TMPさんからの勤行・唱題の意義と功徳の質問への回答を書きます。勤行・唱題の意義と功徳については当ブログで過去に多くの記事を書いてます。何故かと言えば勤行唱題は大聖人仏法の信仰者としての根本の修行だからです。その意義と功徳は多岐に渡るので書いても書ききれませんので一番の基本だと思う事を書きます。日寛上人が『当流行事抄』の冒頭で、「大覚世尊設教の元意は一切衆生をして修行せしめんが為めなり」と御指南されているように、仏の教え(仏教)の目的は衆生に修行をさせることです。何故なら修行がなければ功徳(成仏)が無いからです。ある仕事に関して知識が多くスキルが高くても、実際に仕事をしなけばお金にならないのと同じです。「信心がない修行」に功徳がないのとと同様に、「修行がない信心」にも功徳はないのです。日蓮大聖人が、法華経の「信者」ではなく「行者」と言われる意味はそこにあります。この修行の根本が勤行唱題なのです。折伏や御供養をしても勤行唱題の修行をしないのは、信心がない修行といえます。勤行唱題は自行の修行ですが、そのうちの勤行は「助行」で唱題は「正行」で、「助行」の勤行は「正行」である題目(=御本尊)の仏力・法力を更に増すために、法華経の迹門と本門の中心となる方便品と寿量品を読経します。方便品は「所破・借文」寿量品は「所破・所有」の意味があります。
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と教学的に説明するとやや難解ですよ。端的に説明すると、『法華初信成仏抄』に、「我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉って、我が己心中の仏性、南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給うところを仏とは云うなり。譬えば、籠の中の鳥なけば、空とぶ鳥のよばれて集まるがごとし。空とぶ鳥の集まれば、籠の中の鳥も出でんとするがごとし。口に妙法をよび奉れば、我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給う」と書かれているように、要するに自分の中の仏性を顕すためです。ここで言われている「己心の妙法蓮華経の御本尊」とは創価がいうような凡夫の己心ではなく、御本仏の己心の御本尊のことです。御本仏日蓮大聖人の己心を顕された御本尊に、勤行唱題を申し上げることによって自分の中の仏界が湧現するのです。では仏界湧現ってなんだよ?と思うでしょうが、御本尊に向かい勤行唱題している姿が仏性が湧現した姿なのです。折伏や御供養は仏界の用であって体ではありません。仏界の体(湧現)は、勤行唱題の姿そのものです。それが勤行唱題の根本的意義です。そしてその功徳は無量ですから文字や言葉では説明しきれませんが、日顕上人が『三大秘法儀』の中で唱題の代表的な功徳を全61条にまとめて御指南して下さっています。宝相寺さんがその御指南を公開してくれていますので確認してください。(宝相寺支部の講員さん、ありがとうございます)
■日顕上人猊下御指南 – 日蓮正宗 法華講 宝相寺支部ページ
勤行や唱題をしても、思い通りにならなくて「仏界なんて湧現しないのではないか?」「自分は法華経の行者ではないのではないか?」と思ってしまうことがあるかも知れませんが、勤行唱題をしていること自体が仏界を湧現している証拠であり、法華経の行者の姿ですから、朝晩の勤行を続ければ必ず功徳は顕れます。もちろん、正しい修行をしなければ正しい結果はでませんから、創価や顕正などのインチキ・インスタント勤行では仏界は湧現しません。彼等の勤行は、例えば「滝に打たれる修行をせよ」と言われているのに、同じ水だし効率的だからといって、滝の代わりにシャワーを浴びているようなものですから何の意味もありません。
創価学会の退会方法(静かに創価を去るために) - 創価ダメだしブログ
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