創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

法体の四力。戒壇大御本尊は四力冥合の体。

戒壇大御本尊を捨て三大秘法開合の法門を否定する創価民にありがちなロジックとして、「謗法の地にである大石寺の大御本尊は信仰の対象にならないから大御本尊には三大秘法が揃っていない。」というような莫迦理論がある。大御本尊は本門の本尊だが、本門の題目と戒壇がないので三大秘法にならないといいたいわけである。言い方を変えれば大御本尊には法力と仏力はあるがそれに信力と行力が加わらないと三大秘法にならないという理屈である。信力とは本門の戒壇で行力とは本門の題目という解釈なのだろう。その解釈自体は間違っていないが彼等の四力論はあくまでも衆生の修行に約した理論であり衆生に主眼を置いた一方通行の片手落ちの浅識である。修行ではなく法体に約して四力を述べれば衆生が信じようと信じまいと戒壇大御本尊は四力全て備わっている四力冥合の体なのである。大御本尊には法力と仏力が備わっているということには創価民も異論はないだろう。法力とはいうまでもなく「妙法の力」である。創価風に分かりやすいうと「宇宙の根源の力」という事になる。では「仏力」を創価風に言うと「仏の根源の力」という事になる。ならばこの「仏の根源の力」とは何かといえば、それこそ「信力」と「行力」なのである。全ての仏が成仏した因は、「信力」と「行力」によるものだからだ。つまり「仏力」とは開会すれば「信力」と「行力」なのである。久遠元初の御本仏の「信力」と「行力」を三大秘法に当てはめれば上述したように、「信力」とは「本門の戒壇」であり、「行力」とは「本門の題目」なのである。

◆天台大師の云く「信力の故に受け念力の故に持つ」(四条金吾殿御返事)

このように法体である戒壇大御本尊はすでに四力冥合の体であり、三大秘法総在の体なのである。それは信者がいようといまいと関係ないのである。衆生の「信力」「行力」が無くても法体の四力は戒壇大御本尊に厳然と備わって三大秘法がひとつも欠けることなく備わっているのである。であるから創価民の言うように自分自身(衆生側)の「信力」「行力」がなければ三大秘法義が成立しないなどというのは修行と法体の区別もできない一知半解の謗法者の言なのである。そしてこのような「衆生が主・仏が迹」とする「生主仏迹」思考こそが池田創価教学の根本的な誤りなのである。確かに仏法は衆生を成仏せしめんが為に説かれているがだからといって衆生が勝手に仏法を解釈していいとはならない。衆生を主にしてしまったらそれこそ衆生は成仏できなくなってしまうではないか。いずれにしても一部創価民の主張する三大秘法隔歴論法は実に幼稚な邪義であり謗法である。そのような謗法の創価民達の幼稚なロジックに騙されないようにしっかりと教学を研鑽して謗法創価民とそのインチキ教学を破折していきたいと思う。また日蓮大聖人の仏法を信仰したい創価民のみんさんはくれぐれも創価幹部の指導や教学を真に受けないよう御自分で学ぶことを心がけて欲しいと思うのである。創価教学は日蓮大聖人の法門・法義ではない己義・邪見なのだから。

 

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