創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

ぶもっく和尚・残念な正信会僧侶の有様

最近では各宗派の僧侶がSNSYouTubeといったネットで様々な活動をしているが、その中に『ぶもっく和尚の法話』というYouTubeチャンネルがある。大石寺や日興上人の話をしたり動画に【鶴丸】が映り込んでいたから閲覧した当初は日蓮正宗の御僧侶が運営しているのかとも思った。でも正宗の御僧侶がYouTubeやっているなんて聞いたことないし正宗では【和尚】という言葉は使わないから変だなぁって思っていたら正体は正信会(任意団体)の僧侶だった(しかも教学部長らしい)ので納得した。このぶもっく和尚だが最初は動画をアップするだけだったのだが収益が上がらないからなのか「有料ファンクラブ会員」の募集を開始した。ファンクラブは3種類の金額設定である。

「レベル1」は月額490円で会員限定の動画が視聴できるそうで「一般公開では話しにくい内容」だそうだ。創価や正宗の批判でもしているのだろうか?

「レベル2」になると非公開動画の他にぶもっく和尚のネット早朝唱題会に参加できるそうで会費もいきなり月額2990円になる。尚、唱題会は週3で朝5時半から30分の模様。夜の方がいいのではないか?と思うが。

最高ランクの「レベル3」はなんと月額6000円で特典はぶもっく和尚の大檀那になれるというだけで「レベル2」の倍額の価格になる。月額6000円も払うならぶもっく和尚の大檀那にならないで正信会に入会して好きな時に好きな金額を供養した方が安上がだろ。まるで詐欺みたいな価格設定だ。一応は「メンバーシップ」と横文字を使ってライトな雰囲気作りを装っているけど要するにこれは今風の「乞食行」「托鉢」でしょ。つまり不特定多数の人から「布施」を受け取るという行為に他ならない。確か正信会の提唱する「正信覚醒運動」とは「祖道(日蓮大聖人・日興上人の教えと信仰)の恢復」と「宗風の刷新」だったと思うが、はてさてこれはどうした事か。日興門流を名乗る正信会のしかも教学部長なら日興門流は「謗施を受けない」謗法厳戒が宗旨であることを知らないはずがなかろう。また日蓮正宗に「布施」という概念はなく全て「戒壇大御本尊への御供養」であり僧侶はその御供養を取り次ぐだけということも知っているだろう。「メンバーシップの会費」だろうと「唱題会への参加料」だろうと何なる名目であっても受戒をしていない信徒以外の人から金銭を受け取るのは紛れもなく「祖道違背」の謗法行為以外の何ものでもない。「正信覚醒運動」などとカッコつけているが背に腹は代えられない、貧すれば鈍するでこんなカタチで稼がないとやっていけいないとは無惨としかいいようがない。それにこの和尚は若そうだが一体どこで出家して何を修行して誰が和尚と認定したのだろうか。正信会はどこの宗派でもない。つまり新興宗教団体だ。新興宗教団体公認の和尚って剃髪して袈裟衣をつけているだけで創価顕正会の幹部と何も変わらないだろ。こんな惨状で「祖道の恢復」をスローガンに正宗を批判するなど烏滸がましいにも程がある。正宗を批判したところで所詮は異流義。逆に破折されるのがオチなのだからそんな暇があったら信徒獲得のために祖道の折伏でもしたらどうか。もっとも信徒に下付する本尊もないのではそれもままならないということか。正信会僧侶は同じ正宗からの離脱コスプレ坊主の創価坊主が羨ましかろう。なにせ創価坊主は何もしないのが仕事で余計なことしなければ創価に食わせてもらえるののだからな(笑)私は正信会については多少は同情しているんだよ。創価坊主と違って池田創価の被害者だから。でも唯授一人血脈を否定し法主上人を誹謗したら完全に異流義なんだわ。ネットで説法して布施をもらうような残念な姿を晒すより頭を下げて正宗に戻って小僧からやり直す方が僧侶としての本分ではないだろうか。今や異流義・正信会は「祖道の恢復」どころか「祖道の壊滅」を企てる池田創価のお仲間だ。哀れとしかいいようがない。この際、池田創価と手を組むか。一時顕正会と手を組んだ正信会僧侶もいたことだし、こちらとしても池田創価の正宗批判は正信会の焼き回しだからまとめて破折できるのでひと手間省けるので助かるというものだ。

