昨年末に、『日達上人全集』を購入しました。『日達上人全集』もずっと欲しかったのですがなかなか高額なので踏ん切りがつかずにいましたが5万円を切っていたので、「自分への1年間頑張ったご褒美」という訳の分からない理由を勝手につけて認知的不協和を解消しポチっとワンクリックして買ってしまいました。妻もどうやら私が書籍を買う事を止めさせることは諦めたようで、「また本が届いているよ」とあきれ顔で一言いっただけでした。(笑)日達上人の書き物と言えば、昨年登山の折に盥洗(かんせん)を購入して読みました。この書物は、日達上人が御登座前に宗門の機関紙に連載されていたものをまとめた書籍です。『盥洗』の文章を読むと、日達上人はロマンチストというか風流というイメージを勝手に想像しました。しかし、妙信講(現在の顕正会)を処分したり、正信会や池田創価と一歩も引かずに対峙するという気迫あふれる法主上人だったと思います。私は日達上人時代は全く知りませんが、古い創価民の家には未だに日達上人の御本尊が返納もされずに安置されています。そんな創価民に創価イカサマ本尊の話をすると、「うちは日達上人の御本尊だから大丈夫」と返ってきます。(笑)ようは創価本尊がイカサマだってことを知っているってことです。なのに未だに創価に残留し日達上人の御本尊を安置している意味がわかりません。さて宗創問題を語る時に日達上人は必要不可欠な存在ですので、この全集で日達上人の御言葉をしっかりと学びたいと思っているのですが、今日現在で1巻の1ページ目しか読んでいません。(汗)他に未読の書籍がたくさんあるのでなかなか『日達上人全集』まで手が回りません。
唯一読んだ1ページ目に書かれているのは、有名な正本堂に関する昭和47年の【訓諭】です。創価はこの訓諭の切文を使い日達上人が正本堂を大聖人の御遺命の事相の戒壇だと認めたといい正本堂を解体した日顕上人を御遺命の戒壇を破壊したなどとウソの誹謗をし、顕正会もまた訓諭の切文を用い日達上人が正本堂を御遺命の戒壇だと言ったなどと誹謗しています。全文を読めば日達上人が正本堂を直ちに、一期弘法付属書並びに三大秘法抄に書かれている本門事相の戒壇であるとは言っていないことが分かります。哀れにも創価・顕正民は池田・浅井に騙され続けているわけです。これらの一連の件に関しては別記事で少し詳しく書く予定です。ともあれ、現在の未読の書籍を読み終え今年中にはこの『日達上人全集』を読破したいとは思っています。(読破するとは言っていない)
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