創価ダメだしブログ

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日蓮大聖人檀那略伝⑧・南条時光(中)

日蓮大聖人が身延に入山するとともに日興上人の富士地方の積極果敢な折伏が開始されその教線は拡大しその結果熱原法難が惹起します。(熱原法難については過去記事をリンクしましたのでそちらを参考にしてください)熱原法難の報告を受けた大聖人は時光に急使を遣われ残った信徒たちの保護を要請しました。熱原法難は平左衛門尉頼綱の意向を受けたもので熱原信徒に加担すれば幕府を敵に回すことになりますが、時光は大聖人の御意のまま熱原信徒とその家族を匿い守ります。そして大聖人から上野賢人という「賢人号」を授かります。しかしこのことが原因で時光は過分の租税や夫役を課せられるなど謗法者達から経済的な迫害を受けることになります。「わずかの小郷におおくの公事せめあてられて、わが身はのるべき馬なし、妻子はひきかくべき衣なし」(上野殿御返事)との仰せの如く、時光は乗る馬もなく妻子は着る物もないほど困窮します。またこの迫害の最中に弟の七郎五郎の突然の死に遭遇します。七郎五郎は16歳の時に時光と共に身延で初めて大聖人にお目通りし大聖人も「あはれ肝ある者かな男や男やと見候いしに」(上野殿御書)と期待された僅か三か月後の急逝でした。時光にとっては残された最後のたった一人の兄弟でした。しかし時光はこの悲しみと逆境の中でさらに信心に励みますます信心堅固になっていくのです。経済的な困窮の中でも「かかる身なれども、法華経の行者の山中の雪にせめられ、食ともしかるらんとおもいやらせ給いて、ぜに一貫おくらせ給えるは、貧女がめおとこ二人して一つの衣をきたりしを乞食にあたえ、りたが合子の中なりしひえを辟支仏にあたえたりしがごとし」(上野殿御返事)尊い御供養をされています。「宗門にこんなに供養してやった」などという何処かの元正宗の信徒達が作ったカルト教団員には時光の爪の垢でも煎じて飲んでほしいものです。弘安四年頃には時光は何らかの病にかかり、弘安五年2月には重篤となり命を危ぶまれましたが、報告を受けた大聖人は御自身の体調不調も顧みず書状を認めれます。それが「また鬼神めらめ、この人をなやますは、剣をさかさまにのむか、また大火をいだくか、三世十方の仏の大怨敵となるか。あなかしこ、あなかしこ。この人のやまいをたちまちになおして、かえりてまぼりとなりて、鬼道の大苦をぬくべきか。その義なくして、現在には「頭七分に破る」の科に行われ、後生には大無間地獄に堕つべきか。永くとどめよ、永くとどめよ」との一文が書かれている『法華証明抄』で、当抄は冒頭に【法華経の行者日蓮花押】と認めれ花押されている他の御消息文とは異なる書式の御書です。そして本抄に触れた時光の病は平癒しました。一方で大聖人の病相は深まり遂には弘安五年10月13日に大聖人は御入滅します。翌日の葬儀の際には時光は散華の役を務めています。これは大聖人の身を案じた時光が大聖人の御入滅前に池上に参じていたということです。そして御遺骨は弘安五年10月25日に日興上人と共に身延に戻られたのです。

■過去記事はこちら▶富士門流の法難①(熱原法難) - 創価ダメだしブログ

 

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