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有名僧侶略伝③空海(弘法大師)

空海は774年、四国・讃岐に地方官吏だった佐伯直田公(さえきのあたいたきみ)の子として生まれました。18歳で大学に入りましたがその2~3年後に山林修行に入り私得度僧として出家しましたが出家後の足取りは不明ですが、804年の32歳の時に最澄と同じ遣唐使船団で正式な僧侶として入唐します。空海がいつ正式に受戒得度したかは不明ですが一説には東大寺戒壇院で具足戒を受けたと言われています。入唐に当たって、最澄が還学生だったの対し空海は留学生でした。そこで最澄とは違い唐の都の長安まで足を延ばし青龍寺密教系第7代祖師の恵果に師事しました。その密教の秘法を学んだ空海は翌805年に恵果から伝法阿闍梨の灌頂を受けます。そして空海密教を日本に広めるために806年に帰国します。809年に太政官の許可を得て帰京した空海は高雄山寺(後の神護寺)に入ります。810年の藤原薬子の変を機に空海嵯峨天皇の支持を受け一気に活動の場を得ます。39歳で高雄山寺で最澄ら145人に灌頂を授ける。43歳(816年)の時に真言密教の山岳道場を作るために高野山の下賜を嵯峨天皇に願い勅許を得て翌年に金剛峯寺の建立に着手し同年9月に空海自身も登山しました。821年には讃岐の満濃池を修築に成功しその後は822年・東大寺真言院建立、823年・平安京の東寺を賜り真言密教専用の道場とし828年に東寺の隣に庶民の学校である綜芸種智院を開設、830年に淳和天皇が諸宗に宗旨を説明するように命じた勅に答えて『秘密曼荼羅十住心論』と『秘蔵宝鑰』を著しました。そして835年に真言宗に年分度者3名の勅許を得ます。この年(835年)の3月に空海は62歳の生涯を閉じ入寂します。空海は荼毘に付されましたが、高野山金剛峯寺奥の院に入定(瞑想状態)し救いを求める衆生の前にいつでも現れるとし四国遍路で「同行二人」と書かれた笠や杖をもつのも弘法大師空海)と二人で行くという意味です。札所や真言宗寺院で唱えられる「南無大師遍照金剛」の「遍照金剛」とは空海の灌頂名(密教僧としての名)です。また弘法大師の大師号は921年に醍醐天皇から贈られました。

 

