創価ダメだしブログ

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日蓮大聖人檀那略伝⑩・南条時光(下)

日興上人が大聖人の御遺骨を奉持して身延に入山したのは弘安5年10月25日ですがその後、弘安8年に日向が身延に入山すると身延は謗法と化しついに日興上人は身延を離山することになります。(日興上人の身延離山史については過去記事をお読みください)日興上人は正応2年に身延を離山し富士河合の御養家に滞在します。南条時光は早速身延を離山した日興上人を南条家の持仏堂(現在の下之坊)にお招きし同年3月に日興上人御一行が南条邸に到着するとそこから半里ほど北に広がる四神相応の地「大石ケ原」の寄進を申し出ました。こうして同年秋に大石寺創建の工が始まりました。工事は着実に進み正応3年10月12日に十二間四間の大坊が完成し六壺とも称され、寺号は大石寺と号しました。日蓮大聖人滅後9年目。日興上人45歳・南条時光32歳の時でした。8年後の永仁6年に日目上人に大石寺に託され日興上人は重須に移られました。時光は日目上人対しても変わらない赤誠の誠を尽くします。時光は正和5年頃に入道し大行と名乗っています。元亨3年に妻の乙鶴が死去しその一周忌に自邸を菩提寺にすることを発願します。現在の妙蓮寺がこれに当たります。元弘元年には日蓮大聖人の五十御恩忌の法要を盛大に行うとその翌年の正慶元年(1,332)5月1日、南条時光はその74年の生涯を閉じます。総本山・大石寺では今日に至るまで5月1日には大行会を奉修しその功績を称えています。幼少の時より大聖人・日興上人・日目上人と人は変われど不変の信心を貫いた南条時光は時の法主上人に信を取るという姿は日蓮大聖人の信徒として明鏡です。大石寺に御登山するとそんな南条時光の信心に思いを馳せます。話は変わりますが、自家用車で大石寺に御登山する方は時間が許せば、ぜひ妙蓮寺・下之坊にも立ち寄ってみたください。特に下之坊の藤棚は圧巻です。GW位が見頃でしょうか。

■関連記事▶日蓮正宗寺院参詣記②【多宝富士山・妙蓮寺(下条)】 - 創価ダメだしブログ

日蓮正宗寺院参詣記⑤【富士山下之坊の藤】 - 創価ダメだしブログ

 

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