創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

創価教学じゃない御書講義(2024年9月座談会御書・高橋殿御返事)

その国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ。「仏種は縁より起こる」この故に一乗を説くなるべし。

今月も創価の座談御書の講義です。創価では当抄を『高橋殿御返事』としているが、以前も書いたように日蓮正宗では当抄は南条時光に宛てた御書であることが有力という判定のもと『米穀御書』と呼んでいる。御書の真筆も写本も関連する資料もほぼ保持していない創価ではなかなか御書の学術的研究が進まないのであろうと思うと御書根本の創価員の言葉も哀れにこえる。さて、この御文は池田大作のお得意の御文のひとつである。過去、この御文を引用し、「貴辺にお任せします″──と。ここでは″寺に任せる″とも、″僧侶に任せる″とも書かれていない。大聖人は「在家」の門下に、その地域の広宣流布を託されたのである。 我が学会こそ、大聖人から「広宣流布」の勅命を受けた誉れの教団である。」(1994.1.22スピーチ)、「ここで仰せの「国」とは、門下の住む地域一帯のことです。「その国土の仏法は、あなたにおまかせします」──あまりにも重大な仏の信託であります。「頼むよ」と師の信頼の一言に、弟子は武者震いする思いで、勇み立ち上がったことでしょう。 これが師弟の深遠なる生命の呼吸です。増上慢の坊主ではない。民衆のリーダーです。師の心を心として、自らの使命を自覚した勇気ある弟子こそ、地域広布の指導者なのです」(2009.9.24「御書と師弟」)などと「在家信徒が上で宗門僧侶は下」と僧侶を見下すインチキ教学で池田は創価員を騙し創価員から僧侶を敬う心を奪ってきた。大聖人は当御文でも他の御書でも、広宣流布を「僧侶に任はせない」などとひと言も言われたことはない。それどころか二箇相承で明確に御僧侶である日興上人に大聖人仏法の全てを授与していてる。このことからいえるのは在家門下は唯受一人相承を受けた日興上人以来の御歴代・御当代の法主上人の御指南の元に広宣流布をしていくのが大聖人仏法に仏法における在家信徒の規範であり師弟の在り方であるということだ。つまり法主上人を通し、各末寺の御僧侶と在家信徒は日蓮大聖人により地域広布の「任」を受けるのだ。池田大作創価学会が直接日蓮大聖人から広宣流布の任を受けた主張するならばその文証を示してみろ。常日頃から創価は「御書に全てが書いてある」といっているのだからその文証を提示するのは当然だろう。今回の御文についていえば南条時光にその国の広宣流布を任せたのであって池田大作などに任せたわけではない。また『阿仏房御書』には「阿仏房しかしながら北国の導師とも申しつべし」と書かれている。阿仏房は僧侶である。「″僧侶に任せる″とも書かれていない」との池田指導がいかに適当か分かるだろう。こんな池田のインチキ指導を真に受ける創価員は間抜けとしかいいようがない。もっとも、創価風御書解釈でこの御文を講義するとしたら、「その選挙区の公明党の得票は貴辺に任せそうろぞ」ということだろうか(笑)。なにせ「広宣流布」を「選挙支援」に変換してしまうのが創価流だからな。創価仏法ってのは選挙で勝つと広まるのか?選挙のたびに友人を失って世間から疎まれてそれでいて「創価学会は正しい」って気が狂っているとしか思えんぞ。選挙は仏法ではない。こんな当たり前のことを分からないヤツが政治活動しているのは社会悪である。

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