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創価学会退会の処方箋①家族が創価学会員で退会できない方

創価退会に際して学会員の家族の存在が大きな障害になっている方は大勢いると思います。家族による信教の自由への妨害は宗教二世問題として創価に限らず新興宗教団体に共通する問題になっています。私の知人の創価員にも家族と諍いを起こしたくないという理由で創価退会を躊躇っている人もいるし、なかには退会すると離婚をすると配偶者から脅迫されている人もいます。結論から言えばそのような親や配偶者から脅迫や虐待を受ける可能性がある人は無理に退会する必要はありません。親や夫(妻)だっていつまでも子供や妻(夫)を押さえつけておける力がある訳じゃないですからいずれ必ず退会のチャンスが巡ってきますからそれまではなるべく創価の家族や組織と関わらないようにやり過ごすのが得策です。創価信仰に関することで家族を犠牲にする人は池田創価によってMC(マインドコントロール)されているのです。こちらもそう理解して創価の親・兄弟・妻子と接することが大切です。私も創価活動家時代には自分の親や夫よりも池田大作優先という活動家を随分と見てきました。自分の時間だけならまだしも家族や友人などの親近者を犠牲にしてまで創価の活動に没頭し池田大作に心酔している創価活動家にとても違和感がありました。一歩間違えれば私もそのような人間になっていたかもしれませんが私の場合は池田大作に特別な思い入れはなく日蓮大聖人の仏法に興味の矛先が向いていたので創価MCにかかることはなかったのが不幸中の幸いだったと思い返しています。「創価を退転する人間は師弟が分かっていない」と創価活動家はいいますが池田との師弟関係など大聖人仏法とも自分の人生とも無関係ですから分からなくて結構です。そんな池田創価にMCされた家族の目を覚まさない限り真の解決はなく、そのためには貴方が創価から退会して創価MC家族を救う以外に方法はありません。実際に私を含めて創価から退会して正宗に移籍した人達は親・兄弟・親戚・友人を創価狂から隔離したり退会させることに成功している人が大勢います。必ずしも正宗に移籍する必要はないですけど誰かが最初に創価を退会しない事には一族の創価MC解除は始まりません。だから今すぐには退会できないせよ、いつかは退会するという強い意志を持ち続けることが大切です。それと特に創価二世以降に人に伝えたいのは、貴方は「創価二世」などではありません。貴方は初代なのです。貴方の親などの創価一世も創価以外の宗教の家に生まれて実家の宗教ではない創価信仰を始めたのです。その時に親・兄弟・親戚に反対されたはずです。それでも創価に入会して創価一世になったのです。それと同じように貴方も創価二世ではなく「初代・自分」なのです。創価二世の貴方が創価を退会することと親たちが創価一世を選んだことは全く同じ行動なのです。だから「二世」という呪縛から自分を解放することです。創価一世の親達がそうしてきたように自分は二世なんかではなく自分が初代なんだと自覚し自立して欲しいのです。「創価二世」という言葉はまさに創価ドグマに他なりません。「二世」という言葉を自分に向けて使うのはやめましょう。ともあれ創価親族がいてもすぐに退会できる人は一日も早く退会する方がいいです。それが創価のMCにかかっている創価親族の為でもあり自分自身の為でもあります。

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■参考記事はこちら▶創価学会の退会方法(静かに創価を去るために) - 創価ダメだしブログ

 

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他門流寺院見聞記⑦【正住山内船寺・日蓮宗】

先月の御登山の帰りに少し遠回りして内船寺を見学してきました。大石寺から車で約1時間の内船寺は山梨県南巨摩郡南部町にある日蓮宗の寺院です。四條金吾頼基が建治3年(1277)に邸内に三間四面の持仏堂を建立したのがその始まりで、弘安8年(1285年)に自邸を改めて寺として四條山正住坊と称したそうです。その後移転を繰り返し今の地に落ち着いたとされていて寛政年間に一度、安政年間に二度の火災に遭い、現在の本堂・庫裡は1855年安政2年)に再建されたもです。山間の小さな寺院なので境内を見て回るほどでもないですが、ここに立ち寄ったのは四条金吾と日眼女夫妻の廟所を見たかったからです。他にも見ることはできませんでしたが寺宝として四条金吾夫妻の木像があるそうです。また境内には俳人大野林火の句碑もありました。さてお目当ての四条金吾夫妻の廟所は案内板がないのでなかなか見つかりませんでしたが本堂の裏手の墓地の一角にそれらしきものが見えたので昇っていくと「内船四条金吾の墓」とありました。もう少し分かりやすく「経路」の看板を立てて欲しいと思いましたが発見できてよかったです。四条金吾夫妻の存命だった頃に思いを馳せて内船寺を後にしました。大石寺からやや遠いので敢えて行く必要もないのでしょうけど四条金吾夫妻の廟所を観ることが出来て良かったです。もし近くまで行くことがあれば立ち寄ってみてください。因みにこの寺院は2017年に公開された映画『あさひなぐ』のロケ地で、同映画および主題歌である乃木坂46のシングル「いつかできるから今日できる」のヒット祈願を秋元真夏高山一実星野みなみの三人が行ったそうです。まぁどうでもいい事ですけど日蓮宗は色々やってますね。早く正宗に戻ってくればいいのに。四条金吾御夫妻もそれを望んでいると思います。

