創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

御講拝読御書研鑽(2020年10月・立正安国論)

汝早く信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せよ、然れば則ち三界は皆仏国なり仏国其れ衰んや十方は悉く宝土なり宝土何ぞ壊れんや、国に衰微無く土に破壊無んば身は是れ安全心は是れ禅定ならん、此の詞此の言信ず可く崇む可し。

今月の御講御書は「立正安国論」。今回の拝読箇所は一番最後の有名な御文ですね。ここは「立正安国」の法理を示してる御文で、【汝早く信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せよ】の部分が【立正】で、それ以下の部分が【安国】を示してます。さらに【立正】の部分の【汝早く信仰の寸心を改めて】の所は【破邪】で、【速に実乗の一善に帰せよ】の所が【顕正】です。【立正】というのは「破邪と顕正」の二つでワンセットです。さて本文の【寸心】というのは「一寸とした心・一念」のことなんだけど、「一寸とした心」の持ち方で変わる事って世間でもたくさんあるでしょ。例えば暴飲暴食を改めれば健康的になるとか、妻に対する感謝や思いやりの心を持てば家庭内は平穏で我が身も安全になるわけです(笑)このように少し心を改めれば幸せになる事はあるということは多くの人が体験し実感したことがあると思うし共感すると思うんだよ。なのに「信仰の寸心を改めましょう」って話になると多くの人は耳を塞ぎ中には批判する人までいるんだよね。それが不思議なんだけど仕方ない事でもある。だって多くの人は、大御本尊が「実情の一善」だと分からないし分からないのも当たり前。それを分かってもらうのが折伏なんだけどなかなか分かってもらえない。何故だろう?と思うわけです。ここに「真っすぐで長い棒」が有ったとする。この棒が「真っすぐで長い」という事を分かってもらうためにはどうする?一生懸命いかにこの棒が「真っすぐで長いか」を説明するよね?それで分かってくる人も中にはいるかも知れないどほとんどの人はその説明を聞いてもこの棒が「真っすぐで長い」という事を理解できなし信じられないわけです。それを分かってもらうためには、他の「曲がっている棒」や「短い棒」を見せることが手っ取り早いんです。わかりますか?「真っすぐで長い」ことを説明するのが「顕正」で「曲がった棒」や「短い棒」を見せるのが「破邪」なんです。つまり大聖人仏法の正義を理解してもらうためには、創価や顕正といった「曲がっていて短い棒」を破折するのが大切なんです。創価時代に多くの学会員の折伏を見てきた私の経験則だと折伏が苦手な人って破折が苦手な人が多いんだよね。大聖人仏法の素晴らしさは上手に説明できるけど他を破折するのは苦手か上手にできないという人が多いという印象です。つまり「実情の一善に帰せよ」とは言えるんだけど「早く信仰の寸心を改めよ」って言えないんです。これを乗り超えるためにはまずは自分自身の「信仰に寸心を改める」ことなんですね。相手ではなく先ずは自分で自分を折伏しないとなりません。自身を折伏する具体的な方法は「唱題」です。詳しくはまたの機会に書きますが御本尊に向かい唱題をあげることは自身の折伏にもなります。折伏の始めは唱題行なんですね。私達法華講員は日々の勤行唱題で信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰すわけです。え?勤行さぼっている?そんなん知らんわ(笑)とりあえず【汝早く信仰の寸心】改めましょうね。(笑)

過去記事▶ 題号だけの御書講義②(立正安国論)


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