mmも関係がない。浅井の功績や影響など何もない。よって浅井顕正会に褒賞も恩赦もない。浅井昭衛は全くの部外者なのである。一人で先走って【御遺命守護完結奉告式】などという猿芝居を演じた浅井には気の毒であるが笑い(失笑)を取れたので良かったではないか。因みのこの時期に創価内では顕正会が宗門に戻るといういうウワサがあったが、浅井も多少でも宗門に戻れるという淡い期待をしていたならとんだ勘違い野郎である。顕正会を解散しイチ信徒として許しを乞わない限り浅井が宗門に復帰できる可能性は0%である。では何故浅井は昭和50年代から「御遺命守護完結の時には~」という嘘発言を連発してきたのだろうか。もちろん一番は顕正会員に夢を見させて会員を教団につなぎとめるのが目的なのだろうが、思うには浅井はまさか自分が生きているうちに正本堂が解体されるとは思っていなかったではないだろうか。正法本堂は解体されないという前提ならいくらでも口から出まかせを吐いて会員を欺くことができる。だからたった20年あまりで正本堂が解体されて一番慌てて焦ったのは浅井だと思っている。逆に云えば創価よりも顕正会の方が正本堂を必要としていたという事だ。正本堂池田大作の謗法の結晶であると同時に浅井昭衛の謗法の象徴でもあるからだ。正本堂が解体されてしまったらそれまでの浅井顕正会員の活動の大義名分も無くなってしまう。更に言えば【御遺命守護完結奉告式】自体も大嘘だ。御遺命守護が【完結】したのであれば顕正会に残された使命はもうないのである。つまり顕正会は不要な存在だということだ。そうでなければ【完結】にならない。普段から御遺命を前面に出している顕正会だが、浅井昭衛自身がこのように【御遺命に関するウソ】をついているのである。そして正本堂解体の後はこれまたそれまでも発言を反故にするウソのオンパレードで宗門誹謗を続けているがその話はまた別の機会にしよう。まぁ最近では顕正会員部も浅井に見習ってウソとデマを吐き散らかしているが、これまた浅井同様にすぐにバレて妙観講にコテンパンにされるというドリフのコントのような安定のワンパターンである。末端の顕正会員もいつまでも浅井や顕正会幹部の出オチのコントに付き合っていない方がいいと思うぞ。

 

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日寛上人の御書文段の御指南③(観心本尊文段上)

暫くもこの本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来らざるなく、理として顕れざるなきなり。

この観心本尊文段の一節は有名な御文なので一度は聞いたことが有る方も多いと思います。読んだ通りなので特にこれといった解説はありませんが、この御文は我々大聖人門下の因行果徳が具体的に書かれている御文です。この本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば」とは我々信徒の修行です。この本尊」とは当該文段の冒頭に【この本尊に人あり法あり。人は謂く久遠元初の境智冥合自受用報身。法は謂く久遠名字の本地難思の境智の妙法なり】と書かれているように人法一箇の本尊ですから「仏力・法力」です。そして「信じて」は「信力」で、南無妙法蓮華経と唱うれば」が「行力」です。この四力が合わせた修行が大聖人仏法における正しい因行です。そしてこの正しい因行の結果が次下の「則ち祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来らざるなく、理として顕れざるなきなり。」という果徳となるわけです。これが我等大聖人信徒のそして末法衆生の即身成仏の因行果徳です。大聖人仏法は自力本願でも他力本願でなく自他力を冥合させる信心なのです。私が大聖人の仏法に魅かれるはこの自他力が合致こそが人生の本質だと思うからです。人生の幸福や成功は自分一人の力ではなし得ないしかといって自身の努力なくしてもあり得ない。自力と他力が合致して初めて人生は幸福の方向へ向かってものだと思います。念仏のように他力でも禅宗のように自力でもない。自他力どちらにも偏らずその二つを事相として融合していく信仰は他に類を見ません。ここに大聖人仏法の素晴らしさがあると思います。さてこの文段の御文は池田創価の指導にもよく使われる御文ですが、インチキ創価教学では日寛上人が言われている「この本尊」について何も教えません。イカサマ創価指導は「この本尊」「この信心」と口癖のように言うけど、「どの本尊」「どの信心」かという具体的な事はまずいいません。日寛上人はこの御文の書かれている『観心本尊文段』の中で具体的に、【就中弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐の中の本懐なり。既にこれ三大秘法の随一なり。況や一閻浮提総体の本尊なる故なり。】戒壇大御本尊が「この本尊」の正体・根本であることを示されています。弘安二年の戒壇御本尊を棄捨した創価の題目に信力も行力もなく創価が拝む日蓮正宗海賊版本尊には仏力も法力もないことは日寛上人の御指南から明らかですが創価はこの部分を隠蔽し切文を使い会員を欺ているわけです。これが池田創価イカサマ教学なのです。同じ『観心本尊文段』に書かれいる御文の中である部分は利用しある部分は否定する。ましてや日寛上人書写の本尊を拝んでいて日寛上人の御指南に反するのですからこれほど矛盾した事はないのです。仏法は道理です。その道理から言えば創価の信心・創価の本尊では祈りは叶わず、罪は蓄積され、福は逃げていき、理は埋もれたままという事です。切文のイカサマ創価教学に騙されている学会員は本当に哀れですね。

