創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

ディスミナシオンさんのご質問への回答

ディスミオンさんお待たせしました。

この記事で貴方への回答をさせていだきます。

本論に入る前に予め申しあげておきますが

これから日蓮仏法の本尊の根本義を書きます。

この「本尊義」とは「信じるか」「信じないか」の話です。

ですからディスミオンさんがこれから書く「本尊義」について

「納得しても」「納得しなくても」

「理解できても」「理解できなくても」

「学術的と思っても」「学術的ではないと思っても」

「肯定的であっても」「否定的であっても」

それは貴方の自由であり私が関知するべき領域ではありません。

貴方の頭に入れておいて欲しいのは

これから書く「本尊義」を信じる人が日蓮仏法の信仰者であり

信じない人は日蓮仏法の信仰者ではない。ということだけです。

では本題にうつります。

大聖人仏法の本尊義の根本中の根本は

「大御本尊」とはご本仏(大聖人)の色心二法である。

言い換えれば「大御本尊」とはご本仏そのものである。ということです。

ここが1丁目1番地です。

理由は多々ありますがそれを書けば長くなるし

書いたところでご理解をいただけるとも思いませんので割愛させていただきます。

この根本の本尊義を元にご質問にお答えします。

尚、貴方と私の間において、いわゆる御書は

コンセンサスを得るテキストにはなりえないので

今回の記事についての御書の引用は一切いたしませんで悪しからず。

①ネットでよく、御本尊のカラーコピーに祈っても功徳がないと仰る方がいます。管理人さまは確か以前の記事でそうしたお考えを退けておられましたが、その理由はなんでしょうか。

大前提としては創価本尊(コピー本尊)は、

本尊としてのテイをなしていません。

なぜならば色法はコピーできても心法はコピーできないからです。

そう言う意味では創価本尊には心法がありませんので

正確には「大聖人の本尊」ではありません。

しかし、どうしてもやむを得ず或いは

無知または騙されて創価の本尊を受けてしまい

だけど「大御本尊」信じている。信じたい。という人。

つまり「大御本尊」に、身口意で信をとる学会員さんならば

例え創価本尊でも功徳はあると考えます。

その理由は、そうしたやむを得ない理由により

謗法団体に所属している信徒などを

大聖人は切り捨てておらず

むしろその信心を褒めたたえています。

もちろん、本来は正しい御本尊を自宅にご安置するのが一番ですが

どうしてもそれをできない人を一律に切り捨てるとなると

大聖人の実際のお振舞との間に齟齬が生じてしまいます。

「理証」をもってするならば、上記のような理由で創価本尊を安置してる方は

大御本尊に対する「信」があれば仮ではありますが

創価本尊にもご本仏も心法が写り、御本仏に通じると考えます。

ただしもう一度言いますが、

本来は正しい本尊をご安置するのが最善です。

スマホタブレットに大御本尊を映して唱題するのは、功徳がありますか

ありません。

まず現実的に大御本尊をスマホ等に撮影するのは不可能ですが

仮に可能であっても功徳はでません。

なぜならば、「大御本尊」(ご本仏)を撮影するなどという発想自体が

すでに大御本尊をご本仏の当体であると思っていない行為です。

つまり「大御本尊」に対し「信無き姿」です。

故に罰が出ることはあっても功徳はありません。

③大御本尊は日蓮直筆ではなく、それを木に彫ったものだと認識していますが、それを3Dプリンタで再現したら、同等の力を持ち得ますか。

持ちません。

先にも書いたように「大御本尊」はご本仏の「色心二法」です。

見た目が全く同じだから同等の力があるわけではありません。

むしろより重要なのは「心法」なのです。

大聖人の書かれた御本尊もすべて同じでありません。

同じなのは「御本仏の心法」を映されているという部分です。

仏力・法力といっても御本仏の心法に存在するのです。

④大御本尊焼失、というと穏やかではないですが、あり得ないことではないと思います。その場合は、日蓮はこの世界から全く失われてしまうことを意味するのでしょうか。

意味しません。

ご本仏は無始無終の存在ですので失われることはありません。

大御本尊は無くなったら?という命題を持ち出す人は多いですが

そのような時が来たらどうするのか?など凡智では測れません。

唯受一人血脈相承を受けた時の法主が再建するのか

それとも再び大聖人がこの世に姿を見せるのか

それは私には分かりかねます。

以上がご質問への私の回答です。

さて、今回のディスミオンさんのご質問は

どれも過去に複数の創価カツドウカが疑難を吹っかけてきた設問です。

ディスミオンさんのような日蓮仏法の信者ない方ならまだしも

大聖人をご本仏といい、日蓮仏法を行じ信仰している

と言ったはばからない創価カツドウカがこのような質問や疑問を抱くのは

「本尊義」の根本を分かっていなし信じていないからです。

ですから、彼らは「日蓮仏法を信仰している」など言ってはならないのです。

それを言ったら「ウソ」になりますから。

ディスミオンさんにとって今回の回答は

納得できない事だらけでしょうが

冒頭に書いたように、これを信じて納得できるのが

日蓮仏法の信者なのです。

なぜか?という野暮な質問はやめてくださね(笑)

このことを「信じられない」方には永遠に理解できませんし

それは理解できなくて当然のことです。

私はそのような方に、説得をし納得してもらおうとは思っていませんし

ディスミオンさんのような考えを否定する気もなしし

「可哀そうな人」などと憐れむような失礼なことも言いません。

ディスミオンさんにしても同じだと思います。

私に信仰をやめさせよう。なんて思ってないでしょう。

ですから、納得いかなくても理解できなくても仕方ないのです。

私も同じような事柄について同じような質問をいただいても

答えは変わりません。

今回のご質問は、創価学会さんに対しても

いいメッセージになりそうでしたので

記事に書かせていただきました。

よいご質問ありがとうございました。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