創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

自分の力を信じる。

創価男子部活動家時代に折伏相手からよく聞かされたセリフに、「自分の力を信じて自力で人生を切り開いていく。」という内容の言葉がありました。20代・30代の自分の同世代が折伏相手ですからそのように言う気持ちもよくわかったし私も同じような考えを持っていました。私自身も若い頃から宗教は他力本願的だと思っていたので、そういうものに頼らずに自力で人生を切り開くというのがカッコイイ男の人生だと思っていました。(笑)もっとも、自力で人生を生きるなんて別にカッコイイわけでなく当たり前のことなんですけど若いうちはそんな当たり前のこともカッコよく思えちゃうんですね。問題は「自分自身の力」とは何か?という事なんですけど若いとあまりそういうことを深く考えないで自分には素晴らしい才能があると思ってしまいますし若者はそれくらいの方が断然いいのです。ロシアの文豪ゴーリキーは「才能とは自分自身を自分の力を信じることである」という名言を残しています。一見すると誰にでも持ち合わせているような才能に思えますが、実際に「自分自身の力を信じ切る」というのは実に難しいことです。調子が良くて上り坂の人生の時は自分自身をいとも簡単に信じることができるでしょうが(過信ってヤツです)、苦難の時にも同じように自分を信じることが出来る人は稀です。過信や虚勢、或いは願望で自分で自分を信じ込ませるという事は出来るでしょうがそれでは本当に「自分の力を信じている」とはいえません。自分を信じたいと思う気持ちと共に自分に対し不安や疑いを持ってしまうのが大多数の普通の人間だと思います。自分を信じることは口で言うほど簡単ではないし誰もが持ち合わせている「才能」ではないのです。誰しもが持ち合わせていないからこそ『才能』と呼ぶわけですから。だから私は、「自分の力を信じて生きるから宗教は必要ない。」と言う相手には、「そういう人こそこの御本尊が必要だし役に立つんだよ。」と言っていました。普通の人間にとって自分自身をどんな時にでも信じ続けることは難しいのです。何故ならば、人はどうしても自分の力を自分で推し量ってしまうからです。いくら他人から「君には無限の力がある」と言われてもそれを苦難の時に信じ感じる事はできないのが普通なのです。そこで仏と法の力を併せ持つ日蓮大聖人の御本尊を信じて題目を上げることが役に立つのです。仏と仏の法には無限の力があります。仏法の無限の力を信じられなくても少なくても自分よりは力を持っているのが仏様です。一見すると仏様にすがっているように思いますが、日蓮大聖人の御本尊に題目を上げると御本尊はそっくり自分は同じになりるのが仏法の法則ですから御本尊を信じることは実は自然と「自分を信じる」ことに通じるのです。ここが日蓮大聖人の御本尊(仏法)とその他の宗教の大きな違いなのです。つまり御本尊に日々唱題を上げることによって、「自分を信じる」という才能が求めずして手に入るわけです。そうなれば、元々が「自分の力で人生を生きていく」と思っている自立している人は、最初から人生の様々な場面で努力し工夫し成長して人生を切り開いていこうとしているわけですから、誰かや何かに依存や利用をして生きていこうと思っているような人とは比べもにならないくらいの素晴らしい人生を歩んでいけると思います。最初から自主・自立した信念をもって生きていく人に足りないのは、「どんな時でも自分を信じ切る才能」だけでそれが日蓮大聖人の仏法を信仰することで手に入るわけですから自分で人生を切り開いていこうと決意している人にこそ大聖人の仏法は大いに役に立つのです。もちろん自分を信じられないという人も、日蓮大聖人の仏法を信仰すれば心では自己不信であっても無意識のレベルでは自分を信じる才能が身についているので結果として素晴らしい人生に変わっていきます。私もどちらかと言えばネガティブな心配性ですが御本尊を信じることによって自力で人生を歩むことができています。日本という国はどんどんと生きていくのが大変な国になっています。それでも人生は誰も助けてはくれません。そんな日本でこれから長い人生を送る若者こそ日蓮大聖人の仏法を信仰し自主・自立した素晴らしい人生を歩んで欲しいしその様な若者が日本の未来を変えてくれると、日本という国をこんなにダメにしてしまった反省を込めて親次世代の私は思うわけです。

 

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