創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

選挙は信心。その結果。

今日は、まず下の画像を見てみてください。

斉藤鉄夫

少し古めだけどこれは過日の広島参院選挙で公明党の必死の応援も虚しく落選した西田英範氏の必勝祈願の画像です。そして下の画像で西田氏の隣にいるオッサン、誰かと思ったら公明党の副代表の斉藤鉄夫さんではありませんか!SNSでこの画像をみて西田さんと一緒に神棚に向かって柏手を打ち必勝を神様に祈願しているとは大笑いしました。えっと、確か創価学会員は「選挙は信心」って言ってますよね?いや斉藤さんが神社で柏手打ってますけど、いつから創価学会神道に鞍替えしたのでしょう?

◆檀那の社参物詣を禁ず可し、何に況や其の器にして一見と称して謗法を致せる悪鬼乱入の寺社に詣ず可けんや、返す返すも口惜しき次第なり、是れ全く己義に非ず経文御抄等に任す(日興遺誡置文)

◆他宗の神社に参詣し一礼もなし散供をも参らする時は、謗法の人の勧請に同ずるが故に謗法の人なり(日有上人『化儀抄』)

大聖人の仏法では神社参拝は謗法ですよね?創価だって今もそうなんでしょ?靖国神社の献灯騒ぎの時そう聖教新聞に書いてありました。で?改めて聞きますが斉藤鉄夫公明党副代表が神様に祈願しているコレも「選挙は信心」の範疇なんですか?実はこういう行為をしてるのは副代表だけじゃないんですよ。私の地元の神社の夏祭りには毎年公明党の県会議員がきて「パンパン」と柏手うってるし創価時代の友人の公明党市議も神社の祭りに顔を出しては毎回お神酒を一杯引っかけて上機嫌になっています。学会員がお題目あげても当の議員が謗法してたらそりゃ効き目ないですよね(笑)こういう記事を書くと創価民は「大石寺法華講総代だって神社の行事に参加しているじゃないかと」以前の創価新報の記事を持ってきて「オマエ等だってやっているだろ」論法をしてくるだろうけど、そもそも「オマエ等だってやっているだろう論法」自体が「正宗がやっているなら俺達もやっていい」というようなオカシイ論法に加えて、確かに新報の報道のような事実はあったけどアレは一個人の信心の心得違いであって指導教師住職から厳重注意を受け本人も反省しています。

◆大逆なれども懺悔すれば罪きへぬ(光日房御書)

との御妙判にあるように戒壇大御本尊に対し懺悔申しあげれば一時の謗法の罪は消えます。もちろん一度懺悔しながら同じことを繰り返すのは不可ですが、それはもう個人の信心の問題であって周囲には無関係なわけです。対して斉藤氏や件の県議・市議には誰も注意もせず野放しして本人も謗法であることすら自覚せず且つ反省・懺悔もない。しかもこういう連中を応援しているのが創価学会員なのだから与同罪はま逃れませんね。自民党を応援するっていうことは謗法与同だってことを創価民さんは分かっているんですかね?神社に必勝祈願をし、当選の暁にはダルマに目を入れる人たちを応援するのが創価の信心なんですか?それは信心とは関係ないというならば「選挙は信心」「選挙は功徳がある」なんて言わない事です。謗法に与同しておいて功徳なんかあるわけないでしょ(笑)「選挙が信心」ならばこのような謗法の候補者を支援するのが筋が通らないと思いませんか?だからいつも書くように「選挙と信心は無関係」と正直に言えばいいんですよ。それならば実際に柏手打っている人はともかく応援している人は与同罪にはなりませんからね。もっとも創価民の場合は神社参拝の与同罪よりも戒壇大御本尊を捨てるという一番の大謗法を犯しているから、今更神社に参拝しようと謗法を容認しようとどうってことないから何とも思わないのでしょうね。懺悔したくても戒壇大御本尊を捨てちゃったから大罪は消えるどころかますます大きくなっちゃうし大変ですよね(笑)はやく戒壇大御本尊様にお目通りして懺悔した方がいいと思いますよ。


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