四条金吾殿の廟所。

「本堂」この裏手の坂を上った場所にに金吾夫妻の廟所があります。下からも見えます。

「山門」ですね。この奥が境内です。

日蓮宗寺院のお約束の大聖人の像です。

「鐘楼」です。古刹寺院らしく年季が入ってます。

境内には池があります。「ふくろう」の置物は必要ですかね?

寺院縁起の看板です。

山門の手前に駐車場(無料)があります。車はここ止めてください。

 

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月間ペン事件で分かった池田創価の事実③「裸の三畳間」

池田大作の「裸の三畳間」は「月間ペン事件裁判」でもっとも興味を惹く部分だ。「裸の三畳間」とは、松島通子(旧姓・後の渡部道子)宅の三畳間で裸の池田大作が松島通子の前に立っていたというもので、証人として元学会員の「小沢よね」「飯野なみ」の二人が出ている。二人とも当時松島宅を拠点として活動していた婦人である。また当時松島家に同居していたいう「高根美枝」も証言台に立った。創価側は、「当時、松島家に彼女たちのいう三畳間すらなかったことが当時の松島家の住人や家族また昭和三十年度の『大宮市市政要覧』の中に写されていた航空写真等から裏付けられて、全く信憑性のないものであることが判明している。」(野崎勲・「創価学会の真実」)と反論しているが、判決文では、「一見客観的な証拠であるかのように思われる当時の市勢要覧『おヽみや』中の航空写真は問題の部分が余りにも小さすぎて細かい点を見分けることは困難である上、最も大切な撮影時期のデ-タがあいまいなため、ほとんど証拠的価値はない。」と航空写真は証拠にならないとバッサリ切られている。同居人の高根美枝に至っては、高根証人・ずっと以前のことですので、松島規さんと松島家の間取りについて確認しました。裁判長・どういうふうに確認しましたか。高根・ここに玄関があって、ここに「三畳間」があって・・。裁判長・ちょっと待って下さい。その三畳間がまさに問題になっているんですよ。』創価側が存在していなかったと主張していた三畳間が「あった」とポロっと言ってしまった。「言い間違い」と釈明しているが判決文は「同居していたという高根は三畳間の存在を否定する一方で逆に三畳間の存在を認めるようなことも口走っており同女が正にこの点を主たる立証趣旨とする証人であったことを前提にすると、これを単なる言い間違いに過ぎないものとして軽視してよいか問題なしとしないようにも感ぜられるのである。」と高根の発言を問題視している。さらに高根は『弁護人・あなたが当時寝ていた部屋は?高根・六畳の間です。弁護人・その部屋では誰と一緒に寝ていましたか?高根・わかりません。覚えていません。弁護人・風呂は誰が焚いていましたか。高根・私がいたときは私の仕事でした。弁護人・当時、風呂は何で焚いていましたか?高根・わかりません。』と証言し、しびれをきらした裁判長が質問し以下のようなやり取りがあった。『裁判長・自分で焚いていたんでしょ?わからないというのはおかしいじゃないですか?高根・わかりません。裁判長・誰と一緒に寝ていたかも、すんなり出てこないのはおかしいでしょう。高根……。裁判長・当時あなたはおいくつでした?高根・二十八歳でした』証言当時33歳の人間が28歳の時に風呂の燃料も誰と寝ていたかも「わからない」とは到底常識では考えらない供述で高根が松島家に同居していたこと自体が偽装工作と疑われてもおかしくない。ところが裁判長は池田の女性関係の立証が不十分であるという判決を下した。この裁判自体が名誉棄損で池田の女性関係が争点でなく決定的な証拠もないことからそのような判決になったのであろう。しかし隈部が死亡して判決が確定した後に松島家の三畳間が存在していた事が渡部(松島)通子の実姉である藤原行正の妻の証言と福島源次郎の写真から証明された。遅きに失した感もあるが創価の「三畳間は無かった」という主張が虚偽だったことが証明されたのである。冒頭に引用した野崎勲の発言は真っ赤なウソだったわけだ。また藤原の妻は妹の通子と池田の不倫関係を「事実である」との証言し数々のエピソードを後年になり語っている。それにしても何故創価は「三畳間は無かった」という虚偽の主張を法廷で展開したのか?池田と通子に不適切な関係がないという確固たる証拠を池田・創価が提示すれば三畳間が存在は無関係だ。三畳間の存在を否定する法廷戦術を選択したということは池田の潔白を証明する証拠もなかったという事だ。判決も池田は「シロ」ではなく「クロ」の証拠がないという意味合いの判決文になっている。創価の主張する「隈部がでっち上げた事実無根のスキャンダル」というのは事実と少し違うと思う。争点となった三畳間は存在した。創価は存在しなかったと虚偽の主張を展開した。私は「裸の三畳間」の真偽より、虚偽の法廷戦術を展開したやり方に創価がいくら池田の事を一流の人格者だと宣伝しても社会や世間から疑惑の目を向けられ信用されない理由があるのではないかと思う。(記事中黒太文字は判決文・青文字は裁判記録より引用)

