創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

死と宗教の意義。

母が無くなって3日が経過して少し落ち着いたのと同時にジワジワと様々な感情がわいてきます。週明けには葬儀が執り行われる予定ですが葬儀まで間があると良くも悪くも色々と考える時間も増えます。仏教徒なので「死」については学びますが実際に思いを巡らせるのは直接的に「死」に直面した時です。以前も書いたけど「死」に対する認識は人それぞれです。21世紀になっても科学は死に対して何の回答も示していません。それは実際に死んだ人はこの世に残らないから実験も検証もできないので科学のしようがないからでしょう。なので「死」については永遠に科学では絶対に解明することはありません。「死」は「人それぞれ」の仮説でしか語れないのです。そんな正体不明な「死」に対する対抗策として「宗教」は生まれた。だから「宗教」に関する科学もまた多くの意味を持たないでしょう。無宗教の人々の多くは「宗教など人生に必要ない」といいますが、それはある一面で正解です。何故なら宗教の本質的とは「生きていく」ための回答ではなく「死んでいく」ための回答なのですから。「人生(今生の期間)」の為には必要はないのかも知れません。仏教にどこか「死」のイメージが付きまとうのはその為でしょう。ただ人は必ず死ぬ。その為の準備と思えば不要と切り捨てるのは軽率だと私は考えます。さて実際に伝統的な仏教宗派のメインの教えは「死(後)」なのです。ところが戦後に新興宗教が登場するとそれらの団体は宗教を「現世利益」やその反対の「現罰や現罪」を説くようになり本来の宗教が説くところの「死(後)」の事を隠してしまいました。だから戦後生まれの私達は仏教の本質が「現世」にあるかのように思い込んでしまったと感じます。実際に江戸時代までの仏教信徒の信仰の主たる目的は「現世利益」などではなく両親の菩提を弔ったり自身の後生を願ったりすることであったのはどの宗派でも異論はないはずです。ところが戦後の新宗教団体の多くは唯物論的な「功徳がある」「利益がある」「贖罪しなければならない」などという甘言や脅迫で信者から金銭や労力を吸い上げている半面で、創価の様に「葬儀に僧侶は呼ばなくていい」「塔婆供養は必要ない」といった本来の仏教が持つ死後に対する意義を否定する教団まで出現する始末で、そんな教えを仏教だと言って広めているのは日蓮正宗に限らず既成仏教団体にとって好ましくないと思いますが他の既成宗派はどう思っているのか知りたいところでもあります。そんな新宗教団体が唱える「今生を楽しく幸福に生きる」だけでいいのなら無宗教の人達が言う通り宗教なんて不要でしょう。そんな教団に布施するお金や時間を自分の為に使った方が人生楽しいに決まっている。しかし、本来の仏教(宗教)とは「現世利益」をメインにしていないのです。あくまでもメインは「死(後)」なのです。ですから現在における「功徳」や「贖罪」をメインの教えとしている新興宗教団体は信仰するに値しないと思います。それは宗教ではないと思うからです。以前、在籍した創価学会はまさに「功徳がもらえる」のがウリの団体でした。しかも「選挙活動」や「新聞販売」で「功徳」がもらえるという胡散臭い団体でした。もっとも創価学会に限らず「現世利益」を強調する宗教団体はすべからく「胡散臭い」のです。それはそうした教団が仏教の本義ではない教えを説くからだと気が付きました。仏教(宗教)とは異質の臭いがプンプンするのです。いずれにしても宗教の意義とは「死」に対しする回答であり「御利益のもらい方」というよなインチキ投資話ではないということです。一番身近なそして自分の人生で(誰もが同じですが)一番長く付き合った母の死を迎えて宗教の意義を今更ながら改めて感じでいます。

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