創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

御開扉はキミらには無関係だよ。

ご存知の通り大石寺の奉安殿で戒壇大御本尊様にお目通りするすることを内拝といい通称御開扉というが、顕正会がこの御開扉を宗門の金儲けの手段だと訳の分からない誹謗をして久しいが最近では顕正会と同じように御開扉料をとって宗門が金儲けしているという創価民も見かけるようになった。大聖人の仏法と全く無関係なくせに大聖人仏法を騙り会員から金銭を巻き上げているような顕正や創価が何を言ってやがる。顕正・創価なんて金儲けの商売どころか「大聖人詐欺」じゃね~か。御開扉料ってのは信徒の赤誠のご供養であってそれを「金儲け」と思うのが顕正や創価の信仰者とは言い難い発想の貧しさであり人間性の欠如だろう。さてその顕正と創価だが正宗の御開扉に同じようにイチャモンつけれくるのだが両者の言い分は180度違うから面白い。顕正は「戒壇大御本尊を見せてはいけない」というが創価民は「金をとるのがいけない」という。要は創価民は「タダ(無料)で御開扉しろ」と言うわけだ。聖教新聞などという自分達の会報を月2000円出して複数部購読しているヤツ等がよくそう言う事言うなぁって思う。それはさて置き「創価本部はタダ(無料)で本部の本尊を拝せるのに宗門は大御本尊を拝するのに金をとるなんておかしい」と宣う創価民。おかしいのはオマエ達の信心の方だ。戒壇大御本尊を自余の本尊と同じと思っている創価民は知らないかも知れないから教えてやるが、戒壇大御本尊は広宣流布の時までは厳重にお守り秘蔵するものであって一般公開する御本尊ではない。しかしながら「一心欲見仏」の篤信の信徒の願いに応じて法主上人が特別に内拝させてくださるのが「御開扉」というものだ。従って「御開扉料がもったいない」などという信徒はいないのである。むしろ御開扉料とは別にご供養もさせてもらっているくらいだ。こういうと戒壇大御本尊は仏なのに何故公開しないのかとか例のよって一閻浮提総与の大御本尊は宗門の独占物じゃない。とかグタグタいうが、そもそもが戒壇大御本尊は大聖人から日興上人へとお譲りされた本尊であって最初から日蓮正宗が所有している御本尊だ。間違っても創価のごとき謗法者が所有していい本尊ではないのだ。だからこそ上人書写のご本尊があるんだよ。戒壇大御本尊は広宣流布の暁まで秘蔵するがそれまでの間の信心強盛な信徒の為に歴代上人が戒壇大御本尊の分身散体として書写して下付してくれているのである。その御本尊だって有信の者にしか見せないのが基本だろ。それとも創価本部の本尊は誰に対しても無料公開しているのか?もしそうならそれこそ謗法である。何はともあれ上人から破門され大御本尊を捨てた創価にとって御開扉は無関係だ。キミ達がいくらお金を積んだところで戒壇大御本尊を目にすることはできない。それはそれは、さぞや悔しいだろうがだからと言って悔し紛れにいちいち御開扉についてケチつけて登山なんて不要だと我見と妄想を抱いていればいいだろう。

「未だ時至らざる故に直ちに事の戒壇之れ無しと雖も、既に本門の戒壇の御本尊存する上は其の住処は即戒壇なり。其の本尊に打ち向ひ戒壇の地に住して南無妙法蓮華経と唱ふる則は本門の題目なり。志有らん人は登山して拝したまへ」(日寛上人/寿量品 談義)

創価本尊の元のご本尊を書写した日寛上人のこの御指南を否定する創価民。な?オカシイのは御開扉をしている宗門ではなく、創価民の信心だろ(笑)


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