顕正会員が良く口にする言葉に「大聖人の御遺命の国立戒壇の建立」という言葉がある。顕彰会の公式サイトにも(以下太字は顕正会公式サイトからの引用)
▼されば本門戒壇の建立こそ御本仏日蓮大聖人の唯一の御遺命である。もしこれを忘れれば仏弟子ではなく、もしこれに背く者あれば魔の眷属である。
と明記されている。顕正会のいう処の「本門戒壇」とは御書にに書いていない「国立戒壇」のことだがこの「本門戒壇の建立」こそが大聖人の唯一の御遺命だと彼等は主張するわけだ。その文証となるのが、
◆日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり、国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ、事の戒法と云うは是なり、就中我が門弟等此の状を守るべきなり。
この大聖人から日興上人への付属の書である『日蓮一期弘法付嘱書(身延相承書)』だ。本書を引用し顕正会では、
▼「日蓮一期の弘法」とは、大聖人出世の御本懐たる本門戒壇の大御本尊の御事である。いまこの大御本尊を日興上人に付嘱して「本門弘通の大導師」に任ぜられ、広宣流布の時いたれば富士山に本門戒壇を建立すべしと命じ給うておられる。
と創価よりはまぁましな解説を加えている。だだ正確には『本門戒壇』の建立ではなく、『本門寺の戒壇』の建立である。浅井がここで『本門寺の戒壇』と言わずに『本門戒壇』の言葉をチョイスしているのは顕正会のインチキ戒壇義と関わる問題だからだが、その件については又の機会に譲るとして、この身延相承書こそ顕正会破折の基本だ。百歩譲って、「国立戒壇建立」が、大聖人の唯一の御遺命だどしてもそれは顕正会や浅井に対する御遺命などではないのである。浅井自身も言っているように、この御遺命は日興上人だたお一人に対して申し置かれた御遺命なのである。そしてその後この御遺命は、
◆一、本門寺建立の時は新田卿阿闍梨日目を座主と爲し、日本國乃至 一閻浮提の内、山寺等に於て、半分は日目嫡子分として管領せし むべし。殘るところの半分は自餘の大衆等之を領掌すべし。
一、日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を 相傳す。本門寺に懸け奉るべし。
一、大石寺は御堂と云ひ墓所と云ひ日目之を管領し、修理を加へ勤 行致して廣宣流布を待つべきなり。
と『日興跡條條事』に明確な通り、日興上人から日目上人と代々の法主上人が大聖人の御遺命達成の総責任者として受け継いでいるのである。浅井に対して大聖人もそして御歴代の法主上人も大聖人の御遺命を託した事実・文証などどこを探しても皆無である。そもそも、日興上人は広宣流布の暁に『本門寺の戒壇』に掲げる御本尊は弘安二年の本門戒壇の御本尊であると御遺命されている。浅井顕正会には戒壇大御本尊どころか大聖人の御真筆はひとつもない。また、広宣流布までは大石寺の堂宇や墓所を修理しながら管理していくようにという日興上人のお言葉に対して、浅井顕正会は何か貢献しているか?大石寺を「魔の山」などと会員に呼ばせて、浅井も顕正会員も半紙一枚すら大石寺に御供養をしていないではないか。そんな連中が御遺命達成とは笑わせるにもほどがある。さらに御歴代は一天四海広宣流布を願い毎晩丑寅勤行を欠かさずに奉修している。(もちろん法主上人が奉修できない時は代理の御僧侶が奉修するが)浅井や顕正会は毎晩、丑寅勤行を奉修しているのかね?そして大聖人の御遺命である広宣流布の達成の時を判断する権限があるのは法主上人に以外にいない。国民の総意があろうと国会決議なされようと法主上人が「その時」と言わない限り『本門寺の戒壇』は建立できないのである。戒壇大御本尊もない。大石寺を荘厳することもできない。丑寅勤行もしていない。日興上人の命を何一つ守っていない。浅井顕正会に『本門寺の戒壇』(本門戒壇)を建立する資格も権限もないのである。つまり浅井顕正会のやっていることは広宣流布でもなければ大聖人の御遺命でもない。公式サイトで浅井が言っている「魔の眷属」とは、まさしく浅井顕正会自身の事である。異論があるならば浅井顕正会に御遺命が下された証拠を出してみよ。とドンドン顕正会員を責めてください。なお、これは池田創価も同じです。戒壇大御本尊を断捨離し唯授一人血脈相承を否定し大石寺を誹謗中傷する団体が「大聖人の御遺命」だとか「広宣流布」だとか言ってるのは詐欺トークです。絶対にできないことを「できる」とウソついているのですかね。
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