創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

創価の公式サイトから日興上人の名前が消える。

昨晩、X(ツイッター)にポストしたが、ついに創価の公式サイトから僧宝・日興上人の名前が消えて、【創価学会】が日興上人を僧宝から蹴落としその座を盗み取った。『創価学会教学要綱』に則って邪義邪教化がまた一歩前進した。

そもそも教義というのは、まず最初に「仏の教え」が有りきである。またその教義を正しく説き伝持していくのが僧宝である。つまり教義というのは三宝に即して決定されるわけだ。ところが創価ではまず教義を作りそれに合わせて「三宝の方を変える」のである。法宝の時もそうだった。それまで一閻浮提総与や三大秘法と形容詞は自己都合で変えていたが法宝は御本尊だった。しかしいつの間には法宝を「本尊」から「南無妙法蓮華経」に変えてしまった。法=南無妙法蓮華経だという苦し紛れの説明をしていたが、流石に今回の僧宝の変更は説明のしようがないだろう。教義的な話は以前書いた記事を下にリンクしておくのでそちらを参考にしてもらいたいが、創価のこのサイトの説明は「僧」の説明であって「僧宝」の説明ではない。「僧宝」というのは僧の中でも法体や法門・化義などを伝持する者を「僧宝」という。また伝教大師は『山家学生式(六条式)』で、◇国の宝とは何物ぞ、宝とは道心なり。道心ある人を名づけて国宝と為す。と言っている。「道心」とは「信心」のことであり、平和・文化・教育活動のことではない。(もちろん政治活動でもない)。従って現在の創価活動を見たら「僧宝」などと呼べる教団でないし、僧宝を創価学会と定義するなら大聖人が御入滅されてから創価学会が誕生するまで僧宝不在ということになる。それだと大聖人はご自身の教えを誰にも残さなかったし、誰も継承していないことになるのだから大聖人仏法は大聖人御入滅と同時に消滅したことになる。大聖人仏法がないのであれば創価学会も当然大聖人仏法における僧宝ではない。創価がいくら勝手に大聖人直結と主張しても実際に創価3代会長は大聖人と直接会って何かの付属を受けたわけではないし、そもそも牧口・戸田にしても彼らが指導し広めた教義は日蓮正宗大石寺の伝持されていた法門法義と本尊である。しかも創価には本尊はもとより御書すらも大聖人の御真筆の御書き物はだたの1点もない。そんな創価学会に僧宝の資格がある訳がないのは明白であり道理である。また創価学会という団体が僧宝となれば、会員達は創価学会に南無しなければならない。(勤行の御祈念文も「南無日興上人」から「南無創価学会」にしないとおかしい)。つまりこれからは今以上に僧宝である創価組織に信伏随従することが創価学会員に求められることになる。選挙も聖教啓蒙も拒否したり批判したら僧宝誹謗の謗法になるのだから創価信徒に創価学会(僧宝)からの指示・指導に対する拒否権はないのである。拒否れば謗法の反逆者である。なんとも恐ろしい法盗人のインチキカルト教団である。逝かれた創価民は日蓮正宗の事を「法主本仏論」とか「血脈詐称」などという妄想を抱いて「日顕宗」と呼ぶが、日蓮正宗は日興上人以来「三大秘法」も「三宝」も信仰の根本は今も何ひとつ変わっていない。むしろ創価の「創価僧宝論」「僧宝詐称」の方こそ大聖人の仏法から逸脱した邪義・謗法で、創価の方こそ「池田創価教」だということが今回の日興上人排除でハッキリしたではないか。こんなに明確な邪義・謗法であるにも関わず創価が正義と思うのは、もはや一般的な人ではなく境界知能だろう。いやもしかしたら知的障害なのかもしれない。罵活動学会員がまともに他人と対話もできないのは何らかの障害を抱えているとしか思えないのである。もし一般的な思考能力があれば、「創価学会が僧宝」ときけば、創価が仏教ですらないインチキカルト教団だということが理解できるはずだ。そしてそれを理解できる創価員は早くこの教団と境界知能の創価員から離れないと不幸になる。さて、これで三宝のうちの法宝と僧宝を変更した創価が次にすることはいよいよ仏宝である大聖人の排除だろう。『創価学会教学要綱』の内容を読めば予想ができるし、創価の仏宝は「創価学会仏」にいずれ変更されるだろう。そうしなければ「僧宝・創価学会」と仏宝の統一性・正当性が保てないからな。まぁそうなっても境界知能の創価員は何も感じないのだろう。いまの学会員にとっては「三大秘法」も「三宝」もどうでもいい事項なのだろう。なにせ功徳の体験「だけ」で仏法を騙るような連中ばかりだからな。以前、創価の教学アドバイザーの宮田幸一氏が創価が日目上人を僧宝から外した時に、「創価学会が、日蓮宗大石寺以外の日興上人門流)から日蓮大聖人御真筆の御本尊を購入すれば、日興上人までの付属と、釈迦本仏論の両方が成り立ち、新たな総本山が手に入る。よって、日目上人以降は僧宝として認められないという戦法であろう。」と述べていたが、今回の日興上人外しで日興門流からの本尊購入は諦めたということになり宮田氏の予想の斜め上をいく結果になった。これはいよいよ創価オリジナルの大作本尊以降への地ならしという所だろうか。他宗から真筆の本尊を購入する金をケチったのかも知れないが、最終的にはオリジナル本尊までもっていかないと創価の独立性を保つことができないから方向転換したのかもしれない。6年後の創価創立100周年には、「池田先生が生前認めれた」というテイでAIで書いた大作本尊が登場すると私は予想している。

 

■過去記事はこちら▼

『創価学会教学要綱』のトリックを暴く④【僧宝】の虚言 - 創価ダメだしブログ

 

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