創価ダメだしブログ

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御講拝読御書研鑽(2023年12月・法華題目抄)

されば、この経に値いたてまつることをば、三千年に一度花さく優曇華、無量無辺劫に一度値うなる一眼の亀にもたとえたり。大地の上に針を立てて、大梵天王宮より芥子をなぐるに、針のさきに芥子のつらぬかれたるよりも、法華経の題目に値うことはかたし。この須弥山に針を立てて、かの須弥山より大風つよく吹く日いとをわたさんに、いたりてはりの穴にいとのさきのいりたらんよりも、法華経の題目に値い奉ることかたし。されば、この経の題目をとなえさせ給わんには、おぼしめすべし、

今年最後の御講御書は『法華題目抄』です。本抄については日寛上人の文段がありますので文段を持っている人は読みなおしてみてください。以前、当ブログで本抄の題号についての記事を書いていますので下記にリンクを貼っておきます。さて本文に書かれている法華経の題目に値い奉る法華経の題目とは本門の本尊のことで、この経の題目をとなえさせ給わんとは本門の題目の事です。この次下に【生盲の始めて眼あきて父母等をみんよりもうれしく、強きかたきにとられたる者の、ゆるされて妻子を見るよりもめずらしとおぼすべし。】と続くので今回の御文は区切りる箇所がちょっと中途半端な気がしました。この御文は、3000年に一度開花するといわれる優曇華の花を見たり一眼の亀が自分にピッタリな栴檀の浮木に乗れたり天上界から芥子粒を投げて地上の針の先に落としたり大風の日に遠くから糸を針の穴に通したりするよりも、御本仏(本門の本尊)に巡り合うことは難しく稀なことだという御指南です。「単なるモノである幸福製造機という名称の掛軸」などはカレンダーと同じで物珍しくもなく3~5000円も出せばすぐに手にはいりますが、御本仏の色心二法の体である御本尊に巡り合うことができるのは奇跡に近い幸運だということです。しかしそこは凡夫の哀しさで私もややもすれば常に御本尊(御本仏)が近くに御座しますのでその有難さを忘れてしまいがちになりお給仕などもただの作業のようにぞんざいになってしまったりします。そんな自分の信心が緩んでしまった時にピッタリな御文ですね。また御本仏(御本尊)に出会うことも稀な事ではありますが、その御本仏に勤行唱題の御供養を申し上げることは生まれながら目の見えない人が初めて両親の顔を見た時よりも嬉しいことであり、敵につかまって二度と会えないと思っていた妻子に再び会えた時よりも稀なことなのです。朝晩に勤行唱題ができるというのは日々に仏様に御供養をさせていただいているのと同じで毎日功徳善根を積ませていただいているのです。ですから、悩みがないから、疲れているから、他に用事があるからと言って勤行唱題をしないことは実に勿体ないことなのです。逆に功徳が欲しいから唱題するという創価乞食信心も違うなと思います。会い難き仏様に会えた喜びと感謝の念をもって、まずは唱題の御供養を指し上げるのが信仰者の態度ではないかと思うのです。その結果として功徳が積まれるということではないでしょうか。創価乞食信心は順番が違うのです。仏様にあっていきなり「功徳もっとちょ~だい!」とかいいますか?それじゃタケモトピアノです(笑)。◆凡夫は志ざしと申す文字を 心へて仏になり候なり(白米一俵御書)との御指南にあるように仏様に会ったら何を差し置いてでもまず御供養だと思います。それから自分の願い事だと思います。ともあれ朝晩に御本仏にお会いできることの喜びと感謝を忘れてはいけないと自戒しています。もちろんそれは自宅だけでなく菩提寺の御本尊に対する時も同じですし、特に大石寺戒壇大御本尊様の御開扉をいただいた折には尚更です。寺院や自宅の御本尊は分身の仏様ですが戒壇大御本尊様は御本仏の本体ですから特別です。そして、この会い難き御本仏に会うことが出来てお題目の御供養をできる喜びと感謝は自分一人が満喫するのではなく自分の周りの人達にも伝えていくこと、つまり折伏・弘教も大切ですね。大聖人の仏法を信仰する人が増えればその分御本仏へのお題目の御供養も増えていき、多くの人達が功徳を積むことによって幸福な社会になっていく。それが立正安国の原理ですね。今月の御書を研鑽し改めて自分の信心を見直し改善することができました。

■過去記事▶題号だけの御書講義⑤(法華題目抄) - 創価ダメだしブログ

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