創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

日寛上人の御書文段の御指南⑫(法華題目抄文段)

問うて云わく、若し爾らば我等衆生、一期に一遍なりと雖も不退の位に到るべきや。答えて云わく、若し過去の謗法無き人は実に所問の如し。遂に不退に到るべし。然るに我等衆生は過去の謗法無量なり。この謗法の罪滅し難し

今回の御指南は『法華題目抄』の「問うて云く法華経の意をもしらず只南無妙法蓮華経と計り五字七字に限りて一日に一遍一月乃至一年十年一期生の間に只一遍なんど唱えても軽重の悪に引かれずして四悪趣におもむかずついに不退の位にいたるべしや、答えて云くしかるべきなり」の大聖人の御文を会通された部分です。実は法然亡き後の念仏宗で「一念義」(一生のうちに一度念仏を唱えればいい)と「多念義」(毎日できる限り念仏を唱える)の論争がありました。法然の教え通りなら生涯一度の念仏の「一念義」でいいんですね。「多念義」だと寧ろ法然のいう「雑行」になってしまいますから。「多念義」派は法然が一日に何万遍も念仏を唱えていたのだからそれに倣うべきと主張し「多念義」は阿弥陀如来への報恩謝徳の為に念仏を唱えるという解釈をしたのです。でも念仏一回で他に何もしなくても極楽往生できるのに更に報恩の念仏を唱えるというのは、僧侶ならまだしも在家にその修行を推奨するのは今一つ納得できないし教義としてもなんかモヤモヤします。その点、正宗の唱題行は上記の日寛上人の御指南に明確で、過去に謗法が全くない人は一生のうちに1回の唱題でいいけど末法悪世の凡夫は過去に謗法無量だからたくさん唱題して謗法罪障消滅しなければならない説明ですから念仏の多念義と違って道理も通っていてスッキリします。過去世の謗法は記憶にございませんが、我々は毎日生きているだけで謗法を積みます。例えば未入信家族と一緒に暮らしていれば毎日が謗法与同。外にでれば未入信の人達が周囲にたくさんいるからそれも謗法与同で大謗法とまではいかないにせよ謗法に変わりはありません。こうした雑謗法に神経質になって信心していない人とは付きわないなんて思う必要はありませんが、朝晩の勤行唱題をして日々の謗法を払っていくことで安心できます。小さな謗法でも放置して積もれば大きくなりますからね。ところが故池田大作は、「朝勤行してない人、ずいぶんいるかもしれないけどさァ、いいですよ、お題目一遍でいいんです」(平成4年4月26日・第五三回本部幹部会)なんていう指導をしています。この指導は本幹中継でリアルで聞きましたがその時には単に軽口をたたいているだけだと思いました。ところが後年に池田の朝の0分勤行の事実を知って、「マジで言ってんだ~」と正直驚いた次第です。ともあれ、大聖人の信徒であっても生きてるだけで謗法を積んでしまうのが末法悪世に生まれた我々ですから、ここは潔くそれを認めて唱題行に精進しましょう。仕事でも掃除でもなんでも溜めてしまうと後の作業が大変になりますから謗法も毎日の勤行唱題で溜めなうようにするのことが大切だと思います。貯めていいのはお金だけです。ただし創価宇宙銀行は破綻しているので溜まるのは罪業だけ。必死に創価信仰している会員には堪りませんな~。そんな創価の人達を一人でも多く戒壇大御本尊の許に戻してあげたいと思わずにいられませんね。

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