創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

日寛上人の御書文段の御指南⑦(撰時抄下愚記)

今時、偽書を造らずと雖も、本迹一致の修行を作す、豈蓮祖の獅子身中の虫に非ずや。我が日興上人は実にこれ蓮祖付嘱の写瓶なり。深くこれを思うべし云云。

今回は大聖人仏法における「師子身中の虫」に関する御指南です。「問う、蓮祖の獅子身中の虫これありや」との設問に『日興遺誡置文』の「僞書を造つて御書と號し本迹一致の修行を致す者は獅子身中の蟲と心得べき事」を引用し上記の御指南をされています。「本迹」というと一応は法華経の本門と迹門ということですが、総じて言えば「本迹」とは法華経に限りません。大聖人の仏法全般にわたって「本地」と「垂迹」が存在します。そしてこの「本迹」から、総別・能所・事理等の立て分けが生まれ会通されていきます。それが大聖人の法門の基本となります。故にこの「本迹」とは大聖人仏法にける根本の法門なのです。その根本の分別に迷い「なんでも同じ」という本迹一致の己義を構える者を「師子身中の虫」といい、この本迹の分別と会通が可能なのは血脈付法を受けた日興上人でありさらには法水写瓶の御歴代上人であるというのが今回の御文での日寛上人の御指南です。従って御当代猊下を始めとする御歴代上人の御指南から外れること、ましてや血脈相承を否定し剰え御歴代上人を誹謗する創価民や顕正会員は「師子身中の虫」と言えるのです。宗門がこれらの「師子身中の虫」を排除するのは当然のことであり、むしろ創価や顕正を排除してこそ和合僧を護ることになります。例えば創価では大聖人の御真筆の御本尊と書写の本尊は「全て等しい」と主張しますが、これこそ「本迹一致」の邪義です。書写の本尊は戒壇大御本尊の「分身散体」の本尊であることは疑義の余地はないでしょう。この書写本尊の法義に約せば書写される側の「戒壇大御本尊」が本地で「書写本尊」は戒壇大御本尊の垂迹(分身)なのです。その本地である戒壇大御本尊を受持せずに垂迹の書写本尊だけを受持するするというのは、法華経本門を棄てて迹門だけを受持しているようなもので何の意味もないどろころか謗法になります。このように「全て等しく本門の本尊」という創価の主張は本迹一致の邪義であり池田創価は大聖人仏法中の「師子身中の虫」です。日寛上人は御本尊には総別があると御指南されていますが、この総別の意味とは本迹の事なのです。大聖人は『本因妙抄』で、「若し本迹勝劣を知らずんば、未来の悪道最も不便なり。宿業を恥ぢず還って予を恨むべきか。我が弟子等の中にも天台・伝教の解了の理観を出でず、本迹に就きて一往勝劣・再往一致の謬義を存じて、自他を迷惑せしむるの条宿習の然らしむる所か。閣浮提第一の秘事たりと雖も、万年救護の為に之を記し留むる者なり。我が未来に於て予が仏法を破らんが為に、一切衆生の元品の大石、第六天の魔王、師子身中の蝗虫と成り、名を日蓮に仮りて、本迹一致と云ふ邪義を申し出して、多くの衆生を当に悪道に引きいるべし。若し道心有らん者は彼々の邪師を捨てゝ、宜しく予が正義に随ふべし。正義とは本迹勝劣の深秘、具騰本種の実理なり。日蓮一期の大事なれば、弟子等にも朝な夕なに教へ、亦一期の所造等悉く此の義なり」と言われています。池田創価も浅井顕正も、大聖人の名前を利用して本迹一致の邪義を構えて多くの会員を誑かし悪道に引き込んでます。信心のある会員さん達は大聖人の御指南を聞き邪師である池田や浅井を捨てて大聖人の正義に随うことが一生成仏の肝要です。戒壇大御本尊を棄てた創価の本尊に唱題することは、創価本尊が「偽物」であっても「本物」であってもどっちにしても本迹一致の邪義・謗法です。本尊云々以前に創価の信心そのものが謗法であることを知るべきです。その為には池田や浅井などという不相伝のカルト教祖の指導ではなく日寛上人など御歴代上人の御指南に学ぶことが重要なのです。

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