創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

「御遺命守護完結奉告式」のたばかり。ショウエーのウソ発信器

その場しのぎの出たとこ勝負でウソを連発する顕正会の浅井昭衛。いまではスッカリ「たばかり昭衛」「嘘つき昭衛」のイメージが板についた感じだ。世間では「ウソ発見器」なるものがあるが浅井昭衛はさしずめ「ウソ発信器」といった所だ。しかし浅井のウソはすぐにバレてしまうから池田大作のような一流の詐欺師にもなれないし、大川隆法のようにあからさまに笑いを取りに来ているピン芸人にもなれず、中途半端なただの「嘘つき爺さん」なので面白味に欠ける。そんな「噓つき爺さん」に尻尾を振って懐くから顕正会妙観講に「犬性会」などと揶揄されてしまうのだ。嘘つき爺さんに騙されて大判小判を搾取されている顕正会員の姿にポチも草葉の陰で泣いていることだろう。さてこの「昭衛のウソ発信器」が作り出した数々の「たばかり」を知らない新参者の顕正会員向けに浅井昭衛の過去の「たばかり(ウソ)」を何度かに分けて教えてあげようと思う。第1回目として【御遺命守護完結奉告式】にまつわる「たばかり」を題材にしたい。【御遺命守護完結奉告式】とは正法堂解体により顕正会の御遺命守護が完結したとして浅井が行った一人芝居である。その浅井だが過去に御遺命完結の暁には、1日蓮正宗信徒に復帰できる。2幹部は常住御本尊がいただける。3一般会員は御形木御本尊が下附される。4登山が許され戒壇の大御本尊様への御内拝ができる。5天母山頂上で 初代講頭先生の遺影を抱き鏡割りをする。6松本日仁尊能化の満山供養を願い出る。7顕正寺(現・顕正会典礼院)は宗門へ供養する。などと散々吹いていたが、現時点で何一つ実現していない。つまりこれらは全て浅井のたばかりだったのだ。それも当然で正本堂を解体した理由に浅井昭衛など1mmも関係がない。浅井の功績や影響など何もない。よって浅井顕正会に褒賞も恩赦もない。浅井昭衛は全くの部外者なのである。一人で先走って【御遺命守護完結奉告式】などという猿芝居を演じた浅井には気の毒であるが笑い(失笑)を取れたので良かったではないか。因みのこの時期に創価内では顕正会が宗門に戻るといういうウワサがあったが、浅井も多少でも宗門に戻れるという淡い期待をしていたならとんだ勘違い野郎である。顕正会を解散しイチ信徒として許しを乞わない限り浅井が宗門に復帰できる可能性は0%である。では何故浅井は昭和50年代から「御遺命守護完結の時には~」という嘘発言を連発してきたのだろうか。もちろん一番は顕正会員に夢を見させて会員を教団につなぎとめるのが目的なのだろうが、思うには浅井はまさか自分が生きているうちに正本堂が解体されるとは思っていなかったではないだろうか。正法本堂は解体されないという前提ならいくらでも口から出まかせを吐いて会員を欺くことができる。だからたった20年あまりで正本堂が解体されて一番慌てて焦ったのは浅井だと思っている。逆に云えば創価よりも顕正会の方が正本堂を必要としていたという事だ。正本堂池田大作の謗法の結晶であると同時に浅井昭衛の謗法の象徴でもあるからだ。正本堂が解体されてしまったらそれまでの浅井顕正会員の活動の大義名分も無くなってしまう。更に言えば【御遺命守護完結奉告式】自体も大嘘だ。御遺命守護が【完結】したのであれば顕正会に残された使命はもうないのである。つまり顕正会は不要な存在だということだ。そうでなければ【完結】にならない。普段から御遺命を前面に出している顕正会だが、浅井昭衛自身がこのように【御遺命に関するウソ】をついているのである。そして正本堂解体の後はこれまたそれまでも発言を反故にするウソのオンパレードで宗門誹謗を続けているがその話はまた別の機会にしよう。まぁ最近では顕正会員部も浅井に見習ってウソとデマを吐き散らかしているが、これまた浅井同様にすぐにバレて妙観講にコテンパンにされるというドリフのコントのような安定のワンパターンである。末端の顕正会員もいつまでも浅井や顕正会幹部の出オチのコントに付き合っていない方がいいと思うぞ。

 

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