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「勤行法要」という創価のインチキ法要。

今日は彼岸の中日。午前中に菩提寺で奉修された彼岸会に参詣してきた。創価でも今年から「勤行法要」を各地の会館や墓苑で行っているそうで、今日は「秋季彼岸勤行法要」だそうだ。それに先駆け9月18日の聖教新聞で彼岸法要についての座談会が掲載されたが西片青年部長という阿保が相変わらず日蓮正宗に対するデマ発言を言っている。(以下太字は聖教新聞からの引用)※10月1日の教学試験の範囲にもありますが、日蓮正宗日顕宗)は、“僧侶による葬儀や回向が成仏のために不可欠”などと主張していますが、大聖人は、そのようなことは一切言われていません。※“僧が上で俗が下”などという「権威主義」「差別思想」も、本来、仏法にはありません。※“塔婆が成仏に不可欠”というのも、御書のどこにもない邪義です。何かにつけて供養ばかり要求する住職らの姿勢に、今や法華講員もへきえきしているとの声が届きます。宗門は、化儀を悪用し、金もうけの道具にする大罪を犯してきたのです。これらの西片発言は全く根拠のない嘘八百である。このような指導・指南は正宗には存在しない。男子部なら正々堂々とした論陣を張り正宗の教義を破折すればいいのに、機関誌を使い作り話のデマを言って正宗を貶め会員を欺く。こんなヤツが青年部長なのだから呆れかえる。因みに西片のSNSにデマ発言の根拠を提示するように求めたが無視だ。どこまでも無知で下衆な臆病者が西片青年部長の本性だ。また理事長の長谷川も莫迦で、※そもそも、僧侶による葬儀、法要、戒名等の化儀は、大聖人御在世の当時にはないもので、江戸時代の檀家制度の影響で普及したとされています。と大聖人当時から存在していた化義を江戸時代から普及したと「されている」などというあやふやな表現を使った発言をしている。こいつは理事長のくせに御書も読んでいないのだろう。そんなことを言うなら創価の「勤行法要」なんて行う必要もなかろう。そもそも「勤行法要」って何なんだ?法要で勤行唱題するのは当たり前だろ。「勤行法要」なんていう言葉は正宗では聞いたことないわ。創価の説明では「随方毘尼」の観点から「勤行法要」を行っているらしいが、ならばちゃんと世間一般に合わせた法要をすべきだろ。御本尊への献膳もなければ塔婆もない、導師はスーツを着た修行もなにもしていない創価のオッサン。「勤行法要」といいながら勤行は方便自我偈。それに焼香を付け足しただけ。こんな彼岸法要を世間には存在しないのである。せめて創価コスプレ坊主でも呼んで体裁くらい整えなければ、「随方毘尼」とは言えないだろう。一体どの地域でこんな法要を営む習俗・風俗があるのか教えて欲しいモノである。こんなの単なる唱題会でわざわざ会館に行く必要もない。焼香台を購入すれば間に合う話だ。会館や墓園でインチキ法要を開催するのは単に広布基金を集金するのが目的としか思えない。もっとも昔から創価の法要なんてこんな感じだからほとんど行く人はいない。私が男子部活動家の時も盆・彼岸の法要なんて行ったこともないし参加している学会員も見たことない。おかげで私も正宗に移籍してからしばらくは寺院の法要に参詣するという気持ちがなくてようやく毎年行われる法要の意義を理解できるようになりここ数年は各種法要に参詣するようになった。法華講になっていかに創価が仏教を蔑ろにしているかよく分かるようになった。そもそも儀典部のオッサンが導師をして何の意味があるのか?もっと言えば戒壇大御本尊を受持しない創価の法要は先祖の追善どころか苦しめるだけである。大聖人は『唱法華題目抄』で、◆適仏事をいとなみ法華経を供養し追善を修するにも念仏等を行ずる謗法の邪師の僧来て法華経は末代の機に叶い難き由を示す、故に施主も其の説を実と信じてある間訪るる過去の父母夫婦兄弟等は弥地獄の苦を増し孝子は不孝謗法の者となり聴聞の諸人は邪法を随喜し悪魔の眷属となる。と御指南されている。戒壇大御本尊を会員に捨てさせている大謗法の池田創価の行う法要は追善をしているつもりでいて御先祖は地獄の苦しみを受け、またそれに参加して喜んでいる学会員は魔の眷属となるのだ。亡くなった人たちに追善供養をしたいという尊く美しい心も創価のインチキ法要のせいで台無しなのである。自分がいくら先祖に追善供養をしていると思ってもそれは単なる自己満足であって先祖は貴方の事を恨めしく思っているのである。大聖人の仏法において戒壇大御本尊を受持しないという選択はない。なぜならそれが一番の大謗法だからである。創価民はそこに早く気づかれよ。そして正しい大聖人の仏法での正しい追善供養・法要を行い先祖に対したま御本仏に対して報恩を尽くすのが仏法者として人の子として大切なことである。

