創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

「学会常住御本尊記念日」70周年という厚顔無恥な記念日。

今日、5月19日は「学会常住御本尊記念日」で今年は70周年だそうだ。昭和26年に日昇上人が認められた御本尊がこの「学会常住本尊」であるが、現在創価本部に掲げられいるご本尊は、昭和26年の紙幅のご本尊を昭和49年頃に池田創価が勝手に板本尊にしたものを当時の日達上人の許しを得たという経緯で出来上がったご本尊だ。この学会常住本尊の願主は【大講頭・創価学会会長の戸田城聖氏】である。日昇上人は、【法華講の大講頭且つ創価学会会長の戸田城聖氏】の願いにより「学会常住本尊」を下付されたのである。つまり「学会常住」という所の「学会」とは「日蓮正宗創価学会」のことであって「新興宗教団体・創価学会」でない。しかも願主である戸田会長・戸田家も現在も日蓮正宗信徒であり現在の創価学会には所属していない。つまり「学会常住本尊」は、宗門から破門された時点で日蓮正宗に返納されるべき御本尊なのである。日頃は創価は正宗と無関係な団体なのだから創価の教義をとやかく言われたくないといいながら、本来なら正宗と無関係な団体が所持してはいけない御本尊を自分たちの組織の本部に堂々と安置し、しかも「記念日」と称して機関誌で大々的に取り上げる。なんとも厚顔無恥な団体ではないか。さて、本部参りの創価民はこの「学会常住本尊」という日蓮正宗のご本尊に題目を唱えているが、戒壇大御本尊を捨てた創価民がこの御本尊に向かって唱題を上げても何の意味もないということを知っているのだろうか?「学会常住本尊」を書写された日昇上人は、

◇この御本尊は「日蓮が魂を墨に染めながして書きて候ぞ信じさせ給へ仏の御意は法華経なり日蓮が魂は南無妙法蓮華経にすぎたるはなし」と仰せられますこの戒壇の大御本尊の御内証を、帯し奉って不肖日昇、六十四世の法主として、御本尊様に信仰をそめておしたため申し上げている御本尊でございまする。

と話されいることは当時の聖教新聞に掲載されている。また日昇上人は、

◇久遠本仏たる宗祖日蓮大聖人は南無妙法蓮華経をお唱へ出された年から二十七年即ち弘安二年に出世の御本懐たる本門戒壇の大御本尊を一切衆生に総与遊ばされたのであります

日蓮大聖人様は弘安二年十月十二日に本門の本尊を建立せられ、この本尊を一器の水を一器に移すように日蓮、日興、日目と付属せられ不肖日昇までに伝えられ、丑寅の勤行怠慢なく今日までに伝えられたのであります。本門戒壇の本尊こそ富士大石寺にまします三大秘法の御本尊であります

等々、戒壇大御本尊が出世の本懐であり、その本尊(法体)は唯授一人血脈相承により相伝されていると御指南され、池田創価が無断で作った「学会常住本尊」の板曼荼羅に認可を与えてくれた日達上人も、

戒壇の根本の御本尊を離れた時には、既にその御本尊は生命もなく、人を救うところの力もないのであります。

戒壇の御本尊の、又、写しが、各末寺の御本尊であり(中略)また各家の御本尊である。だからそこに戒壇の御本尊の、大聖人様の血脈が、正宗を信心する皆様の中に皆伝わっておるのでございます。その根本たる戒壇の御本尊を忘れてしまったならば、いかに信心しても、大聖人様の血脈は通じてこない。

戒壇大御本尊を離れたらいかなる御本尊にも大聖人の血脈は通じないと御指南されている。創価民は「信心の血脈」などと知ったような口をきくが、その「信心」というのは戒壇大御本尊への信心であることが大聖人仏法の正統なる継承者である日興門流の基本なのである。その信心無くして「信心の血脈」もへったくれもないのである。現在の「学会常住本尊」には大聖人の血脈(法力・仏力)は存在しない。よって自身の他身も救う力はない。それこそ『ただのモノ』が現在の「学会常住本尊」の本質である。しかも日昇上人・日達上人の御心を踏みにじっておいて記念日とはどの口がいうのかと思う次第だ。ともかく「日蓮正宗なんて無関係。戒壇大御本尊なんて必要ない」というなら、いつまでも未練たらしく日蓮大聖人の御本尊を本部に置いておくのはやめたらどうか?日蓮正宗法主上人から頂いた御本尊に記念日作ってはしゃいじゃって恥ずかしくないのか?

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