池田創価の恥知らずな発言の中に、「池田創価だけが大難を受けて広宣流布をしてきた。」という言葉がある、教宣ハンドブックにも正木元理事長の、「日蓮門下の歴史にあって御書の通りに大難を受けかつ広宣流布を実現したのは誰か。それは創価三代の師弟、なかんずく池田先生以外には断じておりません。」という宗史を無視した池田自慢が掲載されている。創価民は大聖人門下の歴史など学ばないのをいいことに適当なことを言って自賛するその姿は実に滑稽であり、それを額面通りに受け取り宗門の僧俗を軽賤する創価民は莫迦すぎて哀れだ。富士門流の法難の歴史は『富士宗学要集9巻』に掲載されているが、それらの法難の歴史を読むと池田創価が受けてきた難などと自己申告する方が恥かしいぐらい取るに足らないレベルの出来事である。そしてまたそれらは「法難」ではなく単なる自業自得でしかない。さて、『富要集』に記載されている法難は江戸・徳川時代に集中している。苛酷なもの長期にわたるもの大規模なものと数々の法難を富士門流の僧俗は受けてきた。例えば【千葉法難(1706年)】では7件の檀家が無許可で西山本門寺の末寺に寺替えをし名主の源右衛門等4人が斬首され組頭の五右衛門等7名が中追放、その親族100名余りが軽追放になった。日亨上人はこの千葉法難を「酷」と評している。【千葉法難】に始まり、【金沢法難】、【讃岐法難】、【仙台法難】、【伊那法難】、【寛政度法難】、【尾張法難】、【八戸法難】、【弘化度法難】が江戸時代の九箇の法難と呼ばれている。こうした法難が江戸時代に集中したのは徳川幕府の体制維持のための宗教政策に起因する。1601年に寺院法度(法度とは命令のこと)を発令し、1665年に諸宗寺院法度が出された。内容としては幕府が管理しやすいように各宗の本末関係(本山と末寺)を強化したり私設寺院の建立を禁じている。また新義・異議が禁止され新しく宗派を起こすことや既成宗派であっても新寺院を建てることも厳しく制限された。また宗門改めにより民衆は信仰の有無に係らず幕府が指定したいずれかの宗派に強制的に帰属させられ檀家制度が確立し離檀・改宗は勝手にできず、国元に末寺がなければ改宗は困難だった。更に自讚毀他の禁令により自宗を褒め他宗を貶すことが禁止された。他門流の中にはこうした政策下の中においても破邪顕正の折伏をし禁令に触れ潰され消滅した宗派もある。確かに権力を恐れずに折伏するのは称賛される部分はあるだろう。しかし富士門流・大石寺には、一閻浮提一切衆生の法体たる戒壇大御本尊とその法体を伝持する唯授一人血脈相承の法主上人がいる。その法体を護ることが最大第一の重要事項なのである。よく創価は戦時中の宗門を権力に負け戦争に協力したと非難するが江戸時代に消滅した他宗のように正宗が消滅し戒壇大御本尊が他宗に奪われ唯授一人血脈が途絶えてしまえば万年にわたる一切衆生の成仏を不可能にするのである。創価初代・牧口氏の、「私が嘆くのは一宗が滅びることではなく一国が滅びることなのだ」との言葉は大聖人の仏法をできていない故の発言に他ならない。日亨上人は、『富要集』の中で、
◇「顧みるに法難の起こる時、必ず外に反対宗門の針小棒大告発ありて其の発端を発し、内に世相を無視して宗熱に突喊する似非信行の門徒ありて、両面より官憲の横暴を徴発するの傾き多し。本編に列する十余章皆、然らざるはなし」
と書かれている。創価御自慢の牧口・戸田両氏の投獄はまさしく「世相を無視して宗熱に突喊する似非信行の門徒」の軽率な行動に他ならず両氏の投獄は「法難」のカテゴリーには入らない。ともあれ、江戸徳川時代においてはこのように幕府に置ける厳しい宗教統制があり信教の自由などない時代だった。それでも富士門流・大石寺の僧俗は戒壇大御本尊と法主上人を護りながら折伏・弘教をしていったのである。そして今では想像ができないような、時に命に及ぶような苛酷な法難を受けしかも退転せず令和の現在まで戒壇大御本尊を護り伝えてきた。だからこそ牧口・戸田両会長が入信し創価学会が誕生したのが史実である。そうした富士門流の苦難があればこそ現在の池田創価が存在しているのだ。池田創価など江戸時代生まれなら速攻で壊滅している。信教の自由が認められた戦後にポッと出の創価が「我等以外に大難を受けた僧俗は存在しない」などと宣うことは不知恩この上なく厚顔無恥にもほどがある。戦後の自由な時代に法難など受けるはずがない。ましてや池田創価時代ともなれば池田のいう法難など全てが池田や創価による自業自得の結果でしかない。また世界に妙法を広めたなどと自慢するが交通・通信が発達し飛行機に乗れば寝ていても外国に行ける世の中で世界に弘教するのと江戸時代の様な状況で弘教するのとどちらがより苦労が多いかは明瞭だ。そういうつまらない比較をして宗門は弘教してこなかったなどと誹謗するのが創価民である。そもそも戒壇大御本尊を護るために法難に逢ったと豪語している人間・団体があっさりと戒壇大御本尊を捨てているのだから逆に法難から逃げたという事だろう。このように池田創価だけが大難を受けたなどと言うのは史実を無視した大傲慢な与太話である。江戸時代の各法難については今後も機会をみて詳しく記事にするが、令和の信教の自由が保障された順縁広布の今の時代に命に係わる様な法難など北朝鮮で弘教するというような事でもしない限りありえない。(創価も世界広布を自慢したのなら北朝鮮で弘教してみろ。)富士門流・大石寺の僧俗の法難の歴史を振り返るとき自分の甘さを反省する。もっと折伏弘教をし、創価・顕正などの異流義たちを破折していかなければ霊鷲山で先人達に申し訳が立たないとしみじみ思う。
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