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【法華玄義】の基礎知識②(序と五重玄義)

『法華玄義』は本文に入る前に最初に『私記縁起』『序王』『私序王』『譚玄本序(たんげんほんじょ)四種の序が書かれています。これらのうち『私記縁起』『私序王』は章安大師が『序王』『譚玄本序』は天台大師の筆です。『私記縁起』にはいわゆる天台大師の十徳と呼ばれる事跡が書かれいて『序王』は法華経のエッセンスが書かれています。『私序王』は章安大師の筆なので天台大師の筆の『譚玄本序』は『私序』に対して『本序』と呼ばれます。本文においては『私序王』の中に『本序』が含まれた形になっています。『私序』の最後の【此の妙法蓮華経とは本地甚深の奥蔵なり】以下の文が『本序』の部分になります。これらの『序』の次に本文に入りますがそこにも序章が設けられてそこで最初に五重玄義(五重玄)の説明がされています。五重玄とは釈名(しゃくみょう)・弁体(べんたい)・明宗(みょうしゅう)・論用(ろんゆう)・判教(はんぎょう)の【名・体・宗・用・教】の事で、天台大師は法華経如来神力品第21の結要付嘱の文である「要を以て之を言わば、如来の一切の所有の法(名)、如来の一切の自在の神力(用)、如来の一切の秘要の蔵(体)、如来の一切の甚深の事(宗)は、皆此の経(教)に於いて宣示顕説す」を五重玄の依文として挙げています。そして五重玄の解釈には「通」と「別」があります。この通・別にも「同」と「異」、「共」と「各」という二つの解釈があります。同・意とは五重玄が全ての経典に通用する解釈方法であることを「同」といい、経典によって五重玄の内容が異なることを「異」といいます。つまり全ての経典を対象とした場合の通・別です。対して共・各はひとつの経典だけに適用される解釈です。『法華経』に適用すれば、「共」とは「七番共解」であり、「各」とは「五重各説」のことをいいます。「七番共解」は「略説」であり、「五重各説」が「広説」になります。この「七番共解」と「五重各説」を用いて『妙法蓮華経』の経題の持つ意義を解釈をしているのが『法華玄義』です。さてここで天台大師と日蓮大聖人の五重玄の違いをごく簡単に説明します。大聖人の五重玄とは末法に入て今日蓮が唱る所の題目は前代に異り自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり名体宗用教の五重玄の五字なり(三大秘法禀承事)との御妙判がありますがこの意味は大聖人の五重玄とは即南無妙法蓮華経であるという事です。つまり天台大師の五重玄が「教相・法門」であるのに対し大聖人の五重玄は「観心・法体」だということです。ここの五重玄の立て分けは是非覚えて欲しいと思います。大聖人の御書の中に「五重玄」という言葉が出てきますが、天台大師の五重玄を表している場合と大聖人の五重玄を表している場合があるので読み分けてください。

