創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

信は荘厳より起こる(生ず)

総本山・大石寺に御登山するといつも感じるのが大石寺のその威容です。三門・客殿・御影堂に五重塔はさることながら塔中を散策するだけでも、その凛とした佇まいに心を洗われます。「信は荘厳(しょうごん)より起こる(生ず)」との諺にあるように正しく大石寺を訪れると一般の方でも心の中に多少の信仰心が生まれると思います。昔、まだ創価の未活動家だった時に知人の婦人部に連れられて学会本部に初めて行った時には全く何の感動も歓喜も起こりませんでしたが初めて大石寺に行った時は感動しました。私の実弟と息子も昨年の1月に初めて大石寺に行ったのですが感動・感激していてその時だけだったかもしれませんが信仰心が沸いたようです。池田大作や浅井昭衛が大石寺を「謗法の地」「魔山」などと呼んで会員を総本山に近づけないようにしているのはこの荘厳された大石寺を見ることによって会員が日蓮正宗に流出してしまうの事を恐れているのだと思います。

大石寺は御堂と云ひ、墓所と云ひ、日目之を管領し、修理を加へ勤行を致して、広宣流布を待つべきなり。(日興跡条々之事)

との御指南にもあるように大石寺はその時々の僧俗が法主上人の許で御供養し現在に至っています。創価も貢献した時代もありましたが残念な事にいまや謗法団体になったばかりか「供養を返せ」などという情けないヤカラもいます。私も総本山に御登山した折には僅かばかりですが御供養をさせていただいていますが少しでも総本山を荘厳するお役に立てていると思うと有難く思います。不動産を買い漁って気色悪い会館を建設した所で誰も信仰心など起こりませんが総本山や末寺を荘厳することは間接的に広宣流布に繋がるわけです。また荘厳すべきは総本山や末寺の堂宇だけではありません。自宅の御仏壇もまた出来る限り荘厳にするように心がけています。振り返れば創価時代の私の仏壇は荘厳とは程遠い状態でした。正宗に戻ってから「鶴丸徳利」や「金蓮華」を購入して樒も常に青々したものを供え酒・菓子・果物の御供物も常にお供えし、また朝の勤行の前には仏壇の前を掃き掃除するようになったのも全て創価をやめて正宗に移籍したからです。こうして自宅の仏壇を荘厳すると今度は唱題もたくさん挙げられるようになりました。また、未入信の妻もズボラな私がお仏壇をキレイにしている姿をみて御本尊様が大切なものだと思っているようで最近ではお仏壇にお供えする果物やお菓子を買ってきてくれます。勤行や唱題がなかなかできないという人はまずは自宅の御本尊の周りを荘厳してみてください。きっと今まで以上に唱題するのが楽しくなりますよ。創価時代にはそれが分らなかったのは創価は「法本尊」の一面だけ強調して「人本尊」という部分をおざなりにする傾向が強く御本尊を仏様として観ることができなかったからだと思っています。もっとも、創価本尊は仏様ではないので仏壇を荘厳する気持ちにならなかったのかもしれません。いずれにせよ常に気持ちよく唱題を挙げられるように心がけることが大切なんだと日蓮正宗で教えてもらいました。創価では化義はなんでもかんでもそんな形式に過ぎないといって軽視されてきたましたが、「信は荘厳(しょうごん)より起こる(生ず)」です。その形式によって目に見えない心(信心)が顕れその姿が広宣流布につながるのだと思います。埃だらけの仏壇に造花の樒を飾って池田大作の写真を立てて「日顕宗撲滅」なんていうご祈念板を立ていたら誰も創価学会の信心をしたいなんて思いませんよね。

 

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