創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

日寛上人の御書文段の御指南⑧(報恩抄文段上)

問う、報恩の要術、その意は如何。答う、不惜身命を名づけて要術と為す。謂く、身命を惜しまず邪法を退治し、正法を弘通すれば、即ち一切の恩として報ぜざること莫きが故なり。

今回は『報恩抄文段』の御指南を拝します。これは本文の「かくのごとく存じて、父母・師匠等に随わずして仏法をうかがいしほどに~」の部分の御講義です。ここでは大聖人仏法の僧俗の行うべき報恩とは、父母・師匠に随うことではなく「不惜身命」で破邪・顕正の折伏を行うことであると日寛上人は御指南されています。この御文の直前に、「邪法を退治するは即ちこれ報恩なることを明かし乃至正法を弘通するは即ちこれ謝徳なることを明かすなり」と言われていて「報恩」とは邪教破折をすることであり、「謝徳」とは大聖人の正法を弘教することであると日寛上人は言われています。父母・師匠そして一切衆生に対して折伏弘教をしていくことがそれらの人々に対しての報恩謝徳であり翻って自身が成仏する要術です。そして何よりも私達が報恩謝徳すべき一番の相手は「仏法僧」の三宝です。三宝帰依こそが仏法の根幹だからです。当然、三宝一体の義により私たちとって三宝帰依とは戒壇大御本尊様に対する帰依です。日蓮大聖人は『四恩抄』で「しかるに、末代の凡夫、三宝の恩を蒙って三宝の恩を報ぜず。いかにしてか仏道を成ぜん」と御指南されています。正宗信徒は朝夕の勤行の中で、戒壇大御本尊様と当宗の三宝に対して(二座と三座)「御威光倍増御利益広大御報恩謝徳の御為に」と御観念文を読みます。「御威光倍増御利益広大」とは三宝戒壇大御本尊様の恩を蒙ること(功徳を戴くこと)であり、「御報恩謝徳の御為」とは三宝戒壇大御本尊様の恩に報いる事です。勤行唱題や日々の給仕、寺院参詣や御供養など全てが「報恩謝徳」であることは間違いありませんが、一番の要術である折伏弘教をしなければ本当の意味での「報恩謝徳」にならないと今回の日寛上人の御指南から窺うことができます。「何のために折伏をするのか?」恐らくは大聖人仏法の信仰者であると自負している人ならば法華講のみならず創価顕正会員でも一度は考えたことがあると思います。「自分が功徳を得て幸福になるため」「立正安国に説かれている世界(世界平和)を作る為」「御書にそう書いてあるから」など色々な考えがると思いますがどれも間違ってはいません。ただやはり仏法者であり大聖人の信徒ならば日寛上人の御指南の如くまずは戒壇大御本尊様への「報恩謝徳」が折伏行の根本だと心に入れることが大切だと思います。創価・顕正などの邪教を破折することで御本仏の恩を報じ、自分の有縁の人達に大聖人の仏法を語る事で御本仏の恩徳への感謝の礼を尽くす。それがあって初めて自他共の幸福・世界平和・一生成仏等々の功徳を戴けるのです。先ずは御本仏(戒壇大御本尊)への南無の心すなわち「報恩謝徳」の心ありきなのです。創価・顕正は池田や浅井への報恩などといいますが、池田創価・浅井顕正は戒壇大御本尊を事実上捨てた忘恩の人間です。その忘恩の人間に恩返しをすることは、報恩抄の冒頭に書かれている「老狐は塚をあとにせず白亀は毛宝が恩をほうず畜生すらかくのごとし」というような畜生レベルの報恩で仏弟子どころか人間の報恩とは言えない。人間で剰え大聖人の弟子旦那を名乗るのであれば池田や浅井に恩を感じるのではなく、むしろ謗法の師匠を不惜身命で破折することが御本仏への報恩であり、それが池田・浅井等に対する報恩の誠なのです。創価顕正会員は大聖人仏法における報恩謝徳の法義・意義をよく考えるべきです。ともあれ今回の御指南を拝して、戒壇大御本尊・御本仏日蓮大聖人を信じる我々法華講員は報恩謝徳の折伏弘教を忘れてはならないと深く感じました。

 

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