創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

勧誡二門(寝言丸さんの質問への回答)

寝言丸さんより「勧誡の二門」についての質問コメントをいただきましたので今日は「勧誡二門」について少し書きます。「勧誡二門」とは、【勧門】と【誡門】の二つの門(法門)のことをいいます。仏教にける化導の方法はこの「勧誡二門」の外にはありません。【勧門】とは「善を勧めて仏道に導く門」で釈迦仏法においては「経蔵」がこれに当たります。【誡門】とは「悪を誡めて仏道に導く門」で釈迦仏法における「律蔵」のことです。大聖人仏法に照らして分かりやすく表現すれば、「勧誡二門」とは「破邪顕正」のことであり折伏弘教は全てこの「勧誡二門」によりなされるわけです。『法華文句』にはこの勧誡二門を、

□「勧は即ち為人悉壇、誡は即ち対治悉壇なり、此二悉壇は第一義悉壇の為め」

と釈しています。「勧門」とは相手の機根に合わせた説法になりますから為人悉壇になり「誡門」は相手の機根に関らずその悪を誡める説法ですから対治悉壇ということになります。ただし、大切なのは【此二悉壇は第一義悉壇の為め】ということで、どちらもその根本は「第一義悉壇」であるということです。大聖人仏法における「第一義」とは具体的に何かといえば、大聖人仏法の色心二法であり出世の本懐であり末法衆生成仏の法体である、一大秘法の戒壇大御本尊のことです。つまり「勧門」で化導しようと「誡門」で化導しようと、根本は戒壇大御本尊であり化導する行先は戒壇大御本尊であるということです。つまり「勧誡二門」といってもその二門は最後は「一門を通る」いう事です。私達は折伏の時には必ずこの「勧誡二門」を使って折伏をしています。よく言われる「功徳がでる」というのは「勧門」であり、「罰が出る」というのは「誡門」を使っていることになります。しかし功徳も罰もどちらも戒壇大御本尊の力用を説明しているわけです。ですから、「勧門」を表にして「戒壇大御本尊への信心をすれば幸福になれる」と折伏する裏には「戒壇大御本尊への信心をしなければ幸せになれない」とい「誡門」があります。当然、その逆も然りです。「勧誡二門」とは「唯一門」なのです。「勧門即誡門・誡門即誡門」ということです。その上で相手によってどちらの門を表に化導していくかという違いにすぎません。私の場合は、創価顕正会など戒壇大御本尊に敵対する逆縁の衆生には「誡門」=破邪を表に折伏し、無信仰の人など戒壇大御本尊に対し無知の衆生には「勧門」=顕正を表に折伏をすることを心がけています。以上が化他行の勧誡二門ですが、自行における勧誡二門は日々の勤行・唱題のことです。勤行・唱題には「勧誡二門」の両門が備わっています。私達は日々の勤行唱題によって戒壇大御本尊様への門をくぐっているわけです。

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