顕正会員との対論が終わりました。あまりにも矛盾と詭弁が多かったので対論にならないと判断して対論を終了した次第です。彼の発言には多くの矛盾があることは読者の皆様も気付いていると思いますが、私が一番「ダメだこりゃ」と思ったのが、私が提示した【■在々処々本尊安置之処ハ理の戒壇也。富士山戒壇ノ御本尊御在所ハ事の戒也(三大秘法事・日相上人聞書)■事ノ戒旦 一幅ノ板御本尊奉レ掛所ヲ云道理ノ戒且 御代々御書写御本尊奉レ掛所ヲ云(日堅上人・堅師寿量品説法)■戒壇堂に安置し奉る大御本尊、今現前に当山に在す事なれば、此の処即ち是れ本門事の戒壇、 真の霊山、事の寂光土(日開上人)■本門戒壇の大御本尊安置のところはすなわち、事の戒壇である(日達上人)】これらの文証の正誤を問うたところ、日達上人の御指南だけ間違いだと彼が答えたところです。読めば分かるように、上記の御文は全て「戒壇大御本尊の御安置の場所は事の戒壇である」と言う御指南で同じことを言ってます。同じ内容なのに日達上人の御指南だけ間違っている彼はいうわけです。また顕正会は現在においては「事の戒壇は存在しない」といっているのだから、上記の文証のひとつでも認めれば顕正会の邪義を認めることになります。つまり顕正主張を彼自身が邪義だと認めた事にもなります。本当はこの時点で勝負はついているのですけど、それに気づかないのではお話になりません(笑)。さて彼が提示した、「しかし乍ら大聖人は一閻浮提広宣流布して仏国土の顕現を期し玉ふ故、戒壇建立を以て事戒法と仰せ玉ふのであります。従つてそれ迄は、義の上の戒法と申し上げるべきであります」(日淳上人)等の御指南も正しいのです。こうなると良く分からなくなってしまう法華講員もいるかもしれませので少し解説すると、大石寺の戒壇論には、「法体に即した御指南」と「事相に即した御指南」の二筋があるのです。「本門戒壇の大御本尊安置のところはすなわち事の戒壇である」等の御指南は「法体面における戒壇義」で、顕正会員が引用する日亨上人や日淳上人等の御指南は「事相面における戒壇義」なのです。顕正会員は「法体面のおける戒壇義」を知らず、事相面だけを主張しいるのです。顕正会員は浅井の偏頗な教学しか学ばないので立て分ができないのです。そして、顕正会がいう「宗門は御遺命に違背した」というのも大嘘です。正宗では「国立戒壇」という名称を用いないとしただけで、本門寺の戒壇(事相の戒壇)建立は御遺命として心得ています。ただし顕正会の言うような事相戒壇建立が「唯一の御遺命」ではありませんし、日顕上人の御指南にもあるようの未来戒壇の事を現時点でアレコレいうのは不毛なので言わないだけです。「国主この法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。」(日蓮一期弘法付嘱書)との御遺命を読めば分かる通り、「国主この法を立てらる(折伏)」は「戒壇を建立」の十分条件であり、「戒壇建立」は「折伏・広宣流布」の必要条件ですから(もっと言えば折伏は戒壇建立の必要十分条件です)、「折伏・広宣流布」なくして「戒壇建立」はあり得ません。(逆に戒壇建立がなくても広宣流布はできます)したがって我々大石寺信徒はまず「広宣流布」の御遺命を目指すのが本筋なのです。それに「事相戒壇建立」は日興上人以来の歴代法主上人猊下にその権能が存するので、我々信徒が口をはさむ事項ではありません。ましてや異流儀の浅井顕正会が事相戒壇に関して意見することこそ、事相戒壇建立を日興上人御一人に託された日蓮大聖人に違背する大謗法です。そもそも会長の浅井城衛以下、御受戒も受けていない連中が戒壇を論じること自体が説得力ゼロですよね。
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