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日蓮大聖人檀那略伝⑨・南条時光(下)

日興上人が大聖人の御遺骨を奉持して身延に入山したのは弘安5年10月25日ですがその後、弘安8年に日向が身延に入山すると身延は謗法と化しついに日興上人は身延を離山することになります。(日興上人の身延離山史については過去記事をお読みください)日興上人は正応2年に身延を離山し富士河合の御養家に滞在します。南条時光は早速身延を離山した日興上人を南条家の持仏堂(現在の下之坊)にお招きし同年3月に日興上人御一行が南条邸に到着するとそこから半里ほど北に広がる四神相応の地「大石ケ原」の寄進を申し出ました。こうして同年秋に大石寺創建の工が始まりました。工事は着実に進み正応3年10月12日に十二間四間の大坊が完成し六壺とも称され、寺号は大石寺と号しました。日蓮大聖人滅後9年目。日興上人45歳・南条時光32歳の時でした。8年後の永仁6年に日目上人に大石寺に託され日興上人は重須に移られました。時光は日目上人対しても変わらない赤誠の誠を尽くします。時光は正和5年頃に入道し大行と名乗っています。元亨3年に妻の乙鶴が死去しその一周忌に自邸を菩提寺にすることを発願します。現在の妙蓮寺がこれに当たります。元弘元年には日蓮大聖人の五十御恩忌の法要を盛大に行うとその翌年の正慶元年(1,332)5月1日、南条時光はその74年の生涯を閉じます。総本山・大石寺では今日に至るまで5月1日には大行会を奉修しその功績を称えています。幼少の時より大聖人・日興上人・日目上人と人は変われど不変の信心を貫いた南条時光は時の法主上人に信を取るという姿は日蓮大聖人の信徒として明鏡です。大石寺に御登山するとそんな南条時光の信心に思いを馳せます。話は変わりますが、自家用車で大石寺に御登山する方は時間が許せば、ぜひ妙蓮寺・下之坊にも立ち寄ってみたください。特に下之坊の藤棚は圧巻です。GW位が見頃でしょうか。

■関連記事▶日蓮正宗寺院参詣記②【多宝富士山・妙蓮寺(下条)】 - 創価ダメだしブログ

日蓮正宗寺院参詣記⑤【富士山下之坊の藤】 - 創価ダメだしブログ

 

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創価学会員の為の御書要文講義④(四恩抄)

次に僧の恩をいわば、仏宝・法宝は必ず僧によって住す。譬えば、薪なければ火無く、大地無ければ草木生ずべからず。仏法有りといえども、僧有って習い伝えずんば、正法・像法二千年過ぎて末法へも伝わるべからず。故に、大集経に云わく「五箇の五百歳の後に、無智・無戒なる沙門を失ありと云ってこれを悩ますは、この人、仏法の大灯明を滅せんと思え」と説かれたり。しかれば、僧の恩を報じ難し。されば、三宝の恩を報じ給うべし。

今月の座談御書は「生死一大事血脈抄」。以前も講義した御文なので過去記事をリンクしておいた。今月の座談会御書は創価が信心の血脈を切文で悪利用する定番の御文だね。そんな創価員の偽教学の破折と是正の念を込めて今回は『四恩抄』の御文を取り上げる。この御文はまず創価では取り上げることがないだろうからぜひ創価員には学んで欲しい。『四恩抄』は同抄に「仏法を習ふ身には、必ず四恩を報ずべきに候か」とあり仏法修行者は一切衆生の恩・父母の恩・国王の恩・三宝の恩の四恩に報じるべき旨の御指南が書かれている。中でも三宝に対する報恩が基本である。それは仏道修行とは三宝帰依の信がなければ始まらないし、そもそもが仏法者とは三宝帰依した人間のことである。そして今回の御文は三宝の内の仏教を習い伝えてくれた僧の恩を述べている段である。中国から日本に仏教を持ち込んでくれたのは僧侶だから僧侶がいなければ日本に仏教は存在していなかったかもしれない。その後各宗派が立宗したが、どの宗派でも本尊や教義・化儀は僧侶によって後代に引き継がれ現在に至っていてその恩徳によって在家の衆生は仏教に縁することができる。特に日蓮正宗は唯授一人血脈相承で御歴代の法主上人に法体・法門が伝持された故に戒壇大御本尊を護り伝えることができた。もちろんそこには法主上人を支えてきた大石寺の御僧侶の存在があったことは言うまでもない。それだからこそ創価学会も誕生し多くの学会員が戒壇大御本尊に帰依し功徳を享受できたわけだ。牧口常三郎日蓮大聖人から直接仏法の教えを聞いて受戒したのではない。牧口が受戒できたのは日興上人以来正法を護持してきた御歴代法主上人と大石寺御僧侶の恩徳があればこそだ。それを自分たちの教団が大きくなり独立した途端に大聖人直結などという詭弁を弄し正法を伝持してきた法主上人や御僧侶方を誹謗中傷し、剰え日興上人を僧宝の座から引きずり下ろし我々創価学会こそが僧宝であると主張しているのが池田創価学会員でそこに報恩の誠はない。仏道修行の根本とは本抄にあるように「報恩」の志である。池田創価は根本の三宝報恩の心がなくして信心の血脈だけを主張する。だから池田教学は偽教学なのである。三宝に対する報恩の想いもないくせに功徳ばかり欲しがるから乞食信心なのである。大聖人は本御文で大集経を引用し末法の僧侶の咎をあげつらって僧侶を悩ますのは仏法を滅亡させる事とに同じだと言われている。日顕上人や宗門御僧侶に対する池田創価の誹謗中傷はまさに大聖人仏法を滅ぼそうとする所業であり池田創価は大仏敵・大謗法である。そんな大謗法の池田創価を破門するのはむしろ当然であり正しい。破和合僧とは池田創価のことだということは今回の御文に明示されている。大聖人の敵となり大謗法者となって堕在無間となるより日蓮正宗に移籍して三宝へ報恩することが正しい大聖人仏法の信仰者なのである。創価学会員の皆さんに少しでも後生を願う心や先祖を想う気持ちがあるならば、早く謗法団体・池田創価学会から戒壇大御本尊の許へ戻るべきである。三宝破壊の池田創価には「信心の血脈」すらない。よって創価海賊版本尊を持っても無益どころか害毒にしかならないのである。

■今月の座談会御書の過去記事▶創価教学じゃない御書講義(2019年2月の座談会御書・生死一大事血脈抄) - 創価ダメだしブログ

 

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