「宗教は非科学的だからインチキだ」と折伏でこのように反論されたことがある人は多いと思う。死後の世界や生命の連続性(過去世や来世)は科学的に証明されていない。つまり非科学的であるから否定する。ありがちな対話だけど私はむしろ科学的に証明されていない事象をインチキと否定する思考こそが科学を否定する「否科学的」な思考だと思います。フランスの学者で「最後の万能学者」と呼ばれたポアンカレはその著書(『科学と仮説』)の中で「科学とは、自然の真理なんてものではなく、観察結果を上手に説明できたり、再現させるのに使いやすい約束事に過ぎないのだ」と語り「科学の99.9%なんて仮説に過ぎない」と主張しています。私もこの意見に賛同します。科学は仮説を立て観察や実験を重ねて実証していくものです。よって科学とは「存在の仮説を立てること」だと思います。何故なら「非存在の仮説」を立てても非存在に対しては観察(自然科学)も実験(物理学)もできないから立証不可能だからです。そもそも「存在しない(非存在)」ものは科学の対象になりません。ですから科学的思考とは存在を否定のではなく肯定する仮説を立てることだと考えます。未知なるものの存在を否定してしまえば科学ではなくなります。それは科学を否定するということです。だから死後の世界や生命の輪廻を科学的に証明されていないからといって存在しないと考える、或いは否定する態度こそが非科学的であると思うのです。科学的に証明されていないからこそ「存在している」と仮定するのが科学的な思考ではないでしょうか。宗教を科学的証明がない事を理由に否定する人達は実は科学的思考ではないというか、神仏が非存在であることを科学的に批判すること自体が議論として矛盾していると思います。そのようなわけで「仮説の存在」である宗教を信じるか否かは別として科学を持ち出して宗教を否定するのは短絡的で軽率です。未知の存在について科学的な思考に基づくならば「非存在」の可能性よりも「存在」の可能性を仮定するのが科学的だと私は思います。
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