創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

法体の戒壇と事相の戒壇。

先月古刹信徒さんに聞かれていてそのままになっていた「戒壇」について少し書きます。「戒壇」についても書くと色々と長くなってしまうので今日は「事の戒壇」について書きます。戒壇については創価よりも顕正会が邪義を撒き散らかしていますが、顕正会は「事の戒壇」は広宣流布に暁に建てられる戒壇顕正会風にいうと「国立戒壇」のみだと主張していますがこれは「法体の戒壇」と「事相の戒壇」が理解できていない浅~い教学です。法体とは言うまでもなく三大秘法で「本門の」本尊・題目・戒壇です。この「本門」のいうのは仏の本地の門のことで大聖人仏法では「本門」とは法華文上の本門ではなく「文底独一本門」のことです。「文底独一本門」とは日寛上人は、

◇但文底独一の本門を以って事の一念三千と名づくるなり(三重秘伝鈔)

とご指南されています。つまり「本門の戒壇」とは「事の一念三千(即自受用身)の戒壇」ということでこれをもって法体の三秘となるわけですから法体に約せば「事(の一念三千)の戒壇」なのです。ですから顕正会の言うように国立戒壇以外に事の戒壇はないというのは大きな間違いです。まず最初に法体の「事の戒壇」があって後に「事相の戒壇」を建立するわけです。さて顕正会がよく引用する「三大秘法抄」を読むと

戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時勅宣並に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か時を待つ可きのみ事の戒法と申すは是なり

と書いてあり、顕正会の言う国立戒壇建立の条件として、【王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて】とあります。顕正会が言うように「法体の事の戒壇」がないならこの三秘蜜とは「本門の本尊と題目」と「迹門の戒壇」ということなります。迹門の戒壇を持って本門の戒壇を建立するとかどう考えてもあり得ません。(笑)ですから法体である三秘(事の一念三千の本尊及び題目・戒壇)を王臣一同が持った時に「事相(実際に形としての)の戒壇を建立しなさい」というのが大聖人の御遺命なのです。つまり顕正会の言う国立戒壇というのは広宣流布が完了したときの実際の姿を大聖人が示されているのです。顕正会国立戒壇が建立をしないと真実の平和・幸福はないようなことをいいますがそれは全く逆で真実の平和と幸福が確立しなければ顕正会の言う国立戒壇が建立されることはないのです。そしてこの「事相の戒壇建立の御遺命」は「化義の広宣流布」の方途としてのご指南で且つ化義の広宣流布の完成形なのです。化義は即化法で化法は即法体です。その法体を大聖人から唯授一人で相承したのが日興上人です。

日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり、国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ、事の戒法と云うは是なり、就中我が門弟等此の状を守るべきなり。

この身延相承書にも明らかなように法体・化法・化義の全ては日興上人から御歴代上人に「唯授一人血脈相承」されているわけです。つまり「事相の戒壇の建立」という化義も御歴代上人に対する御遺命です。顕正会は正宗は「国立戒壇を捨てた」などといいますが、「国立戒壇」という名称を使うか使わないかは全て「化義」に関する事項ですからそれを判断するのは時の猊下なのです。創価顕正会ごときの在家が自分達で化義を自由に変えていいなどという御書も歴代上人の指南もありません。そもそも前述通り「事相の戒壇」とは「王臣一同が三大秘法を持った時」に完成する姿です。よって王臣一同に三秘蜜の法を持たせることが条件でありそれなくしては「事相の戒壇建立」など絵に描いた餅に過ぎません。従って大聖人の化義の広宣流布の御遺命の主眼は【王臣一同に本門の三秘密の法】を持たせること。即ち折伏・弘教にこそ大聖人の本意があるのです。

◆御義口伝に云く大願とは法華弘通なり

と明確に折伏・弘教を日興上人に御遺命されています。そしてその御遺命は、再度書きますが、浅井や池田に対して遺言されたのではなく別しては日興上人に、総じていえば御歴代上人を初めてとする正宗の僧俗に対して遺言されたのです。その御遺命を受けた正統たる御歴代上人と日興門下の僧俗を誹謗しておいて何が「大聖人の御遺命」ですか?顕正も創価同様「日蓮直結」ですか?池田創価にすら及ばない浅井顕正が思い上がりも言いところです(笑)そもそも顕正や創価には「本門の三秘蜜の法」がありませんから何をどうしようとも浅井顕正のいう「国立戒壇の建立」などできない事は、それこそ「事実上明らか」なのです。創価の池田もインチキ教学ですが、顕正の浅井も相当の詐欺師です。絶対できない事を会員に「できる」と言ってるわけですから。顕正会員の皆さんも創価民を嗤っている場合ではないですよ。一日も早く「大聖人詐欺」グループから脱会して大御本尊の元に戻り「本門寺の戒壇」を目指してください。


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