創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

題号だけの御書講義⑤(法華題目抄)

今回の「題号だけの御書講義」は「法華題目抄」です。この題号は付文の辺(文上)では二義あります。まず「題目」は名で「法華」は体。妙法蓮華経という題目は「名前」でその本体は法華経二十八品(法華)という事。次に「雙観経」(念仏)などの題目と区別して「法華の題目」と言う。この書は佐前の書なのでこのように付文においては権実相対の義を表しています。元意(文底)での義としては「法華題目」の題号に三大秘法を含んでいます。「法華」とは「所信の体」で「法体」のことで即ち「本門の本尊」です。「題目」とは「能唱の行」で「所信の体(本門の本尊)」に備わる修行のことで「本門の題目」です。そしてこの二つ(本尊と題目)が揃っている場所が「本門の戒壇」ですから「法華題目抄」の題号には三大秘法の法義が含まれます。さて、法華題目抄は本文の冒頭に「南無妙法蓮華経」と書かれています。これは「法華題目」=「南無妙法蓮華経」であることを意味します。「妙法法蓮華経」=「法華」で「南無」=「題目」です。ただしこれはあくまでも妙法七字を「法華題目」の題号に即して解釈しただけであって大聖人仏法は人法一箇ですから「南無」と「妙法蓮華経」は切り離さない。よく「妙法蓮華経」に「南無」するから「南無妙法蓮華経」だと思っている人がいますがそうではありません。「南無妙法蓮華経」の七字でひとつの「法体」なのです。今日はこの件については深く書きませんが我々大聖人門下は「妙法蓮華経」に「南無」するのではなく「南無妙法蓮華経」を受持するのです。「南無妙法蓮華経」全体が「法華」であり「題目」でもあるという事です。即ち「法華題目抄」とは文底で読めば「南無妙法蓮華経抄」という意味になります。具体的には「本門戒壇の大御本尊」を信じ「南無妙法蓮華経」の題目を唱える義が「法華題目抄」の題号の義ということです。本文には有名な妙の三義が書かれていますがこれは「戒壇大御本尊」の仏力・法力(法華)について書かれている部分でその仏力・法力を得る修行として唱題を勧めているのが本抄の内容です。創価民は「唱題」に功徳があると思い込んでいますが「唱題」は前述のようにあくまでも「能唱の行」ですからただ唱題をしても功徳は出ないのです。あくまでも功徳の源泉は「所信の体」である「戒壇大御本尊」ですから大御本尊を受持しない創価の題目には功力はありません。そもそも唱題とは受持の修行なのですから大御本尊を受持しない人間の唱える題目は修行して全く意味をなさないわけです。「妙の三義」である「開」「円満具足」「蘇生」は「題目」に備わっているのではなく「本尊」に備わっているということが本抄を読めば理解できます。創価の唱題には人生を開く力も満たす力も蘇生する力もない。創価だけはありません。「戒壇大御本尊」への信がなければ法華講員とて同じです。我々大聖人門下はシッカリと真実文底の「法華の題目」を自行化他に唱えていくことが大切だと思います。


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