創価ダメだしブログ

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日寛上人の御書文段の御指南⑥(撰時抄上愚記)

今得意して云く、二箇の相承は正しくこれ弘宣伝持の付嘱なり。謂く「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す。本門弘通の大導師たるべきなり」とは、これ弘宣付嘱なり。故に「本門弘通」等というなり。「釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す、身延山久遠寺別当たるべきなり」とは、これ伝持付嘱なり。故に「別当たるべきなり」等というなり。秘すべし、秘すべし。

今回は『撰時抄上愚記(文段)』から付属に関する日寛上人の御指南を学びたいと思います。本文の前に「付嘱に三義あり」として、弘宣付嘱・伝持付嘱・守護付嘱の3種の付属を挙げられています。弘宣付嘱とは「四依の賢聖、釈尊一代所有の仏法を時に随い機に随って演説流布するなり。」とありこれは法門付属です。伝持付嘱は「四依の賢聖、如来一代の所有の仏法を相伝受持し、世々相継いで住持するが故なり。」ですから法体付属です。「演説流布」とは御書などの会通や化義についての法門の付属で、「如来一代の所有の仏法」とは法体即ち戒壇大御本尊を根本とした本尊付属です。この御指南では明確に弘宣付嘱・伝持付嘱の付属は二箇相承によって明確に日興上人に付属されてと言われています。「四依の賢聖」とは日興上人お一人を指し示しているのです。「付属」とは「相承」「血脈」と同じ意味です。つまり法体である御本尊と大聖人仏法の法門法義を大聖人は全て日興上人に唯授一人血脈相承したのです。それ故に日興上人を僧宝と為し、その日興上人以来同じように唯受一人血脈相承を受けた御歴代の法主上人も僧宝にあたり、ここに御本尊に関する権能はもとより法門・法義そしてそれらに関する化義の権能もまた法主上人に存するのです。この唯受一人血脈ことを別付属といいます。これに対し守護付嘱は「国主・檀越等、如来一代所有の仏法を時に随い、機に随い、能くこれを守護して、法をして久住せしむるなり。」とあるように、「国主・檀越」という在家信徒すべてに与えられた付属でありこれを総付属といいます。創価が主張する「信心の血脈」とはこの守護付属(総付属)のことで、別付属の弘宣・伝持の付嘱は日興上人以外は受けていないのです。創価が一時広宣流布を進めてきたことは事実ですがそれは守護付属(総付属)の範疇ですから広宣流布を流布をしてきたといっても大聖人の仏法の全ての血脈を創価が相続したわけでありません。総付属とは別付属である法主上人の定める処の本尊・法門・化義を守護することでありそれが日蓮門下僧俗の正しい信仰の在り方なのです。なかでも生身の大聖人である戒壇大御本尊を守護することがその根本です。つまり戒壇大御本尊と法主上人から離れて総付属である「信心の血脈」などありません。ましてや創価のように戒壇大御本尊を棄て「四依の賢聖」である日興上人を僧宝から外し自分たちの教団を僧宝などと傲慢にも詐称し、歴代法主上人を誹謗するような大謗法団体に信心の血脈など通っている道理はありません。顕正会も同様です。口先だけで戒壇大御本尊の名前を呼んでいるだけで実際には何一つ戒壇大御本尊への御奉公はなく法主上人を誹謗しているのであるから創価同様の大謗法教団です。このような大謗法教団から戒壇大御本尊と御歴代法主上人の御指南を護っていくことが大聖人門徒である大石寺信徒の務めでありそれが守護付属を受けた証であり信心の血脈です。その信心に功徳が積まれ一生成仏の願いが叶うのです。

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