創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

日興遺誡置文の研鑽①

今月から日興上人の書き残された【日興遺誡置文】の研鑽をしていきたいと思います。説明するまでもなく【日興遺誡置文】は末法万年の広宣流布の為に我々大聖人門下の僧俗に書き残された遺誡です。これを研鑽することは我々日興門下として重要な「学」の修行ですので創価インチキ教学ではなく正しく【日興遺誡置文】を学んでいきたいと思います。

一、冨士の立儀聊かも先師の御弘通に違せざる事。

一、五人の立儀一々に先師の御弘通に違する事。

まず初回は最初の2箇条です。一番最初に書かれてるこの2箇条は日興上人と五老僧を比較し五老僧の邪義・邪見を破折したいわゆる「五一の相対」です。この2箇条はややもすると簡単に読み流してしまいがちですがこの最初の「五一の相対」の2箇条は【日興遺誡置文】の中で非常に重要な部分です。「富士の立義」とは日興上人の立義で「五人の立義」とは五老僧の立義でその五老僧の立てた義は先師・日蓮大聖人の仏法にことごとく反しているといると五老僧を破折しています。この「五一の相対」は何を意味するのかというと、これこそ大聖人から日興上人へ唯授一人血脈相承が有った事を意味していてそれは日興門流にのみ大聖人の仏法(御弘通)の正義があるということを日興上人が宣言されている部分です。それを踏まえてこの2箇条以下の遺誡を学ぶことが大切になります。五老僧が立てた邪義・邪見を具体的に書くと、①天台沙門(天台の弟子)を名乗った事。②神社参詣を許した事。③法華経一部読誦と五種修行を行った事。④本迹一致を主張した事。⑤仏像を本尊とした事。などを日興上人は指摘しています。五老僧達がこうした邪義・邪見を起こした理由を上記の番号に合わせて書くと五老僧達は①本仏を分かっていなかった。②謗法を分かっていなかった③化義を分かっていなかった④法門法義を分かっていなかった⑤法体(本尊)を分かっていなかった。ということになります。正しく現在の創価はこれら五老僧と全く同じです。創価民は①大聖人の弟子あることよりも池田沙門(池田の弟子)を名乗り創価仏という架空仏を立て②自分達の犯している大謗法に気づかず③インチキ勤行・インチキ化義を行い④カラコピ創価本尊と大御本尊と一緒などといい⑤戒壇大御本尊をすて自分達がコピーした掛け軸を本尊としている。本仏(本師)に迷い、謗法に迷い、化義に迷い、法門に迷い、本尊に迷っている五老僧さながらの哀れな姿を晒しているのが現在の創価学会であり創価民なのです。その5つの迷いの根本はどこかと言えば①の本仏(本師)に迷い、間違った師匠に随順していることが他の全ての迷いや間違いを引き起こしているわけです。つまり池田沙門であることが全ての間違いの原因です。広く言えば池田沙門を名乗る創価学会に所属していることで全て間違えるわけです。何故日興上人は【日興遺誡置文】に最初に法門法義と直接的に関係のない「五一の相対」を書かれ置いたのか?それは日興上人こそが正しい師匠であるということを教えんがためです。何故なのかと言えば最初に書いたように「五一の相対」が顕す法義とは唯授一人血脈相承のことだからです。そしてこの血脈は現在の日如法主猊下まで断絶することなく流れているのです。唯授一人血脈に信をとる(御歴代上人と御当代猊下を本師とする)ことは、日興上人が一番最初の遺誡として富士門流日蓮正宗の僧俗に書き置かれた日興門流の一番の重要事項なのです。創価民も口先では、大聖人をご本仏といい、日興上人を僧宝と言っていますが、池田の弟子(池田沙門)を名乗った瞬間にもはや五老僧の末裔なのです。そんな創価民がこの【日興遺誡置文】引用して、日興門流たる正宗・法華講を誹謗するとは厚顔無恥というものです。五老僧の末裔である池田沙門・創価沙門に【日興遺誡置文】を悪用されないようにしっかりと研鑽していきたいと思います。


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