 

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創価怪文書『地涌』を破す①(北林芳典の人物像)

創価怪文書も最近ですっかりネタ切れで単なるゴミと化したが、創価怪文書の大元といえば『地涌』だろう。『フェイク』『創価新報』等の正宗誹謗はほぼ『地涌』が元となっている。その『地涌』からの発信が無くなってからというものの創価の正宗誹謗ネタはカビが生えてとてもじゃないが食えたものではないネタとなっている。すでに『地涌』が発信してきたネタはほとんど破折済みではあるがいまだに創価地涌ネタで正宗誹謗をしている現状だ。そこで今さらではあるが創価怪文書地涌』の正宗誹謗の言説を連載で破折していきたいと思う。第1回目の今回は『地涌』の内容ではなくこの怪文書を書籍化した報恩社の代表である北林芳典の人物像について書いてみる。このシリーズの資料として使用するのは『地涌選集』なのだが、『地涌からの通信』も含めてこの怪文書を出版しているのは報恩社だ。報恩社は創価学会葬を行う会社でいわば創価の外郭団体である。葬儀屋がこのような書籍を出版しているだけで既に怪しすぎるが、いずれにしても創価とこの怪文書が密接につながっていることは否定のしようがない。

そしてその報恩社の代表が北林だ。『地涌』の著者である不破優は北林であるという説もありその真偽は定かではないが不破と北林には深い関連があることは十分証明されるだろう。この北林芳典という人物は元々が昭和時代に【SCIA】(創価学会CIA)とか【山崎師団】と呼ばれたいた山崎正友が率いる池田創価の謀略部隊の一員として山崎氏の部下だったようだ。山崎氏の著書(月間ペン事件)によれば身分を隠し各宗教団体に出入りし情報収集や謀略活動という任についており「大山正」というを使い教団の弱みを握り金を稼ぐとう”宗教ゴロ”だったそうだ。余談だが山崎氏によれば北林は酒グセ・女グセは相当ひどかったようである。宮本共産党委員長宅電話盗聴事件などにも絡んでいるが、何よりも北林は創価の【集団替え玉不在投票事件】の首謀者の一人で執行猶予付きの有罪判決を受けた【元犯罪者】である。このような怪しい人間を外郭団体・報恩社の社長に就任させたのは言うまでもなく池田創価であり北林は報恩社の社長業の傍ら謀略活動を続けていたと山崎氏は証言している。また北林は自身でも書籍をいくつか出版しているがその中の一冊に「判決―日蓮正宗妙観講連続電話盗聴事件」とモノがあるが、本の内容は一連の裁判の内容を知らない人をミスリードしてあたかも妙観講が宗門(日顕上人)の命令で盗聴をしていたようなことが書いてあるが、結論だけ言うと裁判所は妙観講の盗聴をしたという主張に根拠はないと判決している(詳細はそのうち今シリーズで書くかもしれない)。そうした事実を隠して巧妙に話をスリカエ正宗を誹謗する。自分こそ共産党委員長宅の電話盗聴をしていたのに妙観講を批判する書籍を出版するとは何かのギャクとしか思えない。(しかも妙観講の盗聴はデッチアゲ)。実に呆れたものである。流石は【元犯罪者】は発想が一般人とは違うと寒心するばかりだ。こうした北林の騙しの手口・ロジックは怪文書地涌』のロジックと酷似しており、山崎氏の証言にある「大山正」というPN(偽名)を使って”宗教ゴロ”として各教団から金集めをしていた経歴を併せて鑑みれば「不破優=北林芳典」説の真実味が帯びてくる。なおこの北林流イカサマ理論はいまでは一部の創価罵活動家に相伝されている模様である。山崎正友や原島嵩などなど多くの創価退会者の話は「デマ」「ウソ」で片づけるくせに、北林のような人物が関り出版している『地涌』の内容を信用するという創価民のオツムの中は一体どんな構造をしているのだろうか。『地涌』内容など読むまでもなく北林の人物像を想えば『地涌』が単なる正宗誹謗を目的とした怪文書であるかは分かるのだが、いまでもこの怪文書を使って正宗誹謗を続ける創価罵活動家とそんな罵活動家に騙されている善良な学会員・一般人に対しての破折とメッセージを込めて今後はこの『怪文書地涌』の破折をしていきたいと思う。

 

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竜の口法難会へ初参加しました。

先日の12日に御登山から帰ったあとに菩提寺の『竜の口法難会』へ参加しました。恥かしながら御法難会には初参加です。創価時代には大聖人にまつわる法要など全くなくてただ「今日は大聖人に○○の日だね~」で終わってしまうので特に何事もせずその日を過ごしてました。(大聖人の○○の日であると言わないの方が多かったけど)。そんな創価時代の悪癖が抜けておらず菩提寺で執り行う法要に対して無頓着でしたが徐々に創価臭が抜けてきてようやく寺院での法要に進んで参詣しようと思えるようになってきました。考えれば『竜の口の法難』は大聖人が発迹顕本された重大な日ですよね。外用においては大聖人の御入滅が不滅の滅を顕われた日ですが、内証においては竜の口での発迹顕本が滅不滅を顕わせたわけですから。いわば御入滅が「事顕本」で竜の口は「理顕本」といった感じでしょうか。御入滅を祝う『御大会』と同じくらい重要な意義があると改めて思いました。発迹顕本といえば創価でもよく使う言葉で「創価学会の発迹顕本」とか「自分の発迹顕本」などと口にし耳にしました。でもコレって完全に間違った使い方なんですよ。【発迹顕本】とは衆生を導くために仮の姿(凡夫や菩薩など)に出現した仏様がその姿を払って本来の仏様の姿(本地)を顕わすという意味ですから、末法の荒凡夫に使う言葉ではありません。ましてや凡夫の集合体の「創価学会」に発迹顕本なんてありえないのです。凡夫の本地は凡夫以外の何者でもないのです。ただ凡夫の命にも仏界が具わっているというだけでその仏界を涌現してもそれは九界所具の仏界ですから本地はあくまでも九界なんですよね。そこが凡夫本仏論の池田低級創価教学の創価員には理解できないのでしょうね。【発迹顕本】という言葉を使えるのは最初から御本仏である大聖人以外にいないのです。その発迹顕本の日に報恩感謝するのが『竜の口の法難』ですね。今回、『法難会』に参加して折伏弘教にもっと精進・専心していこうと決意を新たにしました。口先だけで「大聖人直結」などといって実際には大聖人と無関係なことばかりの創価を辞めて本当に良かった。

 

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日蓮大聖人檀那略伝③・日妙聖人

日蓮大聖人には女性信徒も大勢いましたが中でも個人的に一番なのが、乙御前の母の日妙聖人です。幼い乙御前をつれて佐渡の大聖人の許を訪ねるその純真さと強さは間違いなく私の中では「お嫁さんにしたい御信徒NO.1」です(笑)。そんな日妙聖人の氏素性はハッキリしていません。鎌倉の信徒で夫と離婚か死別をして寡婦だったこと。幼い子供を連れて佐渡まで行ったから年齢は多分20代前半。また幼女が「乙御前」と呼ばれていたので夫は武士階級(御前は階級の高い女性の名前に付ける尊称)であったと思われます。そんな日妙聖人が大聖人を訪ねて乙御前と佐渡に行ったのは大聖人の竜の口の法難と佐渡流罪により鎌倉信徒の1000人中999人が退転したと大聖人が言われ大聖人の教団が壊滅状態に近かった文永9年(1272)のことです。当時の世相は◆相州鎌倉より北国佐渡の国・其の中間・一千余里に及べり、山海はるかに・へだて山は峨峨・海は濤濤・風雨・時にしたがふ事なし、山賊・海賊・充満せり、宿宿とまり・とまり・民の心・虎のごとし・犬のごとし、現身に三悪道の苦をふるか、其の上当世は世乱れ去年より謀叛の者・国に充満し今年二月十一日合戦、其れより今五月のすゑ・いまだ世間安穏ならず、而れども一の幼子あり・あづくべき父も・たのもしからず・離別すでに久し。
(日妙聖人御書)と御書に書かているように非常に物騒な世の中で日妙聖人と乙御前の道中も山賊・海賊が充満し宿場もままならい旅でした。そのように命を落とす危険もある中で頼れる男性もなく幼子を連れてたった二人で大聖人に会いに行く。不安で恐ろしいこともたくさんあったことでしょう。そして諸天に守られ佐渡の大聖人にお会いできた時には安堵と歓喜で涙したこと思います。そんな日妙聖人を優しく慈しむ大聖人の姿。その傍らで無邪気に微笑む乙御前。そんなワンシーンを妄想してはもらい泣きするわけです。決して裕福だったわけではない日妙聖人は帰りの路銀が尽きてしまい大聖人が一谷入道に費用を用立ててもらい無事に鎌倉まで帰ることができました。鎌倉での日妙聖人の事跡の詳細も不明ですが◆御房たちをも・ふびんにあたらせ給うとうけ給わる・申すばかりなし(乙御前母御書)とあるように鎌倉の大聖人門下を何らかの形でサポートしていて大聖人の耳にもそのことは聞こえていたようです。鎌倉に戻った日妙聖人に大聖人が与えられた『日妙聖人御書』に◆当に知るべし須弥山をいただきて大海をわたる人をば見るとも此の女人をば見るべからず、砂をむして飯となす人をば見るとも此の女人をば見るべからず、当に知るべし釈迦仏・多宝仏・十方分身の諸仏・上行・無辺行等の大菩薩・大梵天王・帝釈・四王等・此女人をば影の身に・そうがごとく・まほり給うらん、日本第一の法華経の行者の女人なり、故に名を一つつけたてまつりて不軽菩薩の義になぞらへん・日妙聖人等云云。とありこの時に大聖人から【日妙聖人】という名前をいただきました。「聖人」とは仏の別号で「聖人」号を大聖人から頂いたのは大田乗明と日妙聖人の二人だけですが、日妙聖人は「聖人」号だけでなく「日」号も授かっておりW受賞は異例中の異例です。在家で裕福ではないただのシングルマザーに【日妙聖人】という名前を大聖人が与えられた。これだけで日妙聖人の信心がどれほど凄かったのか想像に難くありません。また大聖人が身延に入山された後も、やはり大聖人を慕って乙御前と共に身延に参詣しています。そして大聖人から◆いかなる事も出来候はば是へ御わたりあるべし見奉らん・山中にて共にうえ死にし候はん(乙御前御消息)「何かあったらいつでも身延に来なさい。食べ物がなくなったら貴女と共に餓死しましょう。一緒に即身成仏の題目をあげましょう。」という大慈悲あふれるお言葉をもらっています。その後の日妙聖人親子の消息は不明ですが、大聖人御入滅後においても法脈に迷うことなく第二祖・日興上人を慕い乙御前と共に重須に移り住んでいます。やっぱり「お嫁さんにしたい御信徒NO.1」ですが、私の信心では日妙聖人にお断りされるだろうなと思います。(笑)

 

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