創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

音(楽)の供養・妙御菩薩(アメリさんのコメントへの記事)

【もしよろしければ、鼓笛隊に因み、仏様への音楽の御供養について何か経説や御指南などあれば、ご紹介頂きたいです。】

アメリさんから上記のようなコメントいただいたので今回は、音(楽)の御供養について書きます。法華経の中には実は「音の供養」の話は結構あります。

■若しは人をして楽を作さしめ 鼓を撃ち角貝を吹き簫笛琴箜篌 琵琶鐃銅是の如き衆の妙音 尽く持って以て供養し或は歓喜の心を以て 歌唄して仏徳を頌し乃至一小音をもってせし 皆已に仏道を成じき(方便品)

■四王の諸天、仏を供養せんが為、常に天鼓を撃つ。其の余の諸天、天の伎楽を作すこと、十小劫を満つ。滅度に至るまで、亦復是の如し(化城喩品)

■若し復人有って、妙法華経の、乃至一偈を受持、読誦し、解説、書写し、此の経巻に於いて、敬い視ること仏の如くにして、種種に華香、瓔珞、抹香、塗香、焼香、繒蓋、幢旛、衣服、伎楽を供養し、乃至合掌恭敬せん(法師品)

などなどありますが、やはり法華経で音楽と言えば妙音菩薩が有名ですね。「妙音菩薩品第二十四」によると妙音菩薩は浄華宿王智仏の浄光荘厳国の菩薩で衆生を救うためにその機根に従った三十四種に身を変化させ法華経を説きます。この菩薩は過去の雲雷音王仏の世に十万種の伎楽と八万四千の七宝の鉢を仏に供養した功徳によって浄光荘厳国に生まれ種々の神通力を得ました。私は正宗の鼓笛隊のことは良く知りませんが音楽を御本尊様に御供養しまたその音楽を聴いた人たちを幸せな気持ちにさせるのは妙御菩薩と同じ修業をしています。しかも妙音菩薩は雲雷音王仏という迹仏への御供養でしたが鼓笛隊の皆さんは戒壇大御本尊様という御本仏への御供養の音楽ですからその功徳・善根は妙音菩薩など比較にならないほど大きいでしょう。それはそうですよね。鼓笛隊隊の皆さんは地涌の菩薩ですから妙音菩薩など足元にも及びませんよね。さて、大聖人は『御義口伝』で妙音菩薩について

◆御義口伝に云く妙音菩薩とは十界の衆生なり、妙とは不思議なり音とは一切衆生の吐く所の語言音声が妙法の音声なり三世常住の妙音なり、所用に随つて諸事を弁ずるは慈悲なり是を菩薩と云うなり、又云く妙音とは今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る事は末法当今の不思議の音声なり、其の故は煩悩即菩提生死即涅槃の妙音なり云云。

と御指南されています。総じていえば一切衆生の声は妙音ですが、別していえば我々正宗の僧俗の唱題こそが御本仏にとって最高の音楽であり妙音なのです。唱題だけは有りません。お寺で唱題するときの太鼓(出仕太鼓)も単に唱題の声を合わせるためのものではなく御本尊への御供養の意味も持っています。(創価では太鼓を打たないので最初はビックリしました)そして我々が勤行の時に打つ鈴(リン)の音もまた御本尊への音楽の供養に他なりません。私は正宗に移籍した時に一番最初にこのリンの打ち方を直しました。創価では導師によってリンを打つ回数がマチマチでそれが非常に気になっていました。御本尊への音楽の御供養なのだから適当に鳴らしていたらダメだろうと思ってからです。因みに富士門流日蓮正宗)の正式なリンの回数は、方便品の前は7回、寿量品の前が3回、引き題目の後が5回、勤行が終わり唱題に入る時が7回が基本です。初座にリンを打たないのは初座は御本尊ではなく諸天善神への法味の為のものなので御本仏への御供養ではないからだと思っています。(あくまでも私見ですが諸天は仏ではないので御供養を受け取ることができませんので)このように、勤行唱題こそが御本仏への最高の妙音・音楽の御供養なのです。いつも勤行・唱題は御供養・修行であると言っているのはこのような意義も含まれています。創価のようなインスタント勤行ではリンもまともに打たないし、池田大作の汚ダイモクでは御本尊様に対して失礼ですよね。あれでは妙音どころか雑音です。(笑)さてこのように日々勤行唱題の妙音を御本仏に御供養している我々は様々な姿をみせ人々を折伏することができるのです。それが妙音菩薩の持つ三十四身の神通力なのです。ただ勤行唱題だけをしているのは妙音の御供養をしている修行者の段階です。折伏して他者を救ってこそ菩薩なのです。菩薩にならないなら修行は不要なんです。ここが大切です。また鼓笛隊の子供たちには嬉しい姿や時には悲しい姿を見せる時もあるとは思うけどそれは仮の姿であって君達の本当の姿は妙音菩薩をも超える素晴らしい福徳を持っている地涌の菩薩なのだから何があっても挫けないでこれから先の道を歩んで下さい。とお伝えください。

▼「一日イチ押」お願いします。


にほんブログ村


創価学会ランキング