創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

御講拝読御書研鑽(2020年6月・立正安国論)

倩ら微管を傾け聊か経文を披きたるに世皆正に背き人悉く悪に帰す、故に善神は国を捨てて相去り聖人は所を辞して還りたまわず、是れを以て魔来り鬼来り災起り難起る言わずんばある可からず恐れずんばある可からず。

今月の御講拝読御書は「立正安国論」でした。立正安国論はご存知の通り十問九党とも十番問答ともいわれる問答形式で構成されていますが今回の拝読部分はその最初の問答の部分で、「神天上法門」が書かれている有名な部分です。「神天上法門」とは簡単にいうと国に災難が起きるのは守護の神様が天上に帰ってしまって国に守護する神様がいなくなるからという法門です。この御文に即していうと、まず【世皆正に背き人悉く悪に帰す】(背正帰邪)世の人々が正法に背て悪法に帰依すると【善神は国を捨てて相去り聖人は所を辞して還りたまわず】(神聖去辞)善神や聖人がこの娑婆世界からいなくなってしまう。すると【魔来り鬼来り災起り難起る】(魔鬼来乱)天敵がいなくなった娑婆世界に魔・鬼がやってきて災難を起こす。という流れです。ですから災難の根本原因は「背正帰邪となり、立正安国論はこの後、「邪」である法然の念仏の破折となっていきます。附文の辺では念仏破折ですが含意は念仏に限定せず全ての邪教・邪師の破折が立正安国論の内容です。またす。「背正帰邪」は人々の心ですから、心(精心)が乱れれば国土も乱れるということですから「依正不二」の法理が「神天上法門」とも言えます。因みに、ここでいう所の善神と鬼は外的要因で聖人と魔というのは精心的要因です。次の【言わずんばある可からず恐れずんばある可からず】とは、破邪顕正折伏のことです。立正安国論の最後に【唯我が信ずるのみに非ず又他の誤りをも誡めんのみ】とあるように立正安国論は最初から最後まで破邪顕正折伏を言われているわけです。破邪顕正折伏をしてこそ立正安国論を身読したことになります。さて、今回のコロナ禍や地震等の災害の時に「総罰」という創価民や顕正民または法華講員もいますが私は「総罰」という言葉を使うのは好みませんし、災害を創価顕正会が原因だという事もいいません。確かに「背正帰邪」が災害の根本原因であるのだから「邪」たる創価・顕正が根本原因かもしれませんが、そんな事を言った所で「破邪」にもならないし「顕正」にもなりません。世間様から反発されるのがオチです。ネット等で広く「総罰だ」と発信した所でそれは却って大聖人の仏法に対する誤解を弘めるだけになってしまいます。もちろん立正安国論の客のように主人に教えを求めてきた人なら「この災難は間違った信仰から起こっている」といっても問題ないでしょうが、教えを求めていない人にこんなこと言っても逆効果だと思います。破邪顕正折伏とは立正安国論の中に書かれてる【汝早く信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せよ】と話していくことです。創価民に信仰の寸心を改めさせるためには創価の教えの間違いをとことん破折していくこと。速に実乗の一善に帰せしめんためには実乗の一善たる戒壇大御本尊の正法・正義を語っていく。罰論や功徳論は各論であり総論ではありません。なので私は罰論・功徳論は相手から振ってこない限りしません。ごちゃごちゃ細かい事はいいから【汝早く信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せよ】です(笑)今月の御講も私のお寺では代表メンバーだけの参加でまだまだコロナの影響は続いています。一日も早く普通の日常に戻れるように勤行唱題はもとより破邪顕正折伏を弛むことなく続けていきたいと思います。


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