今年も半月が過ぎすっかり正月気分も消えて日常生活に戻りましたね。正月というと、「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」という一休さんの狂歌が有名ですが正月に限らず私達は毎日朝を迎えるとまた一日「死」へと近づくわけです。人間は必ず死ぬ。というのは誰もが分かっていることだけど日常生活で「死」を意識しながら生きている人なんてそうはいません。私もずっと「死」なんて意識しないで生きてきたけど数年前に癌になり2度の手術を受けた時に初めてリアルで「死」という事を意識しました。あの時死んでいたら戒壇大御本尊様に一度もお目通りすることなく今世を終えていたと思うと生きてて良かったとしみじみ思います。さて、無信仰の友人たちに仏法の話をすると、「死後の世界」の有無の話になることが良くあります。仏法は生命(魂)は永遠という立場ですから「死後の世界」そして来世が有るという主張です。対して、「死後の世界」も「来世」もなく人は死んだらおしまいと考える人もいます。「死後の世界はない」と考える人の理由として、死後の世界を見てきた人がいないとか自分は前世の記憶がないという話を聞くけど要するに科学的な根拠がないという事です。確かに「死後の世界」や「来世」が存在するという科学的な根拠はありませんが、反対にそれらが「存在しない」という科学的な根拠もありません。つまり「不可知」なんですね。誰も分からないし証明できないわけです。そうなると「信じる」か「信心ないか」の個人の判断になります。私は、「信じる」側を選択しました。その理由はリスクヘッジです。多くの人は程度の差があるにせよリスクヘッジを図りながら生きていると思います。保険なんて最たるものです。自動車保険なんて事故を起こさない限り使いませんが事故を起こさない人でも自動車保険に加入している人が大半でしょう。そのように危険(リスク)を予想してそれを回避(ヘッジ)することが人生においては重要なことだと誰もが知っています。そうすると、「死後の世界は存在する」「来世も生命の続きある」と考えた方が危険回避できる生き方になります。何故なら正しい信仰をして死後の世界が無かったとしても大きな損失はありません。しかし、死後の世界や来世がないと決めつけ(思い)信仰など不要だとして、もしも死後の世界が有ったらそのリスクは非常に大きいと思います。下手すると無間地獄行きすらあり得ます。「死後の世界」に対してリスクヘッジをシッカリしようと思ったなら、無信仰でいるより正しい信仰を持った方がいいというのが無信仰だった私が信仰を持とうと思った理由です。「信仰なんて必要ない」と主張する人も大勢いますが、そのようなに人達も「死後の世界も来世もない」という確実な証明はできない。それなのに他人に宗教不要と主張する人は私は無責任でありリスクマネジメントができてない人だなって思います。創価信仰などという多くの時間や金銭・労力を要求されるような今世の人生に悪影響をあたえるような信仰は論外ですが、例えば正宗の信仰なら朝晩の勤行、それが難しければ最低でも朝晩、御本尊に題目三唱すれば少なくても来世を含む未来のリスクヘッジになります。仮に死後の世界など無かったとしても、時間や金銭・労力を大きく損なうことはありません。ならばやっておいた方がいいと思うわけです。「信仰なんてしなくても人生を楽しく幸せに生きられる」という人もたくさんいますが私もそう思います。そんなことは当たり前の話です。でも死後に対するリスクヘッジをしておいた方が、安心して楽しく幸せに生きられるのではないでしょうか。先ほどの自動車保険と同じなんです。自動車保険は事故を起こさなければ保険金は払い損です。でも多くのドライバーが保険に加入するのは「万が一の時の安心」を買っているのです。私が信仰を勧めるのも、「万が一死後の世界や来世が有った時にも安心」だからです。リアルに死が身近になってから不安にかられて慌てて信仰するよりそうなる前にした方が断然いいです。生命保険だって若い頃加入した方が掛け金が安いでしょ(笑)。「死後の世界」や「来世」がないと予想するより在ると予想する方が私は合理的であり理性的だと思います。そしてそれに対処する正しい信仰をもつ生き方の方が人生最後の瞬間まで安らかで幸福で楽しい日々を過ごせると思うんですよね。
▼「一日イチ押」お願いします。