創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

日寛上人の御書文段の御指南③(観心本尊文段上)

暫くもこの本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来らざるなく、理として顕れざるなきなり。

この観心本尊文段の一節は有名な御文なので一度は聞いたことが有る方も多いと思います。読んだ通りなので特にこれといった解説はありませんが、この御文は我々大聖人門下の因行果徳が具体的に書かれている御文です。この本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば」とは我々信徒の修行です。この本尊」とは当該文段の冒頭に【この本尊に人あり法あり。人は謂く久遠元初の境智冥合自受用報身。法は謂く久遠名字の本地難思の境智の妙法なり】と書かれているように人法一箇の本尊ですから「仏力・法力」です。そして「信じて」は「信力」で、南無妙法蓮華経と唱うれば」が「行力」です。この四力が合わせた修行が大聖人仏法における正しい因行です。そしてこの正しい因行の結果が次下の「則ち祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来らざるなく、理として顕れざるなきなり。」という果徳となるわけです。これが我等大聖人信徒のそして末法衆生の即身成仏の因行果徳です。大聖人仏法は自力本願でも他力本願でなく自他力を冥合させる信心なのです。私が大聖人の仏法に魅かれるはこの自他力が合致こそが人生の本質だと思うからです。人生の幸福や成功は自分一人の力ではなし得ないしかといって自身の努力なくしてもあり得ない。自力と他力が合致して初めて人生は幸福の方向へ向かってものだと思います。念仏のように他力でも禅宗のように自力でもない。自他力どちらにも偏らずその二つを事相として融合していく信仰は他に類を見ません。ここに大聖人仏法の素晴らしさがあると思います。さてこの文段の御文は池田創価の指導にもよく使われる御文ですが、インチキ創価教学では日寛上人が言われている「この本尊」について何も教えません。イカサマ創価指導は「この本尊」「この信心」と口癖のように言うけど、「どの本尊」「どの信心」かという具体的な事はまずいいません。日寛上人はこの御文の書かれている『観心本尊文段』の中で具体的に、【就中弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐の中の本懐なり。既にこれ三大秘法の随一なり。況や一閻浮提総体の本尊なる故なり。】戒壇大御本尊が「この本尊」の正体・根本であることを示されています。弘安二年の戒壇御本尊を棄捨した創価の題目に信力も行力もなく創価が拝む日蓮正宗海賊版本尊には仏力も法力もないことは日寛上人の御指南から明らかですが創価はこの部分を隠蔽し切文を使い会員を欺ているわけです。これが池田創価イカサマ教学なのです。同じ『観心本尊文段』に書かれいる御文の中である部分は利用しある部分は否定する。ましてや日寛上人書写の本尊を拝んでいて日寛上人の御指南に反するのですからこれほど矛盾した事はないのです。仏法は道理です。その道理から言えば創価の信心・創価の本尊では祈りは叶わず、罪は蓄積され、福は逃げていき、理は埋もれたままという事です。切文のイカサマ創価教学に騙されている学会員は本当に哀れですね。

創価・顕正からの退会・正宗への移籍のご相談はメールでお気軽に。※正宗への勧誘目的ではありません。sokadamedasi@gmail.com

 

▼一日「イチ押し」お願いします!

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会 批判・告発へ
にほんブログ村


創価学会ランキング