次に僧の恩をいわば、仏宝・法宝は必ず僧によって住す。譬えば、薪なければ火無く、大地無ければ草木生ずべからず。仏法有りといえども、僧有って習い伝えずんば、正法・像法二千年過ぎて末法へも伝わるべからず。故に、大集経に云わく「五箇の五百歳の後に、無智・無戒なる沙門を失ありと云ってこれを悩ますは、この人、仏法の大灯明を滅せんと思え」と説かれたり。しかれば、僧の恩を報じ難し。されば、三宝の恩を報じ給うべし。
今月の座談御書は「生死一大事血脈抄」。以前も講義した御文なので過去記事をリンクしておいた。今月の座談会御書は創価が信心の血脈を切文で悪利用する定番の御文だね。そんな創価員の偽教学の破折と是正の念を込めて今回は『四恩抄』の御文を取り上げる。この御文はまず創価では取り上げることがないだろうからぜひ創価員には学んで欲しい。『四恩抄』は同抄に「仏法を習ふ身には、必ず四恩を報ずべきに候か」とあり仏法修行者は一切衆生の恩・父母の恩・国王の恩・三宝の恩の四恩に報じるべき旨の御指南が書かれている。中でも三宝に対する報恩が基本である。それは仏道修行とは三宝帰依の信がなければ始まらないし、そもそもが仏法者とは三宝帰依した人間のことである。そして今回の御文は三宝の内の仏教を習い伝えてくれた僧の恩を述べている段である。中国から日本に仏教を持ち込んでくれたのは僧侶だから僧侶がいなければ日本に仏教は存在していなかったかもしれない。その後各宗派が立宗したが、どの宗派でも本尊や教義・化儀は僧侶によって後代に引き継がれ現在に至っていてその恩徳によって在家の衆生は仏教に縁することができる。特に日蓮正宗は唯授一人血脈相承で御歴代の法主上人に法体・法門が伝持された故に戒壇大御本尊を護り伝えることができた。もちろんそこには法主上人を支えてきた大石寺の御僧侶の存在があったことは言うまでもない。それだからこそ創価学会も誕生し多くの学会員が戒壇大御本尊に帰依し功徳を享受できたわけだ。牧口常三郎は日蓮大聖人から直接仏法の教えを聞いて受戒したのではない。牧口が受戒できたのは日興上人以来正法を護持してきた御歴代法主上人と大石寺御僧侶の恩徳があればこそだ。それを自分たちの教団が大きくなり独立した途端に大聖人直結などという詭弁を弄し正法を伝持してきた法主上人や御僧侶方を誹謗中傷し、剰え日興上人を僧宝の座から引きずり下ろし我々創価学会こそが僧宝であると主張しているのが池田創価学会員でそこに報恩の誠はない。仏道修行の根本とは本抄にあるように「報恩」の志である。池田創価は根本の三宝報恩の心がなくして信心の血脈だけを主張する。だから池田教学は偽教学なのである。三宝に対する報恩の想いもないくせに功徳ばかり欲しがるから乞食信心なのである。大聖人は本御文で大集経を引用し末法の僧侶の咎をあげつらって僧侶を悩ますのは仏法を滅亡させる事とに同じだと言われている。日顕上人や宗門御僧侶に対する池田創価の誹謗中傷はまさに大聖人仏法を滅ぼそうとする所業であり池田創価は大仏敵・大謗法である。そんな大謗法の池田創価を破門するのはむしろ当然であり正しい。破和合僧とは池田創価のことだということは今回の御文に明示されている。大聖人の敵となり大謗法者となって堕在無間となるより日蓮正宗に移籍して三宝へ報恩することが正しい大聖人仏法の信仰者なのである。創価学会員の皆さんに少しでも後生を願う心や先祖を想う気持ちがあるならば、早く謗法団体・池田創価学会から戒壇大御本尊の許へ戻るべきである。三宝破壊の池田創価には「信心の血脈」すらない。よって創価の海賊版本尊を持っても無益どころか害毒にしかならないのである。
■今月の座談会御書の過去記事▶創価教学じゃない御書講義(2019年2月の座談会御書・生死一大事血脈抄) - 創価ダメだしブログ
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