今回は依義判文の10個の具体例のうち後半5個を学習します。
【第六に寿量品の一心欲見仏等の文】
◇寿量品に云わく、一心欲見仏不自惜身命、時我及衆僧倶出霊鷲山云云。 此の文に三大秘法分明なり。所謂初めの二句は本門の題目なり、時我及衆僧等は即ち本門の本尊なり、霊鷲山と言うは即ち是れ本門の戒壇なり云云。
初めの二句の「一心欲見仏・不自惜身命」を「大御本尊を信じて(一心欲見仏)唱題行を実践する(不自惜身命)」とこの文を本門の題目であると依義判文しています。本門の題目とはこのように「信行具備」の題目です。いつも書く通り創価の題目は「一心欲見仏」がありませんので本門の題目ではありません。よって己心に本尊が涌現することはありません。さて、この判文に対して問者は義浄房御書の『寿量品の自我偈に云く「一心に仏を見たてまつらんと欲して自ら身命を惜しまず」云云、日蓮が己心の仏界を此の文に依つて顕はすなり、其の故は寿量品の事の一念三千の三大秘法を成就せる事此の経文なり秘す可し秘す可し』を引用して「一心欲見仏・不自惜身命」は三大秘法であって本門の題目に限定されないのではないか?と質問し対して日寛上人は当該御文は「日蓮が己心の仏界等」という三秘総在の本尊に約してのご指南であって「一心欲見仏・不自惜身命」によって三秘総在の本尊(日蓮が己心の仏界)が現れるのだから「一心欲見仏・不自惜身命」とは本門の題目であると回答しています。ここで留意すべきは「題目が先で本尊が後」という題目本意本意ではなくこの因果は俱時であり不二であることが大前提の上の会通であるということです。ここを勘違いすると一大秘法は「本門の題目」という思考になってしまいます。次の【時我及衆僧】とは本門の本尊で、【時】=末法、【我】=大聖人(仏宝)、【及】=妙法(法宝)、【衆僧】=日興上人を上首とする血脈付法のご歴代上人(僧宝)という意味で、即ち本門の本尊は三宝一体の体であるということです。我々法華講が御開扉を受けるのは、「一心欲見仏・不自惜身命・時我及衆僧」の事相の姿です。【霊鷲山】は「依義判文抄」の冒頭の三大秘法の開合の義により本門の戒壇となります。
【第七に神力品の爾時仏告上行等の文】
この項は神力品の結要付属に関することが書かれています。結要付属の文は「称嘆付属」「本尊付属」「題目付属」「戒壇付属」の文から成り、更に「戒壇付属」には「義の戒壇」「事の戒壇」「釈」の文がありそれぞれの文と各付属の意義が書かれています。有名なのは本尊付属の【如来の一切の名体宗用は皆本門の本尊、妙法蓮華経の五字に於いて宣示顕説する】です。「名」=(如来一切の)所有の法、「体」=秘蔵の蔵、「宗」=甚深の事、「用」=自在の神力の4つを【四事】といってこれは御本仏の生命であり御本尊の体です。ですから御本尊とは宇宙の法則を具現化したものでありません。そのことはこの結要付属の内容によって明らかです。また本項の本尊付属に◇其の本尊の為体とは且く是れ今日迹中脱益の儀式なり。而るに妙楽の曰わく、若し迹を借らずんば何んぞ能く本を識らん云云。とありますが、ここも創価民がよく「御本尊は虚空会の儀式を顕した」と知った口をききますが相貌は一応はそうですが法華経の教相はあくまでも妙法を根底の種子としているというご指南です。付け加えると神力品はあくまでも「付属」の儀式を説かれてる品であって法体そのものを説かれている品ではありません。ここを勘違いしたのが八品派とよばれる日隆門流です。
【第八に本門因果国の三妙の文】
この項は、本因・本果・本国土妙を示す寿量品の文を示しています。本因妙=我本行菩薩道の文、本果妙=我実成仏巳来の文、本国土妙=娑婆世界説法教化の文となります。また本因妙とは本門の題目・本果妙とは本門の本尊・本国土妙とは本門の戒壇の三大秘法ともいえます。この三妙が合わせて説かれていることを「三妙合論」といい寿量品の長行に書かれています。寿量品において最も重要な説法です。本因妙である南無妙法蓮華経は我本行菩薩道の文底に秘沈されていてるんですね。それを我々法華講は本尊供養の二座の勤行で読んでいるわけです。それを読まないのが創価の懈怠勤行です。長行のない創価の経本にはどこを探しても南無妙法蓮華経が秘沈されていない。知ってましたか?学会員さん!
【第九に本因の境智行位の文】
この項は、本因妙の文である「我本行菩薩道 所成寿命」の文に「境智行位」の四妙の義が説かれているというご指南です。この四妙(境妙・智妙・行妙・位妙)とは全部揃って本因妙の修行になります。◇本因の四義は即ち三大秘法なりとご指南されているように、一大秘法の戒壇大御本尊は「境智行位」の四妙具備の本因妙の御本仏です。この話は別の機会に詳しく書きたいと思います。
【第十に天台の遠霑妙道の文】
最後に天台の遠霑妙道(後五百歳遠く妙道に沾はん)の文の依義判文です。この中の「妙道」について「妙」とは能歎の辞(讃える言葉)であり「道」(所歎・讃えられる本体)を讃えている文であるとし、「道」は「虚通の義」=「虚通」とは融通無礙という意で本門の本尊、「所践の義」=行者実践の場所という意で本門の戒壇、「能通の義」=実践に即して成仏に通じるという意で本門の題目という三大秘法を顕しているとご指南されています。今回はここまです。次回は「依義判文抄」の最後です。月一ペースでやってきましたが1年で半分。ちょっとペースを上げようかと思ってます(笑)
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