創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

御講拝読御書研鑽(2021年7月・上野殿後家尼御返事)

法華経の法門をきくにつけてなをなを信心をはげむをまことの道心者とは申すなり、天台云く「従藍而青」云云、此の釈の心はあいは葉のときよりもなをそむればいよいよあをし、法華経はあいのごとし修行のふかきはいよいよあをきがごとし。

今月の御講で拝読したのは『上野殿後家尼御返事』の上記の御文でした。ちょうど1年前の昨年の7月の創価座談会御書と全く同じ御文です。

創価教学じゃない御書講義(2020年7月座談会御書・上野殿後家尼御返事)

昨年の創価座談会の御書講義では法に即して「従藍而青」を説明しましたが、今回は「人」に即した「従藍而青」の話をしてみたいと思います。昨年も書きましたがこの「従藍而青」とは天台『摩訶止観』の中の言葉で、章安大師が天台大師を師匠の南岳大師を超えると讃えた言葉として書かれています。「出藍の誉れ」などと世間でもいいますが「従藍而青」というのは本来は「藍」とは師匠で「青」とは弟子という意味でつかわれます。そこから進んで大聖人は法華経(御本尊)を藍として修業が深ければ深いほど(藍を染める行為)青色(功徳)も勝ると言われています。これは法に即したご指南です。さて、この御文の冒頭に法華経の法門をきくにつけて】と書かれていますが、我々は「法門を聴く側」です。では、「法門を聞かせる側」とはだれかといえば師匠です。ですから師匠は「藍」になりその法門を聴いて道心を起こす我々は「青」になります。大聖人の仏法はこのように師匠と弟子が相対してこそ功徳がでる(青くなる)という仏法です。日興上人は『佐渡国法華講衆御返事』のなかで、

◇しでしをただしてほとけになり候、しでしだにもちがい候へば、おなじほくえ(法華)をたもちまいらせて候へども、むげんぢごくにおち候也

と師弟子を正してこそ成仏する。師弟子が相違すれば無間地獄に落ちる。とご指南されています。この「師弟子を正す」というのは具体的には日有上人の『化義抄』に

◇手続の師匠の所は、三世の諸仏、高祖已来、代々上人のもぬけられたる故に、師匠の所を能々取り定めて信を取る可し、

と書かれてるように「手継ぎの師匠」たる所属寺院の御住職に信をとるということです。それが御当代の法主上人に繋がりご歴代上人~日興上人~日蓮大聖人に繋がることになります。さきほど引用した『佐渡国法華講衆御返事』の次下には、こうした師弟子の次第を超えて大聖人直結の弟子などと名乗ってはいけないと書いてあります。こうした師弟の次第を弁えることが「従藍而青」の心に通じます。もう一点付け加えれば「どくだみ」の葉をいくら染めても「青くならない」、「藍」を染めるから「青くなる」ということです。つまり師匠を間違えるなということです。御書には

法華経を誹謗するの師をば悪師邪師と知つて是に親近すべからざる者なり(最蓮房御返事)

と書かれているように、悪師・邪師を知って近づいてはいけないのです。戒壇大御本尊を捨てた池田創価こそ悪師の中の悪師、邪師のなかの邪師です。このような師匠は「藍」ではなく「どくだみ」であることを知らなければなりません。そしてそんな悪師について道心を起こしても決して功徳などでないのです。そして仮に自分が青くなって師匠を超えたとしてもそれは全て「藍」(師匠)より出たという報恩感謝を忘れない事も大切ですね。そうした意味において毎月の「報恩感謝御講」には参詣することはとっても大切な事だと法華講になって教えてもらいました。

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