創価ダメだしブログ

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御講拝読御書研鑽(2024年8月・上野殿御返事)

仏にやすやすとなることの候ぞ。おしえまいらせ候わん。人のものをおしうると申すは、車のおもけれども油をぬりてまわり、ふねの水にうかべてゆきやすきようにおしえ候なり。仏になりやすきことは別のよう候わず。旱魃にかわけるものに水をあたえ、寒氷にこごえたるものに火をあたうるがごとし。また二つなき物を人にあたえ、命のたゆるに人のせにあうがごとし。

今月の御書は御供養の大切さを御指南された上記の『上野殿御返事』の御文です。創価の連中は正宗の御僧侶が供養を強要して法華講員が【供養地獄】に落とされているよう「見てきたようなウソ」を吐いてます。この本抄の冒頭で大聖人は「御心ざしの候えば申し候ぞ。よくふかき御房とおぼしめすことなかれ」と言われてます。これは御供養御指南をするにあたり「貴方(上野殿)の信心が深いから」大切な話をするので、それを聞いて「欲の深い僧侶だと思ってはいけません」と念を押して当該御文の御指南をします。本抄は御供養についての御指南の御書なのですが。御供養というと創価のように僧侶の金儲けと捉える人がいます。しかし、そのように思ってはならないと言われているのです。御供養を金儲けなどと捉えるのは創価学会員のように信心が欠如しているからなのです。御供養とは「やすやすと仏になる(成仏)」する方法であると大聖人は言われているのです。この「やすやす」という言葉には様々な解釈がありますが、ひとつ言えば御供養は一番簡単な仏道修行であるということです。正宗の御供養は好きな時に好きな金額でいいのですから日々の勤行唱題よりも折伏よりも御供養の方が「やすやす」だと思いませんか?仏道修行の六波羅蜜の一番最初に【布施波羅蜜】を挙げているのは一番易しい仏道修行だからです。とはいってもただ金銭を供養すればいいというものでありません。当該御文に、旱魃にかわけるものに水をあたえ、寒氷にこごえたるものに火をあたうるがごとし」とあるように心から戒壇大御本尊(御本仏)思う心が大切です。大聖人は「仏になり候ことは、凡夫は志と申す文字を心えて仏になり候なり」(白米一俵御書)と言われています。このような御供養の意義を理解していない創価員は正宗に「いままでしてきた供養を返せ」といいます。そもそも御供養とは「喜捨」なのですから、御供養を終えたら瞬間に忘れるのが仏法上の常識です。それを供養してことをいつまでも恩に着せ何十年も前の供養を返せというのは信仰者として無慙の一言に尽きます。三宝が無く供養ができないカルト信者ならでは発想ですね。御供養は御本仏に対してするもので寺院や僧侶にするのではありません。化儀抄にも正宗僧侶は御本仏への御供養の取次であると書かれています。もちろん実際に御供養の金銭等を使うのは宗門の御僧侶ですが、それは我々信徒から貰ったものではなく御本仏から頂いたものなのです。そうした金銭を私利私欲につかう僧侶がいたなら御本仏から罰をうけるのはその本人ですから信徒が口を挟む必要などないのです。法華講員の中にも御僧侶や寺院に対して御供養をしていると思っている人がいるなら考えを改めてください。池田創価はそのような思い違いをしたから驕慢謗法を犯し破門されたのです。御供養も折伏も全て戒壇大御本尊(御本仏)と自分のためであって宗門や法主上人の為に「してあげる」ものでありません。微塵でも「したやった」などという心があれば、いくら多額の御供養をしても多数の折伏をしても成仏はしません。驕慢謗法の池田創価学会員を反面教師として純真な気持ちで御供養を続けたいと思います。

■関連記事▶御供養の金額。 - 創価ダメだしブログ

 

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