寝言丸さんから、『以信代慧』(いしんだいえ)について質問がありましたので、説明をします。読み下しは、「信を以て慧に代う」です。信の一念をもって智慧の修行に代え、そこに仏法の一切の修行と功徳が具わるという意味です。仏教には無数ともいえる法門・法義がありますが、結句は戒・定・慧の三学に収まります。この三学は単独で意義を存さないので修行として不要なものはありません。「戒」は、非を防ぎ悪を止める教え(防非止悪)の教え、「定」は心の散乱を防ぐ精神統一の法、「慧」は煩悩を断じて迷妄を破す仏道の智慧のことです。仏道修行はこの三学の体得なのですが末法の衆生には三学すべてに通達することは不可能です。そこで大聖人は『四信五品抄』で「五品の初・二・三品には、仏正しく戒定の二法を制止して一向に慧の一分に限る。慧又堪へざれば信を以て慧に代ふ」と御指南され、末法においては三学のうち戒・定の二法を制止して、慧の修行のみに限られるのですが、その智慧を得るが困難なため、信を慧の修行に代えると御教示します。これが『以信代慧』です。そして三学とは大聖人仏法においては、「此の本尊の依文とは如来秘密神通之力の文なり。戒定慧の三学、寿量品の事の三大秘法是これなり」(御義口伝)との御妙判の通り、三大秘法になります。日興上人は、「戒とは本門の戒壇、定とは本門の本尊、慧とは本門の題目」であると開会しています。従って本門の題目が私達の修行になります。本門の題目とは、本門の本尊を信じて、信行具足の南無妙法蓮華経を唱えることです。それによって私達は智慧を得るのです。智恵については、『大智度論』では、①一切智(空を知る二乗の智慧)②道種智(化を知る菩薩の智慧)③一切種智(中道の仏の智慧)の三智が説かれていますが、本門の題目よって得られるのは一切種智の仏智です。この仏智が世間智(凡夫の智慧)として顕れるわけです。折伏や法論をしていると、自分でも考えていなかった驚くような反論・破折が咄嗟にできる事があります。他にも人生中で突然に「閃いた」り、いままで分からなかったことが突然「分かった」りすることがあると思います。こういうことが仏智であり、御本尊・唱題の功徳です。チャンスをものしたり、ピンチを切り抜けたりできるのは、この仏智の働きです。仏智は世間智とは違い、私達凡夫は学習も自覚できません。だから信心を智慧に代えるのであり、またそれが可能なのは三学具備の戒壇大御本尊への信心であり、日蓮正宗の信仰なのです。
創価学会の退会方法(静かに創価を去るために) - 創価ダメだしブログ
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