3月11日は創価の「小樽問答記念日」なので今回は「小樽問答」の話をしようと思う。「小樽問答」の音声は現在ではYouTubeなどで自由に聞くことができるが、この音声を書き写した『現代宗教研究』の【創価学会と日蓮宗の小樽問答記再現記録】というテキストがある。創価でも「小樽問答誌」を発刊しているがこちらは当時の流行った「お富さん」をもじり「いきなドンスで身延の山に、とんだ姿の黒いつら、死んだはづだよ宗俊さん、生きていたとはお釈迦様でも知らぬ祖師堂河内山、エッサオー御開帳」などと品のない事が書いてありテキストとしては不適切で不愉快。従って【小樽問答記再現記録】が一番正確な小樽問答のテキストだと思われる。
この再現記録を読んで感じることは身延側の準備不足と弁士の討論力のなさで、創価側の作戦勝ちという感想だ。池田大作は中立な立場の司会でありながら最初から身延側に攻撃をしかけるという法論ではありえない言動をしているし(創価ではこの司会の第一声で勝負は決したというが明らかに司会者としては不適切な第一声である)創価側は冒頭から聴衆がヤジを飛ばし続けている(身延側も対抗している)。聴衆も約束では双方500名だったが身延側の抗議を無視し創価側の750名に対して身延側は300名という不均衡な状態で不平等だし、しかも法論終盤にはこの身延圧倒的な不利な状況で司会の池田は多数決を取り身延側の敗戦を演出するという狡猾さである。「法論」で勝利したというよりも創価側の権謀術数に身延が抵抗できなかったという印象である。聴衆の数も司会の池田の越権もヤジも全て創価側の戦術であろう。それにまんまと身延が嵌められてという感じだ。もちろん身延側に問題がなかったわけではない。事前に創価を研究し準備していればもう少しいい勝負に持ち込めただろうに少し創価を舐め過ぎたと思う。特に折角の先手番でありながら初手に新聞投書で創価批判したことは大失態だと感じた。とはいえ普通に法論していても身延側に聴衆を納得される「理」は無かっただろが。さて肝心な法論の内容は70年近くも昔のことなので今となっては低レベルのものだが、この法論で創価側がどんな主張をして大勝利したのかテキストから重要部分を少し抜粋してみる。創価側の弁士は教学部(当時)の小平芳平と辻武寿である。以下赤字は身延側の主張又は質問で太字は創価弁士の論説である。まず辻は冒頭で身延の本尊雑乱を『我々創価学会は、大聖人様のご本意である弘安二年の十月十二日の本門戒壇の大御本尊様に向って、ただ一つの本尊に対して、心から帰依しているから功徳があるのであります。(「そうだ」拍手)』と破折している。【本尊は、衆生の各々の心の真心にある題目を以て本尊とするのであります】に対しては『本尊は、衆生の真心をもって題目とする、衆生の真心の題目をもって本尊とするということをおっしゃいました。それでは、心が本尊か。真心が本尊だと…、それなら三大秘法は要らない。本尊と題目と戒壇、まあ、戒壇は与えていってあるとしましょう、戒壇。題目も唱えればそれはある。じゃ、本尊は、本尊は心だと。心が本尊ですか。なら三大秘法は、二大秘法である。(笑声、拍手)』と反論している。一方小平はというと、【私(身延僧侶)はその閻浮総与の板曼荼羅というものの(ヤジ、「おまえに言う資格があるのか」)本当のことを、私は疑う】に対し、『信心が無ければ御本尊はわからないのですよ。(「そうだ」、拍手)えー、さきほど申し上げました波木井殿の四箇の謗法、あるいは三箇の謗法と申しますが、この謗法の中にも、波木井殿は何でもかでも釈迦の仏像を立てようとしている。そういう信心のわからない者に、信心のない者に、御本尊様がわかるわけはないじゃありまませんか。(「そのとおり」、拍手)』と言っている。【如何にして板本尊が大聖人のご真筆であり、かつ又唯一の御本尊であるかということを、大聖人のいわゆる、あなたがたのいう文証によって示していただきたいと思います】には『御本尊様には必ず添え書きがございます。あるいは何々房に授与す、あるいはどこどこの住職何々坊に授与す、あるいは万年救護、紫辰殿、このようなそれぞれ御本尊の意義がおしたため遊ばされておられます。その意義の、御本尊様の意義として、本門戒壇、このように大聖人様が御本尊様にきちっとおしたためになっているんですよ。(「そうだ」、「そのとおり」拍手)そのことを、そのことを、身延のお坊さんだと思いますが、知らないのですよ。(拍手)ところが我々は、たびたび大石寺へ参詣致しまして、そのことをきちっと拝しておる。だから疑う、向うでは疑う。疑うたって、信心を興して拝する以外にないではないですか。(「そうだ」、拍手、ヤジ、「誰だって同じだよ。誰だって信心をもって拝むんだよ、本尊を)』と答え、聴衆からの【恐らく本尊に表現させておるものが(ヤジ、騒然)、何を表現したのか、(ヤジ)何があるか、それをお伺いしたい。(騒然)本尊に表現されたその内容そのものが尊い、尊い。(騒然)だからしてそれを写し出したところの本尊も尊いということになる。(ヤジ、「…いえよ、おとっつぁん」)要するに今は違うけれども、(ヤジ、騒然)元は陛下は尊い。(ヤジ、騒然)であるからしてそれを写したところのお写真も尊いということになる。(ヤジ、騒然)であるから、その内容はどういうふうにあんたが把握しておられますか、それをお伺いしたい。(ヤジ、「…質問だかわからない」)】との質問には『今のご質問は何を質問しているか私には掴めない。(拍手、ヤジ、騒然)天皇陛下がありがたいから、それを写した写真もありがたい。それじゃあ、(ヤジ)御本尊様をただ写して歩けばよいのですか。だから、だから、身延の山へ行けば、あっちでも、こっちでも、お安くまけておきますっていって御本尊を売るんでしょう。(拍手、怒号)』と回答している。これらを読めばお察しだろうが70年前の小樽の身延は今の創価学会の姿だ。そして今の創価学会は70年前の日蓮正宗創価学会によって破折されている。「唯一無二の弘安二年の十月十二日の本門戒壇の大御本尊に対して心から帰依しているから功徳がある」「信心がないから戒壇大御本尊を疑う。信心がないからわからない」「自分の心の中に本尊があるなら二大秘法」「本尊の相貌が尊いなら写真を持ち歩けばいい」辻や小平はそう言って身延を破折したのである。因みに法論の勝利宣言をしたのは石田次男(当時理事)である。石田は日蓮宗側司会の発言を遮って壇上に上り身延の当時の管長への人身攻撃をした後に『今日の会合の答弁のできない現状は、(ヤジ)身延が負けたことが明らかです。(騒然)日蓮正宗側の大勝利であります。これで終ります。(ヤジ、「身延の信者は堕地獄だ」、「先制攻撃なかなかうまい」、怒号)』と一方的に勝利宣言し続いて池田が『本日、現状だけの、今までの対決の状態を見まして、断固として、正宗が、日蓮正宗創価学会が、誰が聞いても誰が見ても正しいということは、厳然とわかることであると思います(拍手、騒然)』と法論を締めくくった。これが小樽問答のダイジェストである。この内容を読めば今の創価が邪義であることは明らかだ。創価公式では「法論は完全な大勝利に終わり、身延派の邪義を打ち破った学会は、その正義を社会に証明したのです」と記載されているが、これは現在の創価が邪義だと言ってるのに等しいと感じるのは私だけだはないだろう。あの「3・16」が詳しく語られなくなったように「小樽問答」もはやがてはひっそりと創価史から消えていく運命ではないだろうか。
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