創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

【法華玄義】の基礎知識①(天台大師の三大部)

日興門流の信徒は「義道の落居無くして天台の学文す可からざる事」との日興上人の御遺誡もあり天台を含め仏教一般を研鑽することはあまりないと思うけど、大聖人の法門を理解する上で仏法全般の知識は役に立ちます。但し日興上人が言われるように「義道の落居」即ち大御本尊への信が固まらないうちは広く仏教を学ぶのはよろしくない。私も3年ほど御書からはなれて経典や論・釈の研鑽をしていたら危なく大聖人の仏法に戻れなくなるところでした。あくまでも基本は「信」。その上で仏教全般を学んでいくと大聖人仏法への理解は深まります。特に天台教学の基本は大聖人仏法を学ぶ時に知っていると大いに役立ちます。その天台教学の基本中の基本である【法華玄義】の基礎部分を数回に分けで書いていきたいと思います。あくまでも大聖人仏法の理解を深めるために補助的な教学なので【玄義】や【御書】を読む上で役に立つ基礎教学の部分だけ書きます。今回は最初なので天台大師の三大部について。天台の三大部というのは、『法華玄義』『法華文句』『摩訶止観』の3書の事です。これは知っている人は多いでしょうが、ではこの3書はそれぞれ何が書いてあるのかというと、『玄義』は法華経の経題の「妙法蓮華経」についての解説です。古来中国においては経典の経題に対する解釈が盛んに行われていました。経題にはザックリと「法を表す」「人を表す」「場所を表す」3種類の経題があります。大聖人の御書の題号も例外はありますがほぼ同じです。この中の「法を表す」タイトルの経典は、経題に法が現れていますから経題を解釈することは経典全体の法門・法義を解釈することにつながります。日寛上人が文段等で御書の題号の意味を御指南されているのはその為です。『文句』は法華経二十八品の一々の文に対する随文釈義(文に対する解釈)で日寛上人の御書文段の本文のような書です。『御義口伝』は『文句』引用してから口伝部分が書かれているので『御義口伝』を読んだり研鑽したりするときに『文句』があると分かりやすいです。そういえば創価では池田大作の『御義口伝講義』が現在進行中だと思うけど学会員は『法華文句』くらいは読んでないと池田センセに失礼ですよ。まぁセンセも読んでいないから別にいいのか(笑)そして『止観』は実際の修行方法が書かれています。『玄義』と『文句』は教相面の法門・法義の教え。対して『止観』は観心面の教えです。仏法は教相よりも観心が重要ですから天台の出世の本懐は『止観』といわれるのです。『玄義』の「玄」とは奥が深くよく見えないことで幽玄ということですから『玄義』とは奥が深く幽玄なる法義(思想)という意味になります。略せば奥義ですね。『法華玄義』のような経典全般を解釈した天台の書には『玄義』『玄疏』というタイトルが使われています。そして随文釈義の書には『文句』『文疏』が使われます。『疏』とは解説書・註解書という意味です。御義口伝で「文句に曰く」ではなく、たまに「疏に曰く」と書かれて箇所がありますが、どちらも『法華文句』のことで別々な書ではありません。また『玄義』と『文句』は天台の親撰(自分が書いた)ではなく、弟子の章安大師灌頂が天台の説法を筆録し後に清書・整理して完成させたというのが現在の定見です。さて、『法華玄義』は最初に3種の「序」が書かれていて、その後に本文になります。そして本文の冒頭の「序章」において【五重玄義】(五重玄)の名称である、釈名・弁体・明宗・論用・判教(名・体・宗・用・教)が示されています。そしてこの【五重玄】を使って法華経の奥義であるところの法義(思想)を解き明かしているのが【法華玄義】なのです。

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