創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

題号だけの御書講義②(立正安国論)

題号だけの御書講義の2回目は今月の御講御書の「立正安国論」です。読み下すと「「正を立て国を安んずる」となります。「国」というのは一応は大聖人ご在世の鎌倉時代の日本ですが再往は「三世に亘る全世界」ということです。この三世に亘る全世界を安んじるためには「正を立てよ」というのが「立正安国」です。そこで「正」とは何かというと、日寛上人は「正とは三大秘法である」とご指南されています。

◇立正の両字は三箇の秘法を含むなり。初めに本門の本尊に約せば、正とは妙なり、妙とは正なり。故に什師は妙法華経と名づけ、法護は正法華経と名づくるなり。況や天台は三千を以て妙境と名づけ、妙楽は妙境を以てまた正境と名づけんをや。故に正は即ち妙なり。妙とは妙法蓮華経なり。妙法蓮華経とは即ち本門の本尊なり(安国論愚記)

最初に、「正」とは「妙」と同意であり、妙とは「妙法蓮華経」であることから「正とは本門の本尊である」とのご指南があり、その後「正は正境であるのでそれに向かい唱える題目は「正しい信行」であるから「正とは本門の題目である」とされ、更に「正」の文字は「一」を「止める」と書くので「一(本門の本尊)」を「止める」義は「本門の戒壇である」と言われています。このように「正」の一文字には「三大秘法」が含まれているというわけです。そして「正を立てる」という「立てる」というのが一番のポインになります。この「立てる」というのは「折伏するいうことです。「立正」というのは「破邪」に対して「立正」といいますので、「立正」の二文字には「破邪・顕正(立正)」の両義が含まれています。「破邪」とは「折伏中の折伏」であり「顕正」とは「折伏中の摂受」といえます。ですから「立正」というのは「正を立てる」のがメインではなく「邪を破す」のがメインになります。本編も「破邪」がメインになっています。何故「破邪」がメインになるのかというと「顕正(立正)」というのは「邪を破すために正を立てる」からです。「邪」が無く全て「正」に帰しているのであれば敢えて「正を立てる」必要はありません。「正を立てる」のはあくまでも「邪を破す」のが目的です。「正」である三大秘法を立てて「邪を破す」のが「立正」であり「安国」なのです。また「立正安国」とは如説修行でもあります。

◆法華折伏破権門理の金言なれば終に権教権門の輩を一人もなくせめをとして法王の家人となし天下万民諸乗一仏乗と成つて妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん(如説修行抄)

との御文は「立正安国」と全く同意です。「法華折伏破権門理」即ち「破邪」こそが「如説修行」であると大聖人は言われています。そしてまた破邪顕正による安国が大聖人の大願であり御遺命でありその為の三大秘法就中一大秘法の戒壇大御本尊のご建立です。よって正統たる大聖人門下は、一大秘法(三大秘法)の義によって創価のごとき「邪」を破すことが如説修行であり立正安国の大聖人の御遺命の実践となるのです。創価がいくら能書きを垂れた所で彼らは「正中の正」である戒壇大御本尊を捨てた人々で彼らには立てるべき「正」はありません、創価の正義?池田先生の正義?そんなものを立てて安国になるわけない。ましてやそのようなマヤカシの正義で一大秘法を誹謗し一大秘法を守護する正宗の僧俗を中傷するなどと言語道断の邪師・邪教の者どもです。まさに今の創価は一大秘法を誹謗していない顕正会や正信会にも劣る「邪教中の邪教」「邪師の中の邪師」です。この「一凶」である創価に対して「正を立てて破折していく」ことが重要です。それが「立正安国論」の精神です。まだまだ他にも書きたいこともありましたが長くなるので今回はここまでとします。


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