仏教全般
時宗の開祖・一遍は延応元年(1239)、伊予松山(愛媛県松山市)の武士で在地の豪族だった河野道広の子として生まれ、幼名は松寿丸といいます。宝治2年(1248)、10歳で母と死別し父の指図で天台宗継教寺で出家し隨縁という僧名を与えられます。建長4年(12…
曹洞宗の祖・道元は、正治2年(1200)に貴族の頂点である藤原摂関家の子として京都で生まれました。父は内大臣・久我通親、母は藤原基房の娘で松殿または伊子と言われます。3歳で父、8歳で母と死別した道元は13歳の時に比叡山横川の千光房に入り僧になりま…
栄西は保延7年(1141)、吉備国総鎮護の吉備津神社の神職・賀陽(がや)氏の子として生まれ幼名は千寿丸といい14歳で比叡山に出家し栄西の僧名を受け以後、延暦寺、吉備安養寺、伯耆大山寺などで天台宗の教学と密教を学び仁安3年(1168)28歳の時に栄西は…
浄土真宗の祖師である親鸞は承安3年(1173)、下級貴族の日野有範の子として京都伏見の日野の里に生まれ幼名を松若丸と伝えらています。治承5年(1182)9歳の時に後の天台宗座主・慈円を師として出家し範宴(その後法然門下となり越後流罪後に親鸞と名乗…
今回は日蓮大聖人門下にはお馴染みの浄土宗の祖師である法然の略伝です。お馴染みと言っても大聖人門下が法然上人について学ぶことはないのでよく知らないと思いますので豆知識として簡単に覚えておくと何かに役に立つかも(立たないかも)しれません。法然…
空海は774年、四国・讃岐に地方官吏だった佐伯直田公(さえきのあたいたきみ)の子として生まれました。18歳で大学に入りましたがその2~3年後に山林修行に入り私得度僧として出家しましたが出家後の足取りは不明ですが、804年の32歳の時に最澄と同じ遣唐使…
日蓮大聖人が三国四師と呼ばれた最澄(伝教大師)ですが、創価でも正宗でも語られることは少なく天台と比べるといまひとつ影が薄いイメージで日本天台宗の宗祖であり比叡山に大乗仏教の戒壇を建立したくらいしか知らない法華講員さんも多いと思います。最澄…
日蓮大聖人仏法の信仰者である私達は大聖人のことは知っているけど他宗の僧侶のことはあまり良く知りませんよね。知らなくても特に困るという事はありませんが、仏教の周辺知識として知っていおいても無駄にならないと思うので何人かの有名な僧侶の略伝を書…
『法華玄義』の基礎知識の最後は『五重各説』です。『五重各説』は、釈名(しゃくみょう) 、辯体(べんたい) 、明宗(みょうしゅう)、論用(ろんゆう) 、判教(はんぎょう) の五章で構成されていて、その中の釈名が全体の半分以上を占めて法華経の経題の「妙法蓮…
今回は、【七番共解】について書きますが、天台教学は細かく説明ていくと結構長く小難しくなります。法華玄義はあくまでも大聖人仏法の為の周辺知識なので細かいことまで覚える必要もないと思いますので、【七番共解】からは【会異】の章を簡単に説明します…
『法華玄義』の本文は、【七番共解】と【五重各説】で構成されています。前回、書きましたが【七番共解】は五重玄義(五重玄)の総論であり、【五重各説】は五重玄の各論です。【七番共解】とは、①標章②引証③生起④開合⑤料簡⑥観心⑦会異の7章からなり五重玄を…
『法華玄義』は本文に入る前に最初に『私記縁起』『序王』『私序王』『譚玄本序(たんげんほんじょ)四種の序が書かれています。これらのうち『私記縁起』『私序王』は章安大師が『序王』『譚玄本序』は天台大師の筆です。『私記縁起』にはいわゆる天台大師…
日興門流の信徒は「義道の落居無くして天台の学文す可からざる事」との日興上人の御遺誡もあり天台を含め仏教一般を研鑽することはあまりないと思うけど、大聖人の法門を理解する上で仏法全般の知識は役に立ちます。但し日興上人が言われるように